※高校生御堂筋→←大学生石垣




どっちが幸せ?








知らんぷり








「御堂筋」
掛けられた声。それに御堂筋はひたすらに無視を決め込んでいた。

それは、少し高校から離れた駅でのことだった。
自転車の関連用品を購入するために訪れたターミナル駅から出たところの大きな交差点。
信号を待っていたら向こう側に知った顔を見つけた。
溌溂とした笑顔。すっと伸びた背筋。後ろに撫でつけられた黒い髪。
それは、この前の三月まで御堂筋の通う京都伏見高等学校に在籍していた三年生、石垣光太郎だった。

石垣は、隣に立つ恐らく大学の同級生と思しき女子に話しかけている。
御堂筋に気付いた様子もなく。
御堂筋はそんな石垣の姿に何故か無性に苛立ち、小さく舌打ちをした。
そして石垣のことを無視することに、気付かなかったこととすることに決め、交差点を渡ったのだったが。

「御堂筋」

交差点の真ん中、呼ばれた名前。
しかし御堂筋はそんな声など聞こえないふりをして、まっすぐに歩を進めた。

「御堂筋」

足音。それが自分の後ろをついてくる。
靴の底がアスファルトを噛む音。
横断歩道を超えて、歩道を行き、目的地へと折れてもその足音はついて来ていた。

と、その時だった。

「なんで無視するんや」

強引に取られた腕。
強制的に歩むことを止められた足。
それにしぶしぶと振り返ると、そこには石垣の困ったような顔があった。
御堂筋はそんな石垣の表情に眉根を寄せると、腕を振り払った。

「別にィ」
「別にって」

石垣はそういうと困ったように眉根を寄せた。
そんな石垣を見て、御堂筋の中に苛立ちがもたげてきた。
御堂筋は石垣の顔を掴み、恫喝したい衝動を何とか抑える。
何度か深呼吸をする。そしていろいろな感情を抑え込んだうえで、嫌悪感を吐き出すように口にした。

「キミ、もう要らんものやろ」
「要らんもの?」
「だって君、もうボクのアシストやないやろ」
「せやけど」
「だったら」

いつからだっただろうか。
あれは確か石垣が部活を引退して幾何か経った時だった。
石垣と、目が合わないと感じるようになった。
その理由は簡単だった。
石垣は部活を引退し、御堂筋の前から消えたからだった。
見かけるのは、彼の横顔か、後姿。
そして大体その時、彼が浮かべているのは楽しそうな笑顔なのだった。

それはあんなに長い時間を過ごした御堂筋が、一度だけ、あの夏の道の上で見ただけのもので―。

「要らんものな癖に、ボクのこと煩わさんといてや」

この先の道にともに歩まない石垣に、煩わされるなんて。
そんなの時間の無駄だ。
それだったら忘れてしまえばいい。
そして知らないふりをすればいい。
よくわからない、この胸の痛みのことなんて。

だから。

「キミのことなんて、もう知らん」


+ + +


「嘘やんなあ」

石垣は、そう小さく呟いた。
さっきまで自分の前にいた男は既に雑踏の中に消えていた。
高校の時の後輩、御堂筋。
高校の中ではあの高い身長も長い手足も酷く目立って見えたが、さすがに街の中ではそうはいかないようだ。

それでもまだ石垣はその後輩が去った先を、見つめていた。
否、正確に言えば立ち尽くしていたというのが正しい。

左右を抜けていく人々は人並みの中、立ち尽くす石垣を怪訝そうな目を向ける。
いつもだったらそういう視線を向けられることを何よりも厭う石垣だったが、しかし、今、そんなことはどうでもよかった。
ただ、石垣の脳裏には先程まで自分の前にいた後輩の姿が焼き付いていて、離れないのだった。

石垣の脳裏に焼き付いていたもの。
それは御堂筋が見せた表情だった。

『キミのことなんて、もう知らん』

御堂筋は、そういった。
そう、絞り出すように言った。
しかしその表情は酷く痛々しく、どこか泣きだしそうだった。
そして、その表情を、そこに隠れている感情の名前を、石垣は知っているような気がした。
正確に言えば、同一なのだろう。自分の中にあるものと。
そしてあきらめようとしているものと。

(でもお前が、気付きたくないんやったら)

気付かん方が幸せなんかもしれんなぁ。
そんなことを石垣は、ぼんやりと思う。
どっちにしろ、彼は煩わされる。
一番石垣が望まないのは御堂筋の足が止まることで、彼の重荷になることだ。
そうなってしまうくらいなら。今は。


石垣はそこまで考えると自嘲した。
そして御堂筋が去っていったのと逆方向へと、そっと踵を返した。









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