※社会人。御石




今週末は何をして過ごすのか。

会社の帰りがけに投げかけられた質問に石垣は首を傾げた。

「何してって?」
「いや、だから」

バレンタインデーじゃん?
そういうと同僚の荒北は箱を持ちあげた。
それは今日の昼休みに同じフロアの女子社員が義理チョコだからと言って部の男性陣の机の上に置いていったものだった。
控えめなラッピング。好き嫌いの出ないメーカー。そしてある程度値段の読めるもの。
女子社員たちのわかりやすい自己主張。
石垣はそれに首を傾げる。荒北はこんなチープなもので喜ぶような男だっただろうか。いやそうではない。だったらこの言葉の裏には何かの思惑があるのだろうか。 石垣の脳内にはただ「はてな」が舞ったまま。それでも言葉をつづけた。

「別に何もせんけど」

家でゴロゴロして過ごすだけや。そう石垣は返した。
今週も毎日のように終電で帰っていたため、石垣の部屋は酷いありさまだった。
ワイシャツが脱ぎ捨てられているし、流しにはコンビニの弁当の容器が袋に押し込められてる。
洗濯に、洗い物、掃除。それだけで一日は潰れるだろうし、もう一日は自転車でも乗りに行こうか。
ここ二週間ほどは驚くほど寒かったが、明日からは少し気温が緩むらしいとも聞いた。
なまった体を久しぶりに動かすのもいいのかもしれない。
そんなことを思っていると、荒北は渋い顔を作った。

「誰かとデートとかじゃねえの?」
「デート?」
「だってバレンタインじゃん?誰かからお呼び出しとかないわけェ?」
「お呼び出し?」

石垣がぱちぱちと目を瞬くと、彼も意外そうに眉を顰める。
そして少し言葉を濁すと、それじゃあさァと続ける。

「石垣チャンが何かするとか」
「何かする?誰に?」
「だ〜か〜ら〜」

何この天然チャン?
そう嘆くようにいった荒北の言葉にそこでようやく石垣は思いいたる。
バレンタインデー。女性が男性にチョコを渡す日。女性が男性に思いを伝える日。
転じて。
恋人に、思いと感謝を。
どうやら、自分は荒北に揶揄をされたらしい。
石垣は自分に気付いてもらえず、ふてくされている荒北に気付かれないようにこっそりと笑った。
そして笑みが収まったところで続ける。

「荒北くん、気付かんで済まんなあ」
「別にィ」
「でも、予定ないんも、何もするつもりもないのもほんとやよ」


「だって、オレ男やし」








ハッピーバレンタインデー








何が起きたのか全く分からなかった。

それは十四日の夜の出来事だった。
石垣はチャイムの音で起こされた。
どうやら部屋の片づけをしている途中、洗濯機が止まるまでとソファに寝転がったところいつの間にか寝てしまっていたらしい。
傍には片付け途中のものが散乱しているし、片付けに飽きて整備している途中の愛車もそこにある。
石垣はあくびを一つ。そして体を緩慢に起こした。

冷えたフローリングの上をはだしで石垣は玄関に向かった。
その間、この来客者は誰だろうとそんなことを考える。
宅急便だろうか。アマゾンで今は何も注文をしていないはずだから、そうすれば実家からの仕送りか。
それとも新聞の勧誘だろうか。それだったら日本経済新聞を携帯で読んでいるからいらないとそういおう。
他には―最近よく家で飲んでいる荒北が来たのだろうか。
玄関にあるつっかけを履き、ドアの鍵を開ける。
そして扉を開けた瞬間だった。

視界が赤に染まった。

ばす、と顔に押し付けられたもの。
それは何か特別な硬度は持っておらず、ただ、石垣の顔に当たったという形だ。
痛みも何もない。
一拍開けて鼻腔を擽ったのはどこか甘く、そしてみずみずしい、香り。

「落とさんでよ」

耳に届く低い声。
そしてそのまま、隣をすり抜けていく人の気配。
石垣は我に返り、手の中に納まっているものに視線を落とす。
それは見間違うはずもない、深紅の薔薇の花束だった。
そしてそれを自分に手渡した人物は。

「御堂筋」

石垣は慌てて踵を返すとリビングに取って返す。
すればそこには一人の男の姿があった。
それは海外で活躍するプロロードレーサーで、石垣の遠距離恋愛中の恋人、御堂筋翔だった。
二月、数日ならオフもらえそうなんやけど。
そう確かに先月末言っていた。
しかし石垣は、それによかったな!ゆっくり休めばええよとそう返した。
御堂筋はそんな石垣の言葉に、じゃあそうするわと言っていたのだったが。

「なんで」
「なんでって、何が」
「いろいろや」
「要領得ん男やねえ。キミ社会人やろ。一個ずつ聞き」
「じゃあ、どうしたんこれ」
「どうしたんって?」

石垣が手に持っていた花束を差し出すと御堂筋は不思議そうに首を傾げた。

「バレンタインやろ、今日」
「え?」
「外国のバレンタインってハナ、送るらしいで?カンシャとアイジョウやったかなあ?それって二ホンやって同じやろ」

そこで御堂筋は言葉を切る。
そして石垣のほうへまっすぐに視線を向けると、意地悪く頬に笑みを描いた。

「で、石垣くん。キミはボクに何かくれるん?ボク、二ホンに住んでへんから、日本式のバレンタインって知らんのやけど」
「・・・・・・」
「女子が男子にやったっけ?そんな言い訳、きかへんからね」

その次の瞬間、石垣は強引に腕をひかれた。そしてそのまま、床に押し倒される。
ごつり、と体のどこかの骨がフローリングに当たって音を立てる。
それでも石垣は片手に持ったままの花束を離さないでいた。
そしてそんな石垣のことを、見下ろす男が一人。
彼はそっと石垣の手からその花束を取り去り、少し離れたところに投げる。
はらりと散る深紅の花弁。
次いで、石垣の頬を、その手が撫でる。
そこに甘い香りが混じっている気がしたのは、気のせいではないだろう。


「しゃあないから、キミでええよ。石垣くん?」


それが策略なのか、彼の甘えなのか。
それとも、甘えるのが苦手な自分に対する彼の気遣いか。
わからない、でもわからないままでいいだろう。
そう思い、石垣は誘われるまま、御堂筋の首に手をまわした。


+ + +


「めんどくさい男や」

切れた電話を眺めながら御堂筋はため息をつく。

「そうやって、ボク気遣うふりしていろんなことごまかすの、やめてほしいんやけどなあ」

もうわかっとるよ、キミが何を考えているかなんて。
まあ、自分に気付かれていること、そんなことすら彼は気付いていないのだろうが。
さて、そんな彼からどう本音を引き出してやろうか。
御堂筋は少し虚空に視線をやる。
そしてふと気づき、カレンダーを見やった。
そこに刻まれている日付、そして自分のオフの日程と。

「ええこと、思いついたわ」





Happy Valentine’s Day!!












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