※学生時代。御→石




それはただの幻聴か、それとも自分の執着の証か。」








うるさい








『御堂筋』

まただ、と御堂筋は思った。
昼下がりの教室での出来事だった。退屈な歴史の授業をなんとなしに受けながらノートをとっていたところ、ふと名前を呼ばれた。
聞きなれた、優しい声。
それは間違っても今教壇に立っている教師が自分を指したものではない。それ以前に教師は今、黒板に向かってその時期に起こったことを板書しているところだ。
寝ている生徒ならまだしも、まじめに授業を受けている御堂筋に対して何か言及をしてくるようなことなどあるわけがない。
では周りのクラスメイトか。これに関しても御堂筋は否と即答できる。御堂筋はクラスではほとんどいてもいなくても大差ない存在だ。クラスの風紀を乱すこともなければ歯向かうこともない。協力をしろと言われれば応じるが、しかしそれ以上はしない。そんな存在だ。
確かに定期考査でいい順位をとった時や、部活に関して何かしら声をかけられることはある。しかし授業中に急な用事や、雑談の相手をさせられるようなことは皆無と言って差し支えない。
となれば、今呼ばれた名前、これは自分の空耳以外の何物でもない。
いつも通りの結論。それに御堂筋は舌打ちをする。
というのもどうもこの頃空耳めいたその声が御堂筋の脳裏に焼き付いて離れない。
ふとした瞬間―それは授業中だったり、集会の時だったり、練習中だったり、帰り道だったり―に御堂筋は名前を呼ばれるのだ。彼に。

『御堂筋』

それの傾向は夏からこちら側で特に顕著だった。
否、それは正確な表現ではないだろう。そもそも、夏以前はこういう風に自分の脳裏にその声が浮かぶことなどなかった。
その理由は簡単だ。毎日のように彼が自分の名前を呼んでいたからだった。

『御堂筋』
『御堂筋』
『御堂筋』

彼が御堂筋の名前を呼ぶとき。
それは御堂筋に対して苦言を呈するときでもあった。
御堂筋を心配するときでもあった。
御堂筋を、尊敬するときでもあった。
彼は毎日のように御堂筋の名前を呼んでいた。毎日毎日、飽きることなく。

それなのに。

『御堂筋、今日でオレら三年は引退や。半年間、ありがとうな』

夏が終わって、秋に差し掛かった部室でのことだった。
彼は笑っていた。

『いろいろ大変やと思うけど、でもお前やったらきっと、来年の京都伏見を頂点に導けると思う。だから応援しとるな』

自分と同じジャージではなく、学校指定の学生服を着た彼が、ロッカーの中身をカバンに押し込んでいる時だった。
彼は笑っていた。

『ヤマやノブのこともよろしく頼むな』

窓から差し込む夕暮れの色の中、彼はそう言い残すと御堂筋の前から姿を消したのだ。

それ以後、御堂筋の前に彼は一度として姿を現さなかった。
同じ学校にまだ通っているのにもかかわらず、なぜか彼の姿を見ることがない。
廊下でも、体育館でも、運動場でも、部室でも、通学路でも一度として彼の姿を見ることはなかった。
その代わりに御堂筋の前には記憶の中、夏の時から時を止めてしまった彼が現れる。
そしてその表情に穏やかな笑みをたたえ、そして呼ぶのだ。御堂筋の名前を。

「ほんまキモイ男や」

御堂筋は周囲に聞こえないように小さく呟く。
しかし、御堂筋の中の彼はそんな御堂筋の言葉など届かないようだ。穏やかに笑った表情を崩さない。
それに御堂筋は自分が余計に苛立つのを自覚する。
この苛立ちを解消するためにはどうすればいいのか。
そうだ、あの口を塞いでしまえばいい。笑みをたたえ悠然と微笑む彼の口を。
そしてもう自分の名前を呼ぶことをできなくしてしまえばいい。
そうすれば万事解決だ。だって名前を呼ぶという行為自体は生存のための必須条件ではない。名前を呼べなくなったから死ぬなんてことはないのだから。

(いや、)

そこまで考えたところで御堂筋は首を傾げる。
確かに自分は彼のあの、悠然とした、そして年上ぶった言動に苛立ってはいた。
いくら強要しても「くん」をつけることを頑なに拒否していた石垣に苛立っては、いた。
しかし彼が現役の時、果たして自分は彼に名前を呼ばれることを疎いていただろうか。
うるさいと、そう思っていただろうか。
否、寧ろ・・・。

「ファーキモすぎやろ」

御堂筋は深くため息をつき、答えが出そうになった思考を頭の中から追い出した。
そしてそれに連なる思考を自分の中からシャットアウトした。
これは気づかなくて、いいことだ。
気付くべきではないことだ。
きっと、今は。

『御堂筋』

彼が、呼ぶ。彼が、笑う。
そんな石垣に、御堂筋は眉を顰めてみせた。

「ほんま、うるさいんやけど。石垣くん」
















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