※学生時代と未来




帰る場所なんてなくていいと思っていた







一緒に帰ろう








雨音が世界を席巻していた。
先程から唐突に降り出した雨は一瞬で世界の色を塗り替えた。
青く、光に満ちた世界は灰色に塗りつぶされ、目の前には視界が白く滲むほどの強い雨。
道路は水浸しとなり、人影も消えうせた。

そんな景色を見ながら御堂筋はため息を吐く。
御堂筋がいるのはバス停の屋根の下だった。
湿度が高い上にばらばらと雨粒が屋根にあたり音を立て、水しぶきが少し掛かる。
しかし、もう少し雨足が弱ければ自転車を漕ぐところ、ここでの雨だと流石に危険だったため、仕方なく御堂筋は少し雨脚が収まるまでと思い、そこにじっとしていた。
デローザは既にびっしょりと濡れそぼっている。
何台かバスが通り、御堂筋を乗せるために扉が開いた。
バスに乗っても良かったが残念ながらこんなことになると思っていなかったため財布を持っていない。
運転手の心配そうな視線から態と目を逸らすことでそれをやり過ごす。

灰色の空は全く切れ目なく空を覆っている。
その上、空は段々と暗くなっているようにも見える。
それは雲が厚くなっているからだろうか。それとも夜が這い寄ってきているからだろうか。
どっちでもいい。取りあえず雨が速く弱まって欲しい。
丁度、ここは学校から家の中間地点くらいだ。すればここから学校に戻るよりも家に帰った方が速いため、さっさと帰ってしまえる。

と、その時だった。

「御堂筋」

声が、した。
そう思った瞬間、頭に何かが強引にかぶせられる。
そして次にその上からそのままぐしゃぐしゃと頭をかきまわされる。
いきなりのことに何かと思い、御堂筋は勢いよく振り返る。
すればそこには雨がっぱを着、タオルを手にしている男がいた。

「やっと見つけたわ」

そういうと男―石垣光太郎はふわりと優しく笑う。
御堂筋はそんな石垣に眉を顰める。そしてうんざりしたという風にため息を吐いた。

「なんなん、キミ」
「いやあ、この雨やろ。どっかで立ち往生しとるんやないかと思ってな」
「別に、キミに探してもらわんでも帰れるわ」
「そうやけどな」
「見くびられたもんやねえ」
「まあ、オレが安心したかったってことにしてくれたらええよ」

お前、無茶するし、そのままどこかに行ってしまいそうやし、主将として部員の安全を確認せんとあかんし。

石垣はそう、独り言のように言う。
その言葉に御堂筋は眉を顰める。
確かに他の部員たちは一度部室に帰るだろうが恐らく自分はそうしない。
携帯電話も特になくても生活に支障がないからだ。
すれば石垣は御堂筋に連絡をとる手段もなく、明日まで気がかりなまま過ごさなくてはいけなくなる。
確かにそれは彼がいうように彼のエゴであり、それ以上でも以下でもないのかもしれないが。

御堂筋はファーと呆れたように言うと、顔を逸らし呟く。

「勝手にし」
「おう、そうするわ」

そして石垣は、勝手ついでにと財布を取りだしながら笑う。

「一緒に帰ろうや、御堂筋」


+ + + + +


自転車と、いろいろなものが入った紙袋を下げながら自分の住むアパートメントの階段を上がる。
かつん、かつんと靴が鉄製の階段にぶつかり固い音を立てた。

紙袋の中には沢山のものが入っている。
今日の大会で優勝した際にもらった楯、大ぶりの花束。
賞状に賞品。ファンからのプレゼントの類もそろっている。
試合後のパーティーに記者会見。それらも好きではなかったが必要最低限はこなしてきた。
というのも今日は自分の中で引退試合と決めていた大会だったからだ。

別段、怪我をしているからとか体力の衰えを感じたからというわけではない。
世界の名だたる大会を制覇し、御堂筋は自分の目指した夢が、約束が果たされたと悟ったからだ。
だったら選手を続ければいい、チームには御堂筋が必要だと言ってくれる人もたくさんいた。
惜しむ声も、自分がこれから若い選手に抜かれることを疎んだからだと声を荒げる人もいた。
後輩の指導も、トッププレイヤーの責務だと責める人もいた。
それでも、御堂筋はそうはしなかった。会見では「もう辞める」とはっきり言い放ったのだった。

とはいったがこの先を決めているわけではない。
取り敢えず今は何も考えず眠ろう。御堂筋はそう自分に言い聞かせると紙袋を持ち直す。

階段を上がりきったところで一度荷物と自転車をおろし、息を吐く。
その時だった。
人の気配。それを感じ、御堂筋は顔を上げる。
と、そこには一人の男が立っていた。
ジーンズにシャツといったラフな格好。
この国では小柄な部類に分類をされる体型。
そして一目で欧州の人間ではないとわかる顔の骨格と髪の色。
彼は御堂筋の姿を認めると嬉しそうに目を細めて笑った。

「御堂筋、お疲れ」
「…なんでおるんかな、キミ」

御堂筋は首を傾げる。
というのも、御堂筋はこの男が今日、自分の所に来るとは聞いていなかったからだ。
試合がある、自分の中での引退試合にするつもりだ、それについては伝えた。
それに石垣は「そうか」と相槌を打っただけだったのだ。
それもそうだ、石垣と御堂筋の間には地球半周近い距離が横たわっている。
そして石垣にも彼の人生、仕事がある。
だから期待もしていなかった。それなのに。
石垣は御堂筋のつっけんどんな言葉にも気にした様子もなく、穏やかに笑っている。

「なんでって、そんなんお前の引退試合って言われたら見に来るに決まっとる」
「仕事なんやないの」
「そんなんでもどうとでもするわ」

そういうと石垣は歩を御堂筋の方へと向ける。
そして御堂筋の前に立った。
身長差は以前より開いている。そしてスポーツマンでなくなった石垣はプロの選手として活躍する御堂筋とは筋肉の付き方も全く違っているため小さく見える。
しかし、存在感は前とは比べ物にならないくらいに大きい。
それが彼が大人になり、懐が広くなったからなのか。それとも。

石垣は優しく笑う。
そして御堂筋にそっと手を伸ばし、御堂筋のことを抱きしめた。
御堂筋は動くこともできず、ただされるがままにしていた。
そんな御堂筋に構わず石垣は続ける。

「まずはおめでとう。ゴールで見とったよ。めっちゃ激しいデッドヒートやったなあ」
「……」
「そしてお疲れ様。長い間、よう頑張ったなあ」
「石垣くん」

辛うじてそう名前を呼ぶと、御堂筋は石垣を引きはがす。
石垣は御堂筋の突然の行動に少し驚いたようにし、そして少し視線を泳がせた後、意を決したように口にする。

「御堂筋。オレな、迎えに来たんよ」
「……」
「お前がどっかいってしまわないように」

世界中、追いかけるなんてできひんから。

石垣は、そう笑う。
そんな石垣に御堂筋は息を飲む。
そして思う。初めから石垣は何もかもを知っていたのだということを。
この先、何をするか決めているわけではないことも。
御堂筋の帰る場所が初めからないことも。
自分の満足の為ではなく、約束の為にしか走っていなかった自分の事も。
御堂筋は自分の事を語らない。過去も、現在の思いも、未来のビジョンも。
それでも石垣はきっと読み取るのだ。
御堂筋の語らない、思いの中を。

それはきっと、高校の時からずっと。

御堂筋はため息を吐く。
そして手を伸ばすと石垣のことを強く抱きしめた。

「本当にキミは変わらんのやね」
「御堂筋?」



「ええよ石垣くん。一緒に帰ろうや」



またキミはそれを自分のエゴを押し付けたのだと笑うのだろうけど。
いつか、それだけは自分が望んだことだということを。
話せる日が来ればいいと、そう御堂筋は思うのだ。











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