※未来パロ。遠距離恋愛中 ひとつ、ねがいとエールを。 七夕 暗くなった空からは断続的に雨粒が落ちてきていた。 ざあざあと音が響くほどに本ぶりの雨の中、石垣は大きな黒い傘を広げ、足早に駅前の道を歩く。 慎重に歩いていても、適当に歩いていてもこの雨の中ではあまり意味をなさない。 スーツの裾はぐっしょりと濡れていたし、毎日しっかりと磨いている革靴の中にも、すっかり水は侵入している。 漸く、ショッピングモールに辿り着き傘を閉じる。 すれば足元にはたまった雨粒が一気に滑り落ち、水たまりを作った。 ひたひたと滴る雫を見ながら石垣はため息を吐いた。 「雨、多いなあ」 まだ梅雨は明けない。 今週に至っては天気予報にずっと雨マークが並んでいた。 湿度も高く、不快な気分ばかりが募っていく。雨でぬれた所為で足に纏わりつくスラックスの感触も不快だが、汗と湿度で貼りつくワイシャツも不快だ。 速く晩御飯を調達し、帰って寝よう。その前に一本くらいビールを飲んでも罰は当たらないだろうか。 襟のあたりをぱたぱたとして空気を送り込みながらそんなことを思い、ショッピングセンターのメインエントランスの自動ドアを抜ける。 すればひやりと冷たい空調の冷気が石垣のことを包んだ。 それにホッとしながら、顔を上げる。すると石垣の目には普段、そこにはないあるものが飛び込んできた。 それは、大きな笹の葉だった。 大人の二倍くらいの高さはあろうかという笹はかなりの本数が運び込まれており、オブジェのようにエントランスの広間の中心に据えられている。 何本あるのかわからない程の笹の葉には様々な飾りと一緒に、短冊が垂れ下がっていた。 そしてお約束と言って差しつかえないだろうが笹の下には長机が用意されており、五色の短冊とサインペンが広げられている。 時間が遅いこともあり、ほとんど子供の姿は見えなかったが、高校生くらいの学生がふざけて何を書くか楽しそうに話していた。 (そうか、今日七夕か) スマートフォンで日付を確認すると確かにそこには七月七日の文字が並んでいる。 全く気付かなかったな、そんなことを思いながら石垣は誘われるようにその笹の葉に近づく。 遠目にははっきりわからなかったが、近づいてみれば本当にたくさんの短冊が下がっていた。 特に低いところに集中しているのは、昼間や夕刻に子供がたくさん書いてつるしていったからなのだろう。 石垣は少し身を屈めると、それらの内容をすこし、覗き見た。 色とりどりの短冊にはいろいろなお願い事が書かれている。 うたがうまくなりますように。 おりひめさまとひこぼしさまがあえますように。 あめがやみますように。 さとしくんとなかよくなれますように。 たどたどしい、平仮名で綴られた短冊に石垣は微笑ましい気持ちになる。 昔は自分もこんなことを書いたなあ、そんなことを思いながら。 その時だった。 「ママ、何書けばいいの」 後ろから、声がした。 石垣が振りかえると、この時間にいるにしては少し幼い子供が片手にペンを持ちながら母親を仰ぎ見ていた。 母親はきっちりとしたスーツを着込んでおり、恐らく保育園か何かの迎えに行った後なのだろうことが伺える。 相当疲れているはずだ。しかし彼女は疲れた様子も見せず、子供に視線を合わせながらあのね、と続ける。 「お願い事をかけばいいのよ」 「お願い事?サッカーボールがほしいとか?」 「違うわよ、欲しいものではなくて、じょうずになりたいことを書くの」 「じょうずになりたいこと?」 「そう。サッカーとか、キャッチボールでもいいけど、じょうすになりたいことをかくのよ」 そうしたら、織姫さまと彦星さまが叶えてくれるわよ。 そう、母親が言うと、子供は顔を輝かせてわかった!と短冊に文字を綴った。 (上達したいことか) 子供と母親が短冊を笹に括り付けて仲良く手を繋ぎながら去っていくのを見送りながら石垣はぼんやりと考える。 上達したいこと。仕事のスキル。コミュニケーション能力、他には。 そう思った時、石垣の脳裏に一人の男の後ろ姿が浮かんだ。 遠方の地で、ひとり戦い続ける男のことだ。 もうすぐたしか大きな大会があったはずだ。またその試合を彼は一人で立ち向かう。 そんな彼に。何か一つ。 (こんなこと書いたら怒られるんやろうけど) 石垣は黄色の短冊を取ると、そこに文字を綴った。 そしてその短冊を子供から見えないような高いところに吊るし、一枚、写真に収めた。 + + + 練習が終わり、部屋に戻ると携帯がちかちかと光っていた。 何かと思い、机の上に放り出していたのを取り上げる。 すれば、見慣れた人物からメールが届いていた。 『雨やから、届くかわからんけどな』 そう、前置きされたメールには添付ファイルが付いている。 御堂筋はそれに首を傾げる。 というのも差出人の男はあまり自分から連絡をしてこないし、してくるとしても大抵簡潔で主題だけをぱっと伝えるような形でしか文面を構成してこない。 そんな彼が要領を得ない内容を、そして添付ファイルを付けてくることなどほとんどないのだ。 何かあったのか。そんなことを思いながらファイルを展開する。 すれば、御堂筋の目には黄色が飛び込んできた。 笹に吊るされた黄色い紙。 そこに見慣れた彼の字で記された言葉。 『御堂筋がもっと自転車で速く走れるようになりますように』 「ファー相変わらずアホな男やねえ」 そういえば今日は七夕だったか。 そう思えば「雨やから」の言葉もわかる。 日本では雨が降れば織姫と彦星が会えないとかで、幼い時の学校では七夕が晴れるようにてるてる坊主を作ったりした記憶がある。 そうはいっても、梅雨の時期だ。大抵は徒労に終わったのだが。 「雨ねえ」 しかし、御堂筋の部屋の窓から見えるフランスの夜空はすっきりと晴れ渡っていた。 それもその筈だ。彼が住む雨に呪われた七月の日本からここは相当な距離が離れている。 距離どころか時間さえ隔てているのだ。気候だって天気だって全然違う。 それこそベガとアルタイルの間に横たわる距離のように。 それでも。 「まあ、ここなら届くんやないの」 御堂筋はそう呟くと、携帯電話を窓辺に置く。 その液晶画面には、夜空に燦然と煌めく天の川が映りこんでいた。 material:Sky Ruins |