※学生時代。御←石




焦がれている。ずっと。







蛍狩り








「ああ、そうや余談やけどな」

古典の授業中だった。
唐突にぱたんと、教科書を閉じた教師が呆れたように笑う。
視線の先の生徒たちは恐らく半数ほどが舟を漕いでいる。
前の授業が体育の授業だったということもあるだろうし、秋口のちょうどいい気候というのもあるだろう。
また、受験生といってもまだ追い込みシーズンには早いこともあり、気が抜けている、という見方もできる。
教師もまだがみがみ言う気もないのか、そもそも古典の教師は学者肌なところがあり受験用の勉強に興味がないのかもしれない。呆れた体をしながらも、少し楽しそうに話を始めた。

「元来日本の和歌では恋心をいろいろなものに譬えている。その中でも先生は一番蛍が好きなんや」

かつ、と白墨が黒板を叩く音が響く。
癖のある乱雑な文字が、緑色の黒板に刻まれていくのを石垣は重い瞼の下から眺めていた。
『音もせで思いに燃ゆる蛍こそ、鳴く虫よりもあわれなりけり』
時間を掛け、書きつけられた一首の和歌。
ぱんぱん、と教師は手を叩き白墨の粉を落としながら、に、と笑う。

「和歌に登場する蛍は秘めた恋心の象徴なんや。蛍って他の虫のように鳴かんやろ。口には出さんけど、でも静かに燃える恋心を昔の人は蛍に重ねたんやろうな」

お前たちみたいに、携帯で簡単に好きや〜とかいわへんのや、昔の日本人はほんま慎み深いやろ。
うっとりといった様子で言葉を口にした教師にへーと反応を返す生徒がいる一方で、前の方に座っている女子が、くだらん、とか先生、はよ進めてやと文句を返す。

「ええやんか、口にできひん焦がれる恋、青春や」
「いい加減にせんとセクハラで訴えますよぉ?」
「はは」

石垣はそんなやり取りを頬杖を付きながら聞いていた。
思わず、口元を押さえている右手に力が入る。
指先で口元を押さえているのは、周囲に動揺を悟られないためだった。

何もなかったかのように再開された授業。
それを聞き流しながら石垣はまだ耳元で早鐘を打つ心臓の音を持て余す。
そんな静かな混乱状態の中、石垣は自分の事をじっと見つめる大きな黒い双眸のことを思い出していた。

石垣のことをまっすぐに見つめるその双眸。
全てを暴くようなその眼に石垣はいつも晒されている。
そしてその中で石垣はいつも、笑みを描くのだ。
彼の―御堂筋翔の目の中で。

石垣は御堂筋に恋をしていた。
もっともそれが恋なのかと言われたら石垣自身よくわかっていない。
自分がもっていない圧倒的な実力を有する彼に対する憧れと混同しているのかもしれない。
インターハイの二日目、思いがけず自分を助けた彼に対する感謝の気持ちなのかもしれない。
常に孤高を求め、ひとりであろうとする御堂筋の背中を悲しく思っているのかもしれない。
それでも、石垣はあの男のことを見ると胸が締め付けられるようなそんな感覚に襲われる。
そして焦げるような焦燥感に襲われるのだ。

だからといって御堂筋という男が欲しいのかと言われたらそんなことはない。
御堂筋は何もいらないと公言している男だ。石垣のことも要らないというに違いない。
それに石垣は部活を引退する身だ。彼の手足になって一緒に自転車で走ることももう、できない。
だから石垣は彼を欲しいと思ったことはない。これからだってそうだろう。それでも。
言葉にできないこの想いが、届けばいいとそう、思ってはいるのだった。

彼のことを尊敬し。
彼に対して感謝をし。
彼のことを悲しく思い。
彼のことを心配しているこの自分の秘めた、焦がれんばかりの想いが。

(御堂筋、お前の目にオレがどう映っているのかしらん)
でも。
(御堂筋お前に焦がれ、お前を心配する人が一人だけでもいたということだけでええ。気付いてくれへんか)

石垣は目を閉じる。
暗い水辺。そこに御堂筋が一人で立っている。
その表情はいつも通りの無表情だ。

と、そこに。ふわりと黄色い光が漂う。
黄色の尾を引きながら、幾何学模様を描く光を彼の視線が追う。

暗闇に光る黄色い光。
声もなく、ただただ。


その光を見ながら、御堂筋は―。




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Special thanks : spitz [ホタル]
古今和歌集:紀重之













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