※学生時代。付き合っている御石




いつかその感情の名前をあなたの言葉で。







あいしてるのサイン








御堂筋という男は往々にして何を考えているのかわからない男である。

黒い深い眼は何処を見ているかわからないし、そもそも思考回路が違い過ぎて何を考えているかもわからない。
わからなさすぎて、彼が自分の事をどう思っているのかすらも時々わからなくなるくらいだ。
平気で暴言を吐かれるし、連絡だってほとんどとってくることもない。
かといってこっちから声をかければ眉を顰められる。
好意以前に嫌われているのではないかと思うことだってしばしばである。

だからといって石垣は御堂筋に自分の事を愛しているか、そもそも好意を持っていてくれているのかと聞けるほど素直でもない。
そんな取るに足らない不安のようなものを、自分の感情を受け入れてくれた(ように解釈をしている)御堂筋に先輩である自分がぶつけられるほど、プライドがないつもりもないからだ。
だから、譬え他の部員と同じような扱いを受けようと我慢して見せようではないか、そんなことを思いながら石垣は引退はしてしまったが定期的に通っている部室の方へと足を向けるのだ。


* * *


練習が終わった部室には気付けば石垣と御堂筋しか残っていなかった。
いつもわいわいと遅くまで喋っている部員も何人かいるが、そろそろ期末の考査が近いのもあり、みな一様に部活が終わると真っ先に帰ってしまった。

石垣は着替えを鞄に突っ込むとロッカーを閉め、御堂筋の方に視線を向けた。
御堂筋は早々に着替え終わっており、ノートに向かって字を並べていた。
そこには今日の練習の様子や、各メンバーのタイム、改善点と明日の練習のメニューが並んでいる。
そういう姿を見れば見るほど御堂筋は何処までも勝利に対して貪欲で真摯に向き合っているのだろ言うことを思い知らされ頭が下がる思いがする。
まだ終わりそうにない。すれば邪魔するのも悪いだろう。
石垣はそう判断すると鞄を肩にかけ、そして御堂筋の方へと歩を進めた。

「御堂筋、オレもう帰るわ」
「・・・・・・」
「明日の用意もええけどちゃんと休むんやで。無理したらあかんよ」

じゃあ、また明日な。
そう、部室のドアへ向かうために石垣は踵を返そうとする。
と、その瞬間だった。

「石垣くぅん、どこいくん?」

低い声が響いた。そう思った次の瞬間、冷たい、それでも頑強な手が石垣の手首を掴んだ。
石垣はその揺るぎない力に驚き振り返る。
すればそこには御堂筋の手にしっかりとつかまれた自分の手首と、相も変わらず感情の乏しい御堂筋の双眸がある。

「石垣くん、質問に答え?」
「・・・・・・」
「まさかボクのこと置いて帰る気やないやろうね」
「・・・だってお前」
「キミ、アシストやろ。エース様の雑用手伝わんとあかんのとちゃうん」

そこ座り、御堂筋は石垣に顎で空いているパイプ椅子に座るように促す。
石垣は手を振りほどくこともできず、指定されたままに御堂筋の傍のパイプ椅子に腰を下ろした。
それを見届けた御堂筋はさっきまでの力が嘘だったかのようにあっさりと石垣から手を離すと、手元のノートにふたたび文字を埋めはじめた。
そんな御堂筋の半ば呆然と見つめながら、石垣は自分の手首に視線を落とした。
かなり強引に掴まれたため、そこにはうっすらと赤く指の跡が残っている。そして僅かに痛みが残っていた。
それは何よりも雄弁に、御堂筋が何かしらの意志を以って自分の手を掴んだのだという証拠だ。

(珍しいな)

そんなことをぼんやりと石垣は思う。
御堂筋が何かに手を伸ばす瞬間を、石垣はほとんど見たことがない。
というのも、御堂筋には恐ろしい程に所有欲や物欲のようなものがないからだ。
いろいろこだわっているのかと思っていたが彼がこだわるのは自転車に対することだけで、それ以外についてはほとんど何の感情も欲求も持っていない。
だから、与えられたものはそのまま受け取るし、要らないものは捨てるが自分から何かを欲しがる、ひいては掴みに行くというところを見たことがない。
欲しい物とかないのか、そう一度だけ聞いたことがる。
その時も彼は酷く嫌そうな顔を浮かべながら、欲しい物なんてない。寧ろ欲しいものは一つしかないとそう言ったのだった。

『ボクが欲しいのは勝利だけや』

他は何もいらない。
それ以外のものに手など、伸ばさないのだと、御堂筋はそういったのだった。

と、そこまで考えたところで石垣の頭にふと、考えが過ぎった。

彼が手を伸ばすもの。
それは彼が欲しがる勝利への綱。
彼が手放したくないと思うもの。
それは結晶化された勝利への純粋な欲求。
手の中には勝利しか要らない御堂筋が手の中に収めていいと思うもの。

そんな彼が石垣に手を伸ばした、その意味は。
それはきっと彼が欲しいものと同列に自分が並んでいるということにはならないだろうか。

(ほんま、わかりにくい男やなあ)

そもそも彼自身気付いていないのかもしれない。
そんなことを思いながらこっそりと石垣は口角を持ち上げる。
すればすかさず冷たい視線が石垣に突き刺さった。

「なぁにわろうとるん、キモ」
「すまんな、御堂筋」

ちょっと、嬉しいことがあったんや。
そういうと御堂筋は元々顰めていた眉間を余計に顰め、ほんま石垣くんはキモ過ぎやと呆れたようにため息を吐いた。


* * *


眼前から一瞬、紫の格子が消えた。
熱いアスファルトの上、陽炎か何かのごとく、唐突に。
何が起きた。
そう思った次の瞬間、視界の端に体勢を崩している男の姿が見えた。
そのまま、柵に突っ込んでしまったとしたら恐らくもうこのまま先頭争いには戻ってこれはしまい。
本来であれば。
ここで彼を切り捨てたところで戦況に大きな差は出まい。
時間のロス。それと彼のアシストを天秤にかけたところでそんなになにか決定的なものが生まれるとは思えない。

それでも、気付けば御堂筋はその背中に手を伸ばしていた。

その時に胸に去来した感情の名前を、御堂筋はあの瞬間もそしてまだ今も知らないままでいる。












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