ヒミツの新薬実験中パロ






人通りの少なくなった住宅街を石垣は歩いていた。
その足取りはひどくおぼつかない。そして走ったわけでもないのに完全に息が上がってしまっている。
正直人通りがほとんどなく助かったと思う。もう少ししたら終電で帰ってきたサラリーマンでもう少し人通りが多くなる時間だ。そこをこんな風にして歩いていたら不審者としてかもしくは心配をされて声をかけられてもおかしくなかっただろう。

「は...ッ」

ぞわりと。
断続的に訪れる波に石垣は唇を噛み締め耐える。
そして少し足を止めてその波をやり過ごすとまた、ゆっくりを歩き始めた。

(最悪や)

石垣はため息をつく。
体が熱い。息が上がる。視界がグラグラと揺れる。
しかし、石垣がこのような状態にあるのは風邪だとかそういうものが原因なのではない。
ある実験に協力をさせられているせいだった。

『ちょっと、手伝って欲しいんやけど』
『手伝い?』

仲の良い学生時代の先輩にそう言われて連れて行かれた先は病院だった。
何かと身構える石垣に先輩は体に害はないちょっとした実験だからと石垣をなだめた。
絶対に大丈夫。
そう言われて、その先輩への尊敬の気持ちも相まって軽率に実験の承諾書にサインをしたのがいけなかった。

『二ヶ月でええんや、ちょっとした遊びやって思ってくれればええよ』
『別にええですけど、なんの実験なんです?』
『催淫剤。まあ平たく言えば媚薬やな』
『媚薬?』
『そうや、ちょっと適正投薬量の確認したくてな?今更逃げへんよな?光太郎?』

ここにおる先生、産婦人科医でな。
不妊治療のために催淫剤の研究してはるんや。万が一なんかあっても医者やし、大丈夫やろ。

そして毎週金曜日、会社帰りに石垣はこの病院に連れてこられていた。
一回、逃げようとしたが会社から出ようとしたら先輩がきっちり迎えに来ており、その度に連行される羽目になった。
しかも面倒なことにその薬は異常によく効いた。驚くほどに効果があり、早い。
幸いなのは効き目が切れるのも早いことだ。
だから割り切って性欲処理だと思ってしまえばそれはそれで我慢できなくもなかったのだが。

『今日は少し多めに投薬してみましょうか?』

許容範囲の量よりは少ないがいつもの1.5倍くらい。
それにいつもの1.5倍の時間で終わるならと許可したのが間違いだった。

「ふ...うう...」

1.5倍。
その時間が経過しても石垣の熱は全く収まらなかった。
何度か病院のトイレで処理をしてみたがそれでも全く収まらない。
挙句の果てに先生に申し訳ないんですが今日はもう閉院なんですといわれてしまえば石垣は帰るしかなかった。

『どっか付き合ってやれたらええんやけど、今日はあかんのや。ごめんな光太郎』

どうしよう、そうすがるように視線を向けた先、自分をこんな目に合わせるきっかけを作った先輩は悪びれもなくそう言い放ち、石垣を放り出した。
幸いだったのはその病院が家の最寄駅にあったことだろう。
こんな状態で電車になんか乗れるわけがない。
石垣はくらくらする頭を抱えながらなんとかマンションまで帰り着く。
スラックスに擦れるその刺激。たったそれだけでも石垣の欲が、出てしまいそうだった。
衝動に流されてしまいたいと望む自分の体。それをなんとか石垣は抑え込む。こんなマンションの廊下で達してしまったらもう、どうにもならない。

(我慢や、石垣光太郎)

なんでこんな惨めな思いをしなくてはいけないのか。
催淫剤で強引に欲情させられて。挙げ句の果てに薬の効果が抜けきっていない状態で家路につかなくてはいけなんだなんてどうかしている。

(御堂筋...)

心の中で名前を呼べば、反射的にじわりと涙が滲む。
それは学生時代から付き合っている恋人の名前だった。
傍若無人で、唯我独尊。それでも言葉や態度と裏腹に石垣を大切にしてくれる大事な恋人だ。
彼は石垣の状況を全く知らない。最近は口を開けばこのよくわからない実験に関する泣き言が漏れてしまいそうで連絡すらまともにとっていなかった。
こんな自分の状態が御堂筋にばれたらどうなるのだろうか。呆れられるだろうか、きもいと誹られるのだろうか。
むしろ御堂筋ではないただの薬にこうやって熱を喚起させられて理性をズタズタにされてふらふらな自分に彼は愛想をつかすのではないだろうか。むしろ怒ってくれるだろうか。間違っても慰めてはくれないだろう。その方が罪悪感に苛まれる石垣からしてみれば幾らか気分が楽だ。
しかし、今はそんなことより何よりもこの熱をどうにかして欲しかった。他でもない御堂筋に。
御堂筋に抱いて欲しい。そう思った瞬間、なんとか押し込んでいた熱がまた逆流してくるのを感じる。
息が上がる、めまいがする。
石垣は廊下の手すりに体を預け、震える足をなんとか抑えようとする。
あともう少しで家だ。そうしたらもう、我慢をする必要もない。

最後の角を曲がり、あと3部屋分。
そう思い石垣はのっそりと顔を上げる。
そして目に入ってきた光景に目を見張った。
そこには窓の柵にチェーンでつながれた一台の自転車がある。
銀色の、サドルが異様に高い、デ・ローザ。
それは見間違うはずがない、石垣の最愛にして絶対的な存在である御堂筋翔の愛車だった。

「みどう、すじ?」

御堂筋が来ている、今、自分の家に。
その瞬間だった。石垣は自分の理性が焼き切れる音を聞いた。


◇ ◇ ◇


御堂筋が風呂から上がれば、石垣はベッドの上で丸くなって眠っていた。
微動だにせずに規則正しい寝息を立てる彼に少し安堵をしながら御堂筋は石垣の顔の横に腰掛ける。
そして、表情を隠す前髪をそっとかきあげた。

いつも通りあどけない表情で眠る彼は彼の実年齢から見ればかなり幼く見える。それを御堂筋はいつもは穏やかな気持ちで眺めるのだが、今日はそうはいかない。
というのも石垣の目元は赤く腫れ上がっており、その様子は彼が酷く泣いたことをありありと証明していた。
御堂筋は石垣が泣いている姿を殆ど見たことがない。目が晴れてしまうまでのレベルで言えば正直初めてだ。

「何があったんや」

御堂筋のつぶやきにも石垣は微動だにしない。どうやら完全に寝入っているようだ。だが石垣が答えてくれない限り御堂筋にはその理由も何もかもわからないままだ。
みどうすじはひとつためいきをつく。そして今日の石垣の行動を思い出していた。

思えば初めからどこかおかしかった。
御堂筋が石垣の家に着いたのは夜の八時頃だ。というのもこの三週間ほど、何度も電話してもメールをしてもぱったりと連絡が取れなくなった石垣のことを心配に思ったからだった。
恐らく仕事が忙しいのだろう。そう御堂筋は思っていた。石垣から連絡が途絶えることは正直前も何度かあった。その度に食事を疎かにして体調を崩していたため、それならば先手を打ってやろうと思って彼の家に来た。
そして簡単な晩御飯を作り、待っていたのだったが。

漸く彼が帰ってきたのは夜の十一時を回ってからだった。

半分眠っていた御堂筋はがちゃがちゃと回される鍵の音で目を覚ました。
うまく鍵が鍵穴に刺さらないようでがちゃがちゃとうるさい音が玄関から響いてきた。
恐らく、酔っ払ってうまく鍵が突き刺せずにいるのだろう、そんなことをぼんやりと考えていたのだが。

『御堂筋ッ』

ようやく鍵の錠が開いた、そう思った次の瞬間、玄関のドアが勢いよく開いた。
そして同時にこの狭い部屋に響いた声に御堂筋はぎょっとした。
その声は明らかに酔っ払ったものではなかった。もっと切実で、もっと。
彼は一度リビングの入り口で立ち止まると、御堂筋をみてほう、と熱い吐息を漏らした。
そしてよろよろと覚束ない足取りで、それでも半ば走るようにして御堂筋に抱き着いてきた。
否、抱き着くなんてものではない。それは縋り付く、そんなものに近かった。

『っは、御堂筋、御堂筋』
『な、どうしたん石垣くん』

荒い息、上気した頬、潤んだ瞳。それが御堂筋の視界をいっぱいにする。
完全に欲情した恋人の姿に御堂筋の通常回転の早い思考は完全に停止してしまっていた。
こんな石垣は見たことがない。
それに極め付けは彼が続けた言葉だった。

『なあ御堂筋、抱いて?今すぐお前に抱いてほしいんや』
『ハァ?』

突然の彼からの要求に呆然とする。
しかし御堂筋のことをかまうことなく、ぐりぐりと石垣は御堂筋の肩に額をこすり付けてくる。
荒い息は御堂筋の胸元に明らかな熱を届け、彼が掴むシャツからは彼の中に巣くう暴力的な熱が届けられる。
そして否応なしに感じてしまうのが、石垣の完全に固くなっている性器の感触。
彼のは完全に勃ち上がっており、スーツのスラックスの中で窮屈そうにしている。それを石垣は少しでも刺激を得ようとしているのかぐっと御堂筋に押し付けてくるのだった。
尋常ではない石垣の様子に戸惑いながらも、御堂筋は流されそうになる理性を何とか押しとどめる。
そして勤めてゆっくりと息を吐くと、石垣の肩を掴み、顔が見えるようにする。すれば、石垣は逃げるように御堂筋から目線を外した。

『石垣くん。何があったん』
『な、何もない』
『嘘つき、キミらしないよ』
『オレらしないとかもうどうでもええやろ?なあ、御堂筋お願いや早く』
『石垣くん!』

強く声を出す。
すれば石垣は酷く傷ついた表情を浮かべいやいやと首を振った。
そしてもう一度、御堂筋の肩に顔をうずめる。



『なあ、後生やから何も聞かんで酷くしてや、御堂筋』



その言葉を聞いた瞬間、御堂筋は全身の血がざっと、引くのを感じた。
御堂筋は石垣の体を自分から引きはがす。そして自分にのしかかっていた彼を膝から降ろし、床に座らせる。
突然のことに石垣は呆然と御堂筋のことを見ていた。熱に浮かされて潤んだ双眸は絶望を写しており、そんな石垣を見ているのが辛くなった御堂筋は目を逸らした。

『いやや、ボク今のキミは抱きたくない』
『な、なんで』
『なんで?訳も分からんまま、普通やないキミのこと抱けへんよ』
『・・・・・・』
『説明してくれたらちゃんとするよ、石垣くん』

御堂筋の言葉に石垣はぎゅ、と唇を噛む。
その両眼に透明な雫が盛り上がっていたような気がしたが御堂筋はそれを無視した。
石垣はしばらく耐えるように俯いていたが、やがて弱々しく、そうやなすまん、風呂入ってくるわ。そう言い残して浴室に消えた。

それから三十分ほどして風呂から上がった石垣ひどくぼんやりとしていた。
だが、先ほどと違い興奮状態は収まっているようで、上気した頬も収まっていたし、呼吸も落ち着いていた。
石垣はろくに髪を乾かさず、ぽたぽたと雫を滴らせながらも気にした様子もなくまた言葉すらなく、まっすぐにベットに向かうとぱたりと倒れこんだ。そして猫のように小さく体を丸めた。
そのぐったりした様子に、御堂筋は胸が塞がれる思いがする。
恐らく、あの欲を抑えるために風呂場で処理をしたのだろう。しかもその回数は一回ではないはずだ。ずっと流されていたシャワーで音を隠そうとしていたのだろうが、彼がタオルか何かを噛んで声を殺しながら自分でなんとかしようとしているのはリビングにいる御堂筋でもわかった。
時折噛み殺しきれなかった辛そうな声にそしてすすり泣く声に何度風呂場に踏み入ろうと考えたかわからない。何か彼の体の中で異常なことが起きていることは御堂筋にもよくわかっていた。
おまけに今日の石垣は精神的にもどこか不安定だった。いつもの毅然とした様子は全く見えず、酷く頼りなく、危なっかしかった。
だからこそ、彼の望むようにしてはいけない、そう御堂筋は思ったのだ。
正直、欲情をした。あの潤んだ瞳も、上気した頬も、熱い体温も、自分に縋り付く手にも。
彼の体のことなど考えずに今すぐに組み敷いてめちゃくちゃにしてやりたかった。
普段全くと言っていいほど自分の欲望を見せない彼が、あんなにストレートに快楽を求めているその要求にとことんこたえてやりたかった。奥まで抉って、咽喉が枯れるまで喘がして、何度でも彼を絶頂に連れて行きたいと思った。
しかし、今日の彼にそれは恐らく逆効果なのだと、流石に御堂筋でもわかる。

「どうせキミ、自分のこと傷付けたいだけやろ」

今晩、彼があんなことを言ったのは勿論あの熱をどうにか処理をしたかったというのが一番の理由だろう。しかし同時に何かがあって、自分を責めたくて、その罰を自分に与えてほしかったのだとも思う。
石垣はそういうところがある。
勝手に思いつめて、自分を責めて。そして簡単に自分を傷つけようとするのだ。

「強情なキミやから、問い詰めても言わんのやろうなァ?」

御堂筋はため息をつくと、石垣の眠るベッドにもぐりこむ。
そして彼を起こさないように、そっと、腕を回した。
疲れ切った石垣は微動だにしない。眠っている間も甘え下手な石垣に呆れながら、それでも愛しいと、そう思うのだ。


「おやすみ石垣くん」



まるで悪夢を見ているような目で自分を見た石垣がせめて夢の中では安らかでありますよう。
そう願いながら、御堂筋は目を閉じた。



おわり!




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