フォロワーさんの一枚絵からお話を書く、というタグで書いたお話です。
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掴んだままの手を離さないでいる。 そこになんの言葉もむけないままに。





向日葵の唄






黄金の絨毯がひかれた場所に御堂筋は一人立っていた。
地の果てまで黄金色が広がり、地平線まで黄色が続いている。
そして不釣り合いなほどに青い空が切り取られた地平から御堂筋の頭上を越えて反対の地平まで続いている。
風が吹けばその絨毯―ススキだろうか―の葉は綺麗に波打ちその表面を駆けていく。
美しいさざ波の中心、そこに御堂筋は立っている。

眼前に広がる景色は自分の生きる世界とはまるで別物だ。
だから御堂筋はすぐにそれを夢だと悟った。
というのも御堂筋はこんなのんびりした世界とは無縁な生活をしている。
常に灰色の道の上を。ただただ真っ直ぐにどこまでも。
世界最速の称号を手にするまで。
それが御堂筋が自身に科している目標であり、御堂筋の人生はその為だけに存在している。
だから御堂筋にはこんな暢気な場所で足を止めているわけにはいかないのだった。

(早く、ボクの道に戻らんとあかん)

取り敢えず、歩いてみようか。
御堂筋は自分が薄汚れたスニーカーを履いているのを確認すると、一歩足を踏み出した。
道なき場所を歩くのは少々骨が折れるらしい。
足を踏み出す度になぎ倒される植物に足を取られながらも御堂筋は方角も判別しない世界でただまっすぐに歩いて行く。

と、しばらく行ったところで御堂筋は風の流れがおかしい場所があることに気付く。
否、風の流れがおかしいのではない。風にたなびく草の動きが他と少し違う場所がある。
御堂筋は目を眇めながらその方を見やりながら、一歩一歩近づいて行く。
近づいて行けば風の吹き溜まりのようになっているそこには一人の人影があった。
青い空を見上げている自分よりも圧倒的に小柄な男。
その背中を見、それが誰かを認識した瞬間御堂筋は彼に聞こえないように小さく舌打ちをした。
近づかなければよかった。今からでも気付かれずに去ることはできるだろうか。
そんなことを思いながら踵を返そうとした瞬間、彼は前触れもなくくるりと突然振り返った。
そして彼は驚いたように目を見張った後、楽しそうにふわりと笑った。

「あ、御堂筋くん」

それは御堂筋が幾度か共に走ったことがある男だった。
スポーツマンらしからぬ小柄な身体。
大きなメガネ。そしていつも楽しそうに笑う。
御堂筋と同学年の千葉の選手―小野田坂道だった。
御堂筋は諦めたように小野田の方へと体を向ける。そして首を傾げた。

「なんや、坂道。なんでキミ、こんなところにおるん?」
「なんで?それは御堂筋くんもだよ」

そう問われてしまえば御堂筋も返す言葉がない。
やはりこの男は苦手だ。そんなことを思いながら御堂筋は視線を逸らす。
しかし何度見ても、目を眇めてもそこにある景色は変わらない。
小野田はそんな御堂筋を見ながらにこにこと笑っていたが、何か思いついたようにあ、と声を上げると草原に身を屈めた。

「ああそうだ御堂筋くんこれ見てよ。綺麗な向日葵でしょう?」

その言葉と同時に。
御堂筋の眼前に唐突に黄色いものが差しだされた。
秋めいた景色に不釣り合いなそれはみずみずしく、そして鮮やかな向日葵の花束だった。
尤もそれは花束と呼んでいいのかもよくわからない代物だ。
恐らくどこから摘んできたのだろう。茎の断面は乱暴に歪んでいたし、長さもバラバラで、包装紙に包まれているわけでもない。
しかしそれを見た瞬間、何故だかわからないが御堂筋の脳裏に何かが過ぎった。
脳内で、何かが、叫ぶ。
そして次の瞬間、御堂筋はそれに手を伸ばしていた。
もう少しで指先が触れる。
しかし、その指先は空を切ることとなる。
御堂筋の指先が届く一瞬前、小野田がその花束を引っ込めたのだった。
ひらり。黄色の花びらが一枚、視界を過ぎていく。

「御堂筋くん」

声が、届く。
空に行き場をなくしたままある指先。
その先で小野田が不思議そうな眼で御堂筋を見ている。

「なんや」
「欲しいの?」
「ハァ?」
「向日葵」

御堂筋は小野田の問いには答えず宙に浮いたままの手を自分の手を自分の方に引き寄せた。
今、咄嗟に伸ばしていた手。
それは確かにあの花を手に入れるために伸ばされたのだった。
自分の中の何かが、そう叫んだから。
「欲しい」と。
だから――。

「なんで、欲しいの?」

御堂筋の思考を断ち切るように、小野田が言葉を紡ぐ。

「……なんで」
「うん」
「なんでって」

御堂筋はそこで言葉に詰まる。
すれば彼は困ったように、どこか憐れむように眉根を寄せた。

「残念だけど理由がないなら、あげられないよ」
「理由」
「そう、理由」
「そんなん―」

と、その時だった。
ざあっと強い風が吹いた。
その風に草はたなびき、葉を空中に散らす。
御堂筋は咄嗟に顔を腕で覆った。
身体を風が抜けていく。
その風が収まるのを御堂筋はじっと待った。
そしておさまったところで顔を上げる。
しかし、そこにはもう誰もたっておらず、地平の先まで黄金色の絨毯が広がっているだけだった。


+ + +


目を開けると、室内は既に明るかった。
カーテンの隙間から室内には太陽の光が差し込んでおり、世界にすでに朝がきていることを示している。明るさからみておそらく陽はそこそこ高く登っているだろう。
御堂筋は天井を見ながら何度か瞬きをする。そしてゆっくりと息を吐いた。

(面白くない夢やな)

そんなことを思いながら御堂筋は体を起こそうとする。
と、隣で何かが動く気配がした。
御堂筋はその気配に緩慢に視線を向ける。
すれば自分の眠るベッドの下で布団に包まって眠っている人物がいた。
それは自分の学生時代、一年だけ自分のアシストを務めた二歳上の先輩だった石垣光太郎という男だ。
彼は幸せそうに眠っている。
確か昨晩は一緒にベッドの上で眠りに落ちた筈だ。
しかし彼の性格がそうさせるのか、ただ寝汚いだけなのか時々、床に落ちていることがある。
それでも目を覚まして寝なおさないのだから、鈍いにしても程があるというものだ。

御堂筋は彼の頬で揺れる太陽の光を眺めながらため息を吐いた。
彼とこうやって過ごす様になって何年が経つのだろうとそんなことを思う。
そしてなんでこうして一緒にいるのだろうか、とも。

「理由」

初めはただ欲しいと思った。だから御堂筋はこの男に手を伸ばした。
理由は、と問われたら欲しかったからとしか答えることができない。
そんな御堂筋に石垣は、少し困ったように、それでも優しくわかったとそう言った。
彼は何も聞かなかった。何一つ、御堂筋に問わなかった。
その理由も、御堂筋が何を求めているかも。
だから、御堂筋も考えなかったのだ。考える必要さえなかった。だから。

(失くしたくなかった)

自分の存在を肯定する存在を。
自分の未来を見守ってくれるそんな存在を。
もっと言えば。

(他の人間に取られたくなかった)

自分の事を考えてくれる人間が、他の人間の所に行かないように。
自分に憧れ、光を見、目を眇める彼の瞳が他の人間に向かないように。
その感情。それの名前は。

「ファーキモすぎやろ」

御堂筋はそこまで考えたところで自分の頭を抱える。
見たくなかった答え。見ないようにしていた、答え。
否、信じたくない答え。
しかし分解して考えていくとそれしかあてはまる答えがないのも事実だった。

「ありえへん。キモい。そんなん絶対ゆるされへん」

はー、とゆっくりと息を吐く。
鼓動が体の中で五月蠅く鳴っている。それを御堂筋はじっとやり過ごす。
御堂筋の動揺をよそに石垣は相変わらずすやすやと幸せそうに眠っている。
その寝顔を見ながら御堂筋はただただため息を吐くことしかできない。

(絶対に言うたらへんよ、ボクは)

それでも、と思う。
また、あの向日葵が―御堂筋にとっての幸せの象徴の色であり、彼を連想させる花が差しだされたら。
きっと、自分は答えるのだろう。

『なんで、欲しいの?』

そんなもの、決まっている。
自分は、彼を―。





その時はきっと、この指はあの黄色の花弁に確かに届く。









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