フォロワーさんの一枚絵からお話を書く、というタグで書いたお話です。
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夜になったら貴方に逢いに行きましょう。





夢の通ひ路






ぽたり、と雫が落ちた。

それが頬を伝い、するりと落ちていく。
水が通って行ったあとの場所は外気に触れ、ひやりと温度を下げる。
雨漏りだろうか。
そんな古い家には住んでいなかったはずだ、というかそれ以前に上に住人が住んでいる。
雨漏りでなければ水漏れだろうか。
そんなことを思っているとまた、ぽたりと雫が落ちてくる。
いったいなんなのだ。
そんなことを思いながら眠りの縁にいる意識を起こしにかかる。
明日も練習だというのに。
そんなことを思いながら目を開ければ、自分を覗き込む双眸とぱちりと目が合った。
黒く、そして溌剌とした二つの眼。
理解が追いつけず、ただ壊れたおもちゃのように瞬きをする自分に、彼はふわりと笑みをかたどった。

「御堂筋」

それは、間違えるはずがない。
御堂筋の学生時代からの恋人である石垣光太郎その人だった。
石垣は呆然とする御堂筋のことを無視すると、御堂筋が仰向けに寝ているベッドの上にあがってくる。
そしてそのまま、御堂筋の上に覆いかぶさるように体重をかけ緩く、首に腕を回してきた。
洗ったばかりなのだろうか、湿った髪が御堂筋の胸元に寄せられる。
シャツに染み込んでいく水分に、さっきまで自分の上に滴っていたのは彼の髪の先より零れ落ちていた水だったのだろうとそんなことを考えた。

(というか、そんなことよりも)

何故、彼がここにいるのだろうか?
本来、石垣がここにいるはずはない。
御堂筋はフランス、そして石垣は日本に。それが御堂筋と石垣が選んだフィールドだったからだ。
高校を卒業し、ロードレースの世界でプロとなるために渡仏した自分とは違い、石垣は大学を卒業して今は一介のサラリーマンとして仕事をしている。
だから石垣と御堂筋は恋人関係にあったが、一年の中で一緒にいることができることはごくわずかだ。
一緒に居たい気持ちがないわけではない。それでも御堂筋も石垣も自分のために相手の歩む人生を邪魔をすることはしなかった。
懸命に働く彼が御堂筋に会いに来るために休みを取って海を越えてくれることも、もちろん逆もあった。しかしそれはけして高い頻度ではない。
いまだって、石垣は上期の決算のために死にそうになりながら働いているはずだ。こんなところに来る時間もないし、そもそもそんなことを彼は言っていなかった。
だったらなぜ。御堂筋はまだ寝起きで上手く動かない思考をフル回転させ、思考しようとする。
しかし、それを石垣が遮った。

「御堂筋」

御堂筋の混乱を無視し、彼は御堂筋のことを、呼ぶ。
自分の名前を紡ぐ彼の唇から溢れる少し粘度を持った、甘い響き。
その響きに御堂筋はぞわりと自分の欲が呼び起こされるのを感じた。
その声は、その響きは。
いつも、年上ぶった彼が時々―そう、それは自分に甘えたいときだけに滲ませる類の。

―お前のこと困らせたくないんやけど、でも時々寂しくなるんや。
―会えて嬉しい。
―なあ、御堂筋。オレな…。

「……石垣くん」

フラッシュバックする言葉に誘われるようにそう、名前を呼ぶと石垣はん?と顔をあげ首を傾げる。
それが合図だった。
御堂筋は強引に石垣の腕を引くと、体制を入れ替え、ベッドの上に石垣を組み敷いた。
まだ湿っている石垣の髪が白いシーツの上に散らばる。
落ちた前髪。その下から石垣は突然の行動に驚いたように御堂筋のことを見つめていた。
しかし、その大きな双眸の奥。そこに見える色に、御堂筋は自分の理性が焼き切れる音を聞く。

何故、ここに居るのか。そんなことなんてもうどうでもいい。
ただ今、今は。

御堂筋は石垣の顎を右手でがっしりと掴む。
そしてそのまま固定した唇に噛み付くように口づける。
がつん、と歯が当たり振動が体の中に響く。
だが、そんなことはどうでもいい。
そのまま長い舌を伸ばし、逃げようとする石垣の熱い舌を掴まえると乱暴にそれを絡ませる。
ふ、と洩れる息の音も、だんだんと熱を持っていく石垣の頬も。
全ては御堂筋の衝動を加速させるためにだけある。

「御堂筋」

何度も角度を変えながら口付けて、銀糸を引きながら離れる。
石垣は恍惚とした表情で、御堂筋のことを見上げていた。
御堂筋はそんな石垣の表情に満足しながらもわざと気付かないふりをして口を腕で拭う。

すれば、今度は石垣の腕が御堂筋の方へと伸ばされ、乱暴に引き寄せられた。
触れる手が、掛かる息が、熱い。


◇ ◆ ◇


「ジャパニーズって情熱的なのね」

練習が終わり自主練の時間に入ったところだった。
何度目か知れない。憂鬱な気分で欠伸を噛み殺していたところ、御堂筋は声をかけられた。
御堂筋は緩慢な動作で振り返る。
すればそこには、かっちりとしたスーツで固めたチームの敏腕女性広報が立っていた。
ブロンド髪を結いあげ、高そうな、それでも嫌味ではない眼鏡をかけたスタイル抜群の彼女のことが御堂筋はどうも苦手だった。
というのも、優しい彼女の笑顔はチームメイトに絶賛される美しさではあったが、どうもその双眸は酷く鋭く、本質を見ぬく。
それが敏腕たる所以なのだろう。しかし、雑念も体調不良も全てを見透かすその観察眼は正直怖い。
自分の寝不足の原因も彼女には筒抜けだろうか。そう辟易しながら御堂筋は首を傾げる。

「情熱的?」
「そう」
「日本人はパッションが足りひんってよう言うくせに」
「それは今でも思うけど」

だって、優しいんだもの。何があっても勝ちたいっていうあなたみたいなタイプって珍しいんじゃない?
そういうと彼女はベンチに座る御堂筋の横に座った。
そして楽しそうに彼女は御堂筋の顔を覗き込んだ。
御堂筋はそんな彼女の眼から逃れるようにしながら、なんや、と言葉を返す。

「アキラ。昨日、本を読んだのよ」
「流石勉強熱心やねえ」
「私、日本の文化好きだもの」

そういうと、彼女は得意げに続けた。

「その中でも夢に関する記述がすごく印象的だったんだけど」
「夢」
「そう」

アキラは夢を見るかしら?
そう、訳知り顔で彼女は微笑む。
それを御堂筋は無視した。
彼女はそっと肩をすくめる。そして言葉を継いだ。

「ねえ、アキラ。ジャパニーズにとっては夢に恋人が出てくることが相手の愛の深さを調べるバロメーターだったんでしょ」
「……」
「夢は自分で見るものなのに相手が夢に出てこないことを相手が自分を思っていないからだなんて。ジャパニーズは控えめだと思っていたが案外そうではないのね」

その言葉に御堂筋は眉を顰める。
聞いたことがある。それは確か、平安時代、和歌に謳われてる価値観だった。
そう簡単に会いに行くことができなかった時代。
譬えあいに行けなくても、相手の自分に対しての思いが強ければ、会えなくても夢に出てきてくれる。
逆に、相手が自分を見限ってしまえば、夢には出てきてくれない、とかそんな話だったように思う。
と、そこまで考えたところでそうか、と御堂筋は思う。
正直、あの夢を見てから自分の彼に対する思いが大きいことが起因していたのかと辟易をしていた。
しかし、嘗ての人たちが歌っていたように、それは自分の思念だけが原因ではないのだとすれば。
勿論それはもしかしたら、嘗ての人たちの自己弁護の一種だったということも考えられなくはないとはいえ、そう考えてしまえば、あるいは。

(石垣くんも、しかたがない男やねえ)

言い訳だろう。それでも御堂筋は少し自分の心が歩くなったような気がしてふう、と息を吐く。
すれば、そんな御堂筋を見て隣で彼女が楽しそうに、笑った。

「ね?素敵じゃない?」
「くぅだらん」
「そうかしら」


「でも機嫌よくなったじゃない、アキラ?」


そう確信めいた笑みを浮かべる彼女に、御堂筋は眉を顰めると小さくキモォと、呟いた。


◇ ◆ ◇


朝、電車に乗っている時だった。
まだ、ラッシュ時間には少し早い時間。
そんな電車に飛び乗って一息ついたところで石垣は鞄からスマートフォンを取りだした。
昨日は速く眠ってしまったため、帰りに届いていたラインにもメールにもまだ返信をしていない。
ラインは同期からの飲みの誘いだったからいいとして、何通か旧友や先輩からもメールが届いていたはずだ。
貯まっているメールを返してしまおう。そう思った時だった。

「ん?」

受信ボックスに入っていた未開封のメールの一通。
それに石垣は首を傾げる。
というのもそのメールの送り主はほとんど自分に対して自発的に連絡をよこさない人物だったからだ。
御堂筋翔。
恋人には違いないのに、彼は自分に対して連絡をしてこない。
いつも石垣が下らないメールを送って、何通かに一回返信をしてくれる程度だ。
そんな彼から自分に対してメールが来るなんて。

(なんかあったんか?)

怪訝に思いながら石垣はメールをあける。
しかし石垣の心配は杞憂で終わる。そこに書いてあったのは相変わらずそっけなく短い言葉だった。
そして石垣はその文面に、大きく目を見開いた。
たった、数行の素っ気のない文章。
しかし、そこには彼の率直な思いと、石垣への想いが透けて見えた。
石垣は思わず零れそうになる笑みを噛み殺す。
いったい、彼はどんな表情でこのメールを送ったのだろう。
少なくとも笑ってはいないだろう。もしかしたら拗ねたような表情だったのかもしれない。
それでも、きっと。

石垣はするりと液晶画面を指でなぞる。
そして暫くその文字列を眺めた後、素早く文字を打ち込み送信ボタンを、押した。


デジタルデータに変換された文字列が飛んでいく。
窓から見える青い空にそれを見送りながら、石垣はそっと、笑った。




『今晩、夢の中で会おうや。御堂筋』













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