鼻を啜る音が聞こえ、御堂筋はふと隣に視線を向けた。 深夜のマンションのリビングはひやりと冷えている。 つい先日までは半袖で過ごしていても寒いとは思わなかったが、あっという間に季節は移ろっているようだ。 ストーブや電気カーペットをわざわざ出してくるのもめんどくさく、かといってエアコンを入れるのも癪で手近にあったパーカーやら学生時代のジャージを引っ張り出して部屋のソファの上に座り御堂筋はテレビを見ていた。 テレビに映っているのは特に大したことない、映画だった。 少し前、日本で人気を博したが、かといって興行ランキングでも常にトップにいたわけでも、もっと言えば世界で話題にならないような作品。 特に見たいとも思わなかったが手持無沙汰につけたときに丁度やっていて、他のバラエティやニュース、連続ドラマにも興味がない。かといってなんにもつけないのも、とそんな理由で見始めたのだった。 内容に集中するわけでもなく、ぼんやりと明日何をしようか、そんなことを思いながら見ているうちに、物語は最終章へと差し掛かっている。 いろいろな不幸を乗り越えた二人が、いろいろな擦れ違いを経験した二人が、お互いの気持ちを漸く口にするシーン。 緊張感と、それでも優しい音楽で満たされたシーン。 その最高潮と言っていいのだろうところで、御堂筋の左隣でクッションを抱えながら体育座りをしていた男がぐすぐすと鼻を啜りだしたのだ。 大きな双眸を充血させ、目元を涙で濡らして。 頬を伝う雫をパーカーの袖で拭って。 鼻を赤くして。 そんな石垣の姿に御堂筋はため息を吐くと、机の上に置いてあったティッシュ箱に手を伸ばす。 「石垣クン。何泣いてるん、キモいで」 「そうは言うてもなぁ、二人が幸せになったんやよ?めっちゃええシーんやんか」 「当たり前やろ、泣かすために作られとるシナリオやで」 「身もふたもないこと言わんといてや」 御堂筋の手をからティッシュ箱を受け取ると、石垣はそれを数枚強引に取りだし涙を拭いたり、鼻をかんだりしている。 そしてそれを傍らのゴミ箱に放ると石垣はクッションを抱えなおし、再び画面に視線を戻した。 目には相変わらず透明な涙がうっすらとたまっており、画面に合わせて色が揺れた。 そんな石垣の横顔を見ながら、御堂筋は石垣の言葉を思い出す。 『御堂筋、オレはお前に幸せになって欲しいんや』 そう、ことあるごとに彼は御堂筋に笑いかける。 友人の結婚式に行ってきた帰りに。御堂筋が女性と話しているのを見かけたときに。もっと言えば居酒屋で中のよさそうな男女を見かけたときにでさえ。 石垣は呼吸をするよりも簡単に他人の幸せを祈ることができる。特に御堂筋の幸せを。 幸せになって欲しい。なって欲しい、といつだって。 それでも彼は一度も自分が幸せになりたいとも、御堂筋を幸せにしたいとも口にしたことはなかった。 願うことも、望むことも絶対にないのだ。 それは単に彼の幸せが御堂筋と共に在ることではないのかもしれないし、口にして叶わなかった時のことを憂慮しているからなのかはわからない。 それだからそんな石垣の一線を引いたような言動に御堂筋は足を踏み出すことができずにいるのだった。 (ボクの幸せは) 自転車で勝ち続けること。 母親に笑いかけてもらうこと。 そして。 (あほらし) 伝えれば何かが変わるのだろうかと考えたことは一度ではない。 それでも御堂筋が何も言わないでいるのは単に失うのが怖かったからだった。 黄色の光を、ぬくもりを。 それだったら、せめて。 御堂筋は腕を伸ばすと、石垣の左肩を掴み、自分の方へと引き寄せる。 こてん、と御堂筋の肩に倒れる形になった石垣は少し怪訝そうな顔で御堂筋を見上げた。 そんな石垣に、御堂筋はテレビ見とらんと見逃すで、と呟いた。 「偽善者なキミィが大好きなハッピーエンドやろ」 「偽善者て、酷いな」 石垣はそういうと唇を尖らせながら、それでも笑う。 ―そうやって、隣で笑ろててや。石垣クン。 そんな言葉も口にできない自分に辟易しながら、御堂筋はテレビに視線を戻した。




ねえ、笑って?








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