未来で待っているから。 TO CONTINUE 「こんなところにおったんか」 じゃり、と靴が砂を噛む音がしたと思ったその次の瞬間に御堂筋の背中の方から声がした。 夕陽に照らされた坂の上の広場には他に誰もいなかった。 木々に差した夕日が地面に黒い影を縫い付け、日が沈むごとに徐々に影が長くなって行く。そしてそれは傍に留めていたデ・ローザも同様だった。 その光景を御堂筋はぼんやりと眺めていた。 時折、春の匂いを孕んだ風がまだ裸のままの木々の枝をさらさらと撫で、影がゆらりと揺らいだ。枝が触れ合ってわずかに音を立てる様を耳で捉えながら、学校を満たしていた喧騒と隔絶された空間にぼんやりと心地よさを感じていた。 そこに突如紛れ込んできた、声。 他にこの場所には誰もいない。さすればこの声の持ち主は間違いなく自分に用事があるに違いない。そして何よりその声は御堂筋にとって聞き慣れた声だった。 しかし御堂筋はその声を無視することに決めた。 「探したで、御堂筋」 だが、その人物は御堂筋に無視されたことすら気にしていないのか、そもそも気づいてすらいないのかそのまま御堂筋の方へと足を進めてくる。 じゃり、と靴が砂利を噛む音と、からからと自転車の車輪が回る音が耳に届いてくる。そしてその音は、自分の斜め後ろでピタリと止んだ。 前に回って顔を覗き込んでこないことが彼なりの配慮であり、鬱陶しいところだ。後ろに感じる人の気配に辟易しながら御堂筋は緩慢に振り返る。すればそこには想定通りの人物が立っていた。 自分がきているのと同じデザインの制服に身を包んだ、自分より少し身長の低い男。髪は前髪をあげて、後ろになでつけており、幾筋かは額に落ちている。そしてなによりその表情には柔らかく笑みをたたえている。それは御堂筋の二つ上の学年の先輩、石垣光太郎その人であった。 普段と違うところといえば、その胸には花が咲いており、そこから下がる白いリボンには祝 卒業の文字が刻まれていることだろう。そしてその手には黒い筒と、記念品とアルバムが入っているのだろう白い紙袋が下げられている。 それもそのはずだった。今日は京都伏見高等学校の卒業式だった。 三年生が学び舎を旅立ち、次の進路に進むための通過儀礼。 その対象には他でもない、御堂筋の前に立つ男ー石垣光太郎も含まれている。 彼は背中に夕日を背負い、いつものように優しく笑った。 そんな石垣に御堂筋は舌打ちをする。 厄介な男に捕まってしまったと思う。 というのも石垣は御堂筋が今一番会いたくない人物だったからだ。 御堂筋は石垣に分かるように大仰に眉を顰めるとわざとらしくため息を吐いた。 「石垣くんやんか、何かボクに用でもあるん?」 「用?」 石垣は御堂筋の言葉にきょとんと目を丸くした。 そして次の瞬間に、用事も何も、お前の顔見んと卒業できひんわと笑う。 「てか、御堂筋。あかんやろ、ちゃんと先輩のことは見送りにこんと」 「ハァ?そんなんキミィの価値観やろ。キミの考え方押しつけんでくれる」 「あのなあ」 「ファー嫌やわ。最後まで説教するためにボクのこと探しに来るなんてどんだけ暇人なん。鬱陶しい。ほら、キミははよあのザク達のところ帰りィ」 「説教やないよ。後輩たちに惜しまれながら見送って欲しいだけや」 ノブやヤマ、そしてお前にもや。 石垣はそう言うとへらりと笑った。 あっけらかんとした様子の石垣に御堂筋は眉を顰める。 『御堂筋くん、卒業式の後部室で三年生を送る会をする予定なんやけど来てくれへんかな』 先週そう、声をかけてきたのは水田だった。 伺うようにおずおずと訪ねてきた水田に御堂筋は間髪入れずに行かない、と答えた。 じゃあ、せめて色紙だけでも。そう食い下がる水田のことも御堂筋は突っぱねた。 いなくなる人間に、かける言葉などないのだからと。 しかし、実際のところ水田に対して言った言葉は正確ではない。 御堂筋は石垣に対してなんと言葉をかけるべきなのか測りかねていたのだった。 それは卒業式が近づいていく中で、徐々に募って行った悩みの種だった。 おめでとう、そう言うべきなのだろうことを御堂筋は知識として知っていた。 それでもその言葉を言葉にしたくなかった。 それは自分がそのような言葉を口にすることが照れ臭かったからとかではない。もっと根源的な問題だ。 御堂筋は石垣の卒業を全くおめでたく思えなかったのだ。 周りには気付かれていないが、インターハイが終わってから御堂筋と石垣はありていに言えば恋人のような関係性にあった。 インターハイが終わってしばらくした部活の練習終わりの時だった。石垣はいつもにこにことしている彼にしては珍しく神妙な表情を浮かべて御堂筋の名前を呼んだ。 その時、言われた言葉はまだよく覚えている。 『御堂筋、聞いてほしいことがあるんや』 『聞いてほしいこと?』 『これからも、引退はしてしもうたけどお前のそばにおらせてもらえんやろか』 『ハァ?』 『お前が他人を必要としとらんことは知っとる。でも、お前のことが心配だから、いや、それはずるい言い方やな、オレはお前が好きやから、もうお前のエースアシストとしては走られへんけど、そばにいたいんや』 『......』 『あかんか』 とても、凛とした声音だった。 それに思わず勝手にせえ、と答えてしまったのも今思えばきっと何かの気の迷いだったのだろう。 それでもそれから御堂筋と石垣はたくさんの時間を共有してきた。 石垣は一応受験生だったため現役の時に比べてしまえば一緒に空間を共有する時間自体は短かったが、共に自転車を走らせたり、自転車の備品や受験の参考書を買いに行ったり、放課後のファミレスで石垣は勉強をし、御堂筋は部活の計画を立てるということもした。 御堂筋はいつもにこにこと笑っている石垣に辟易をしつつも、どうせすぐにいなくなるだろう石垣のことを持て余していた。 そんな彼がいなくなる未来を望みながら。 しかし、年が明け本格的に石垣が受験期に突入し、自分の周りに卒業の二文字が踊り始める頃から御堂筋の心はどこか軋むような錯覚にとらわれた。 石垣が卒業するということは自分に鬱陶しいほどに干渉し、自分のことを大切にしようとする石垣がいなくなるということだ。 部活が終わって、接点がほとんどなくなったのに加え、同じ高校に通っているという共通要素がなくなってしまえば御堂筋と石垣の間にはもう何もなくなってしまう。 それに加え石垣は友人も多いし、バカがつくほどのお人好しだ。今は御堂筋を心配しているからこそ御堂筋の傍にいることを選択しているが、彼を必要とする人間が増えれば、もっと言えば石垣が心配に思う存在が増えれば石垣は卒業した学校に置いてきたような御堂筋のことなど忘れるだろう。 新しいコミュニティで必要とされ、そこで求められたことを全うし、たくさんの人に囲まれ御堂筋のことはこの迷いか何かとして、あっさりと恋人を作るかもしれない。 それは御堂筋にしてみれば願っても無いことな筈だった。 それなのに、どうしてこんなにも。 『御堂筋』 自分の世界のいつのまにか入り込んでしまった石垣。 そんな彼を、必然的な通過儀礼を持ってうしなってしまうことが。 そしてそんな彼に、別れの言葉を口にされることも、口にすることも。 それくらいならばいっそ、自分の前からいなくなってくれたほうがいくら楽だ。 溶けてしまうように、はじめからいなかったかのように。 だから。 御堂筋は絞り出すように、吐き捨てるように言葉を紡ぐ。 「なんで見送らんといけんのや」 「なんでって」 「勝手にいなくなればええんや、めんどくさい」 この自分が。 一人で生きる自分が。 くだらない感情なんかに振り回されないように。 願わくば、このまま。 「御堂筋」 御堂筋の思考を断ち切るかのように石垣の凛とした声が響いた。 優しい声だ。しかしその実その声にはしっかりと彼の意志が通っている。 その声の厄介さを御堂筋は嫌という程に知っていた。 それが自分の中の奥深くまで届くことを。 御堂筋は耳を塞ぎたい衝動を抑えながら顔を背ける。そして鋭い声を飛ばした。 「煩い、それ以上喋らんで」 「そうはいうてもなあ、」 「煩い言うとるやろ。黙っとき、石垣くん」 しつこく食い下がる石垣に、睨むように視線を送れば視線の先で石垣は柔らかく笑みを浮かべていた。 そして御堂筋の尖った感情など気にしていないという様にすっと、視線を外すと虚空に持ち上げた。 その視線の先を思わず追う。 すればそこにはまだ裸のままの枝が、あった。しかし、その先にはわずかに綻びかけた桜の蕾がある。 「もうすぐ桜が咲くなあ」 春になれば満開の桜が咲く。 それを御堂筋も石垣も知っていた。 それもその筈だ。この場所は、この場所こそは石垣と御堂筋が出会ったその場所だったからだ。 「なあ、御堂筋。去年の桜、綺麗やったなあ」 裏白峠の旧道。そこを上った先の高台。 エースの座をかけて走った、坂道。 その先にあったのは満開の桜の花だった。 はらはらと散る薄紅の花びらを背負いながら彼は汗に濡れた顔に、絶望とそれでも先輩の矜持らしい虚勢を張って御堂筋の前に立っていた。 そして同時に彼の目には、桜の花を背負った御堂筋が映っていたのだろう。 彼は、続けた。 「今年も一緒に観ような」 「………」 「今年だけやない。来年も、再来年も、その先も」 お前と一緒に見たいんや。 そう、石垣は笑った。そんな石垣に御堂筋は眉をしかめる。 「キミ、卒業するんやないんか」 「ん、卒業するけどそれがどうかしたん?」 「大学行くんやろ」 「そうやけど」 石垣は煮え切らない御堂筋の返答に首を傾げた。 そして少ししてから、何かに納得したかのようにああ、というと表情を綻ばせた。 「卒業したって、オレはお前の傍におるよ」 それは全てを見透かしたかのような彼の笑顔だった。 その笑顔に、御堂筋はばつが悪くなり顔を背ける。 というのもたった、それだけでここ最近の御堂筋を振り回していた感傷が簡単に氷解をしてしまったからだった。 そして、同時に気付く。 本当は石垣を手放したくはなかったことも、しかしそのためにどうすればいいのかわからなかったことも。 そんな御堂筋のことを全てわかったうえで、この男は自分の傍にいるのだということを。 まったく、本当に物好きだとおもう。 自転車にしか興味のない自分と一緒にいたところであの男には何の益も無い筈だ。 それでも、自分を選ぶ男に、自分のために言葉を尽くす男に、自分との未来を望む男に。 御堂筋はそこまで考えたところで、大仰にため息を吐いた。 そして、僅かに高揚した感情を悟られないようにわざと吐き捨てるように言葉を紡ぐ。 「ほんま石垣くんキモい」 「そうか」 「やけど、そこまで言われたらしゃあない、花見付き合ってやるわ」 「ほんまか、おおきに」 「でも再来年はボク、日本におらんかもしれんよ」 「帰って来ればええやん、桜は日本でしかみれへんよ」 「そんな金もったいないことできひん」 「そしたら写真、送ったるわ」 そろそろいこうか、この後、皆で焼肉行くらしいから御堂筋もおいで。 石垣はくるりと自転車の先を返すと赤い車体を引きずりながら広場の出口へと歩いて行く。 それを見つめながら御堂筋はやられっぱなしは性に合わんなあ、とひとりごちる。 そして頭の中で言葉を探すと、広場の外へと進んでいく彼の背中に、石垣くん、と声をかけた。 「ん?」 「卒業、おめでとう」 消え入りそうな声だったはずだ。 それでも彼には届いたらしい。 石垣は今日見せた中で一番、明るい笑顔を浮かべながらおおきに、と笑った。 material:Sky Ruins |