一緒に丸めて。 焼いて消してしまえればどれだけ楽なのだろう。 この感情に名前をつけるなら 「御堂筋くん、インターハイのレギュラーってほんまなん」 昼休みの喧騒に満ちた教室の中だった。 放課後に向けて、大きな弁当箱の中身を口に詰め込みながら今日の練習メニューについて思いを馳せていた御堂筋は突然自分の頭の上に降って来た声に顔を上げた。 そこにはクラスの中心人物であるすこし茶色が買った髪を肩より下まで伸ばしている背の高い女子生徒と、すこし小柄で黒く短い髪が清潔感を与える可愛い女子生徒が立っていた。 「・・・・・・」 御堂筋は目が合わないように彼女たちを見上げながら内心、首をかしげた。 というのも他人と積極的に関わらない御堂筋にクラスメイトが声をかけることは皆無といってよかったからだ。 御堂筋自身もクラスメイトと慣れあうつもりも全くなかったし、周囲もそれを恐らく了解していたのだろう。自分から積極的にかかわろうとしてこない御堂筋のことを悪い意味ではなく放置をしていた。 そんな御堂筋が誰かに話しかけられるときと言えば教室の真ん中で一人でもくもくと昼ごはんを腹に詰め込むのを哀れに思う教師か、自転車競技部の部員が何か特別な用事があった時か、何かグループで作業を行っているときにグループのメンバーに進捗状況を確認される時くらいのことだ。 お陰で御堂筋は学校に登校してから、部活が始まるまでの時間においては言葉を発することの方が少ないといってもよかった。全く話さないとき だってある。ましてや誰かに話しかけられ、応答を求められることなど殆どなかった。 おまけに、と御堂筋は思う。 特に関わりがないのがこの手の女生徒だった。御堂筋が彼女達に興味がないのも勿論だったが、相手方も御堂筋と積極的に関わりを持とうとしない。 そもそも今までの学校生活の中で彼女たちと会話をした記憶も、何かのグループが一緒になった記憶も、ない。 そんな彼女たちが何故この二人が自転車競技部のことを聞いて来るのか。その意味が、思惑が御堂筋には全く見当がつかない。 ましてや、自分がレギュラーでもそうではなくても彼女たちには何の意味も齎さない筈だ。 それなのに何故。 無視をしてやろうかと思うが、あまり部活以外で波風を立てるのは得策ではない。 御堂筋は彼女たちに聞こえないようにため息を吐いた。 そして手に持っていた箸を、机の上に置いた。 「そうやけど」 訝しげに答えると、茶髪の女子生徒は大きく目を見開いた。 そして、えー、と不満げに声を漏らす。 「うちのチャリ部ってつよなかったっけ。なのに御堂筋くんがレギュラーなん」 「あかんよ、そういう言い方」 黒髪の方が慌てて茶髪の方をたしなめているのを見ながら御堂筋は目を細める。 彼女たちのいいたいことはわからなくもない。 御堂筋がインターハイの常連である、京都では一番強い部活のレギュラーであることが不思議で仕方がないのだろう。 御堂筋は自転車以外の運動はからきしだ。どちらかといえば圧倒的にできない部類に入る。サッカーもバスケも、大抵御堂筋がチームに入るとわかるとクラスメイトはきまって嫌な顔をする。 そういう反応に御堂筋は慣れきっているため今更何も思わない。小学校の時から、中学、高校を経ても同じ反応をされていればいやでもなれる。 むしろ最早御堂筋は運動に関してはあきらめていた。 正確に言えばできなくても構わないと思 っている。御堂筋には自転車しかない。それ以上もそれ以下もいらないのだった。 故に外部からの言及は正直めんどくさい、そう思い顔をしかめる御堂筋だったが、彼女たちは御堂筋の表情変化に気付かないらしい。 茶髪のクラスメイトは一層笑みを浮かべると御堂筋に小首をかしげて見せた。 「なあなあ、自転車部で誰が一番速いん」 「・・・誰でもええやろ」 「ええやん、誰なん」 「・・・ボクや」 「はぁ?御堂筋くんが一番速いわけないやろ」 「ちょっと・・・」 「だってそう思うやろ。やっぱ石垣先輩が一番早いんとちゃうん。キャプテンやし」 「・・・石垣クンは普通やで」 「いいや、絶対そうや。石垣先輩が赤い自転車ではしっとったとこ見たけどめっちゃ速かったもんな」 きっとそうや、そう自己完結するクラスメイトから視線を外すと、御堂筋は付き合いきれない、と手元の弁当に視線を落とした。 放課後の部活に備えて、これら全てを食べておかなければならない。 こんな非論理的な女子の会話に付き合っている暇はないのだ。 そう思い、置いていた箸に手を伸ばそうとすれば、女子の手が御堂筋を制した。 そしてまだ終わってへんで、と肩を叩かれる。 「そんでな、御堂筋くん。お願いがあんねん」 「お願い?」 「これ、石垣先輩に渡してほしいんやけど」 眉を顰める御堂筋に茶髪の女子がすっと、手を差し出した。 その手には薄ピンクの封筒が握られている。 御堂筋はぱちぱちと瞬きをした。 そこには女の子が、丁寧に時間を掛けて書いたと思しき字が並んでいる。 少し、丸みがかった、それでもすっきりとしたきれいな字だ。 『石垣光太郎先輩へ』 住所も何も書かれていない、相手の名前だけが記された手紙。 ポストへ投函されることを想定していない、手渡しで渡されるための。 御堂筋が顔を上げると、手紙を差し出している女子の隣で黒髪のクラスメイトがうつむいていた。 その頬が、耳が、朱に染まっているのを御堂筋は見た。 「なんでボクが」 「仲ええんやろ?」 みきが、好きなんよ。石垣先輩の事。 そういうと彼女は強引に御堂筋の眼前へと手紙を差し出した。 それでも手を伸ばさない御堂筋に、彼女はそっと、それを御堂筋の机に置く。 「絶対渡してな」 「なんでや、自分で渡しぃ」 「器の小さな男やな、もしかして御堂筋くん、みきのこと好きなん?だから気が進まんの」 「そんなん、ちゃう」 「ならええやんか」 「御堂筋くん、よろしくな」 そういって手をひらひらとさせながら去っていくクラスメイトの背を送りながら御堂筋は手元に視線を落とす。 自分の目の前。木製の机の上。 そこには自分に不釣り合いな、可愛いピンク色の封筒が所在無げに残されていた。 * (キモ。ほんまキモいわ。なんでボクが石垣クンへの手紙あずからんといけんの) 御堂筋は部室のベンチに座りながら指先で掴みあげた封筒を眺め、何度目かわからないため息を吐いた。 御堂筋の指に挟まれ、ゆっくりと揺れる淡いピンクの封筒。そこに記された『石垣光太郎先輩へ』という文字。 下から見ても上から見ても右から見ても左から見ても間違いなく、そう書いてある。 好き、手紙、渡してほしい。 その三拍子がそろっていれば流石に人間関係に疎い御堂筋でもそれが意図することは流石に分かる。 (好きとか、意味わからん。キモい) 渡せばいいだけだ、と御堂筋は思う。 ミーティングの最中に、そういえばボクのクラスメイトから手紙、あずかっとんのやったっといって渡せばいいだけの話だ。 もっと簡単に言えば、彼の鞄に放り込むか、ロッカーに置いておいてもいい。 もしかしたら、適当に床に置いておいてもいいかもしれない。 手紙の存在に気付いた水田辺りがはしゃいでことを大きくし、困惑する石垣の顔を見ることができるかもしれなかった。 それでも御堂筋はそのどの選択肢を取ることもできないまま、かれこれ二十分ほど封筒と睨めっこを続けている。 しかし封筒は消えもしなければ増えもしない。中身が浮かび上がってくることも、ない。 (アホくさ) 御堂筋はため息を吐くとベンチの上にその封筒を投げた。 それはつう、とベンチの表面を滑ったが、ギリギリのところで床には落ちなかった。 御堂筋は膝の上に肘を乗せ、その上組んだ手の上に顎を乗せながらその封筒を眺める、 そして脳裏に件の人間の姿を思い浮かべた。 自分より身長の低い、この学校の自転車競技部の部長の男のことを。 石垣は、この手紙を受け取ったらどういう反応を見せるのだろうか。 いつも訝しげに御堂筋を見ている眼が、大きく見開かれるのだろうか。嬉しそうに相好を崩すのだろうか、困ったように、照れたように笑うのだろうか。 あのクラスメイトのように耳と頬を朱に染めるのだろうか。 そして石垣は、この手紙を読んだらどうするだろうか。 今は自転車で精いっぱいでそういうことを考えられないというだろうか、よう知らんことは付き合えないとでも相変わらずの偽善者っぷりを発揮するだろうか。 寧ろ、折角告白してきてくれた彼女への敬意を表して、思いにこたえるという選択肢を取るかもしれない。 そうしたら、石垣はその人のことを徹底的に大事にするのだろうか。 もしかすると、彼女ができたとしたら彼女にかっこいいところを見せるために自転車に対して今まで以上に真摯に打ち込んでくれる可能性だってある。 御堂筋の無茶なオーダーも、勝ってかっこいいところを見せるために飲んでくれるかもしれない。 彼女に入れ込むことにより、御堂筋のやり方に噛み付くことも、御堂筋に対して必要以上に構うこともなくなるかもしれない。 それは確かに御堂筋にとっては都合のいいことだ。 それでも。 石垣が御堂筋のやり方に異を唱えなくなったら。言動に対して全面的に同意をしたら。 御堂筋に噛み付くことがなくなったとしたら。 敵意剥き出しの目で、御堂筋を見なくなったら。練習の後の自主練をする御堂筋を見張るようについてくることがなくなったら。 それはそれで。 御堂筋はそこまで考えたところで頭を強く振った。 くだらない、と御堂筋は思う。そして同時に酷く苛立った。 なんで自分があんな男のために思案を巡らせなくてはいけないのだ。 大した力量もないくせにぎゃんぎゃん噛みついてくるうっとうしい、量産型のザクのくせに。 時間の無駄だ。夏までもう時間なんてそうそうないのだから。 (インターハイに集中してもらわんといけん。ただでさえ石垣クゥンは雑念多いんやから) そう、結論付けると御堂筋は部室の端に置いてあるゴミ箱を引き寄せた。そしてそれを足の間に挟むと長い指先で封筒の端を持ち、右手と左手を上下に別の方向に引く。 ざり、と音を立てながら封筒が二つに分かれる。 今度は二つに分かれたそれを重ねると、上下に。 ざり、ざり、ざり、ざり。 だんだんと細くなっていく桃色の紙片。 御堂筋の手の中に収まらなっかたそれらがばらばらと手の中から零れ落ちていく。 さながらそれは、桜の花びらのように。 あの時、この部活を乗っ取った日、降り注いでいたあの。 「お、御堂筋何しとんの」 「ファ!?」 いきなり後ろから聞こえた声に御堂筋は振り返る。 そこには御堂筋の肩越しに御堂筋の手元を覗き込む石垣の姿があった。 石垣は御堂筋の動揺をよそににこにこと楽しそうに笑っている。 「お、御堂筋、ラブレターもろたんか?お前も隅に置けんなぁ」 「ラブレター?」 石垣から発せられた単語に首をかしげると、彼は笑いながら御堂筋の手元を指差した。 御堂筋の手の中にはずたずたに破られながらもまだ、それが手紙とわかる紙切れが収まっている。 確かに桃色の封筒は石垣の言う通り、普通何処かから郵送される時には使われないだろう。特に御堂筋に出すようなものに。 すれば出元は自ずと限られる。 女子、そしてそれを男子に渡すような用途といえば。 「ボクにやないわ」 「御堂筋のじゃないん?ほなら破ったらあかんやろ」 「間違えてボクゥのとこに入れた奴があかんのや」 「ふうん?」 誰に宛てたもんかしれんけど可哀想になあ、と石垣は笑いながら自分のロッカーへと歩んでいった。 そして御堂筋に背を向け、カバンからサイクルジャージを取り出し着替え始める。 その背中を横目で伺いながら御堂筋は息をついた。 自分を引く、背中。そしてゆがんだチームが空中分解しないように支えている背中。 腐っても元エース、他の部員の憧れの背中で、おそらく虎視眈々とゴールを狙う背中だ。 やはり、と御堂筋は思う。 この男は自分の手駒だ。インターハイで優勝するために、もう少し力量があれば文句はないが、この中では明らかに最善の。 そのための敵愾心、闘争心となる御堂筋への不満も、すべて自分がコントロールしなくてはいけない。 すべてのベクトルを自転車に合わせさせて。 そのためには外からの干渉など到底許さない。許したくはなかった。 それによって彼のベクトルがぶれてしまうことなどもっての他だ。 その上、そのことによって自分が揺さぶられることなど、あってはならない。絶対に。 御堂筋は残りをゴミ箱の中に落すとベンチから立ち上がり、石垣の後ろに立った。 そして石垣の肩越しに手を伸ばし、ロッカーに手をつく。 がたん、と鋭い音が狭い室内に響き、その音に石垣はびくり、と肩を震わせた。 おずおずと振り返る石垣に追い打ちをかけるように、御堂筋は石垣の顔を覗き込む。 至近距離で合う視線。困惑気に揺れる石垣の表情を無視し石垣クゥン、と名前を呼んだ。 「な、なんや御堂筋」 「キミィは下らんこと考えんと、ボクを引くことだけ考えてればええよ」 自転車をいかに早く走らせるか。あのエースをひくアシスト達にどうやって付いて行くのか。 クランクを、どれだけ早く抜けるのか。平坦の道を、山道をその足で。 キミの大好きなジャージをゴールに届けるために、自分のエースを、御堂筋翔を一番にすることだけを。 ただそれだけを、考えて望んでいればいい。 他のことなんて考える必要すらないのだ。 「わかったら返事しい」 詰まらない感傷だ。そしてくだらない執着だ。 しかし御堂筋はその煩わしい感情の名前を、まだ知らない。 material:Sky Ruins |