許した覚えはない それなのに何故、キミはここに居るのだろうか 絡める指先 二人目だ、と御堂筋は思った。 とある大会の、とあるレースのことだった。 大して意味があるレースでもない。インターハイにつながるわけでも、何でもない大会だった。 それでも御堂筋は勝つための執着が薄れないようにふらりと試合に参加をしていた。 前には誰もいない。景色が飛ぶように後方に流されて行く。自分の鼓動と、息遣い、筋肉の軋みが体の中を満たしている。 それでも足は緩めない。それはただ勝つために。一番を取り続けるために。 優勝したのはやはりと言っていいのだろう御堂筋だった。 御堂筋は試合が終わったときいつもそうであるようにふわふわとした幸せな気分のまま、人でごった返しているゴール地点を自転車をひきながら歩いていた。 もう少しして気分が落ち着いたら自転車に乗って京都まで帰ろうと御堂筋はぼんやりとおもう。 「やっぱり御堂筋くんは速いね」 突如かけられた声に、御堂筋は緩慢に視線を向ける。 そこには一人の小柄な男が立っていた。 少し青みがかった髪をなびかせて楽しそうに笑うのは、前年のインターハイで競った箱根学園の選手だ。 去年のインターハイで一桁ゼッケンをつけていた、6番の、真波。 今日のザクしか出ていなかった試合の中で唯一御堂筋に食いつき、最後まで一位を競い合った選手だった。 御堂筋が自分らしくないと思いながら、駆け引きもなく全力でペダルを踏む羽目となった原因を作った張本人だ。 「別にはやないよ。マァナミが遅いだけや」 「相変わらず手厳しいな、御堂筋くんは」 まあいいや、真波はそこで肩を竦めると、御堂筋にまっすぐ右手を伸ばした。 差し出された手。それが御堂筋の前でぴたりと止まる。 御堂筋は真波の行動に首を傾げる。 「なんやの」 「去年はしてくれなかったから」 「何を」 「握手」 「ハァ?握手?」 そんなんいやや、と御堂筋が言う前に真波の手が強引にハンドルを握っていた御堂筋の右手を取り、強く握る。 それが一年前のインターハイのときに断った握手の代わりなのだと、御堂筋は試合後の優しい黄色の光に包まれてふわふわする意識の中で認識をした。 真波の手は御堂筋のそれに比べると小さく、華奢だった。しかし、熱い手をしている。 もちろん試合後だということもあるのだろう。自分の中にあるのと同様の熱が真波の中にもあって、それが伝わっているのかもそれなかったし、真波が元々体温が高いのかもしれない。 そんなことをぼんやりと考えているうちに真波は御堂筋から手を離し、また勝負しようね、といいながら走り去ってしまった。 御堂筋はその背中を見送りながら首を傾げた。そしてさっきまで真波が握っていた自分の右手を眺める。 (キモいわ、ほんまありえへん) 御堂筋の手を握ったのは二人目だった。 一人目は、白い部屋に閉じ込められた人だった。 毎週のように通っていた白い建物の中。今にも消え入りそうな儚さを持つ人。 御堂筋の幸せの全てで、いなくなってしまった今も御堂筋に生きる目標と走る意味を与え続けている人だ。 自分の気持ちを自分の言葉でうまく伝えられない御堂筋のことをいつも優しい目で見守ってくれた。そしていつも優しく手を握ってくれた。 冷たくて、小さくて乾いた手。 細い指先が、それでも強く、強く御堂筋の手を握っていた。 自分に触れた手を、御堂筋はそれしか知らない。 (いや、ちゃう) じわ、と手のひらに熱が滲んだ気がして御堂筋は手のひらを開けたり閉めたりを繰り返す。 この熱に御堂筋は覚えがあった。乾いて冷たい手をした母親以外の手でもう一度。 もう一度。自分の手は誰かに握られていた。 御堂筋は首をかしげる。 あれも、そうだ。とても熱い手だった。 熱くて、大きくて、骨ばっていて。 それでいて、とても。 (石垣、くぅんか) 去年のインターハイ。三日目。 ライバル校に圧力を掛けるために挑発行為を繰り返し、自分が想像していた以上に体力を使い果たし、自分にしてはあり得ないことだが気を失い、倒れ込んでリタイアをしてしまった苦い試合の時のことだ。 延々と眠り込んで、ようやく目を覚ました先、そこにいたのは同じウェアを着た男だった。 御堂筋より少し小柄で、それでも痩せぎすな御堂筋に比べるとバランス良く筋肉がついている。目は大きく、小動物のような印象を与えるがそれに反して髪型は後ろになでつけて、男らしさを出そうとしている。 弱い癖に、最後、御堂筋が命じた場所まで必死に御堂筋を引いた男。 自分が作り上げた部活を、御堂筋に壊されてそれでも自転車を走らせることを選んだ男。 ぱちりと、目を瞬いた御堂筋に、彼は驚いたように目を見張った。そして彼も疲れているのだろう、平素よりいくらか顔色が悪いくしゃくしゃの笑顔で笑った。 『御堂筋、目が覚めたんか』 よかった、と彼―石垣光太郎はほっとした表情を見せた。 そしてまだ意識が覚醒しきっていない御堂筋のことを無視し、18時間も寝とったんよ、とか、総北の小野田が優勝したんよ、とか、ずっと話してきたような気がする。 だが正直そんなことはどうでもよかった。 御堂筋にとっては、自分が一番ではなかったということだけが重要で、他の全てなどどうでもよかったのだ。 所詮は自転車競技も他のスポーツと同様に一か零の世界だ。負けたのであればそれが全てだ。 今まで御堂筋は勝つために削って削って削りきったつもりだった。だがどうやらまだ足りなかったようだ。もっと、もっと削りに削って、勝利に対して純化していかなくてはいけない。 だが、今はそれよりも、と御堂筋は視線を巡らせる。 そして自分の体のパーツの中で違和を唱える場所に視線を止めた。 自分の、右手。 他のパーツは無理がたたったのだろう、軋むだけの所もあれば怪我をしている場所もあったがそれなりに稼働することは確認をしている。 しかし、右手に限って言えば。特に痛めた様子もないのに先程から頑として動かない。そして自分の体の中でそこだけが酷く熱を持っている。 だが、その要因は目にしてしまえば一目瞭然だった。自分の右手は、なんてことはない。傍らに座る石垣の手によって包まれていたのだった。 人肌、というのだろうか明らかに自分以外の人の温度に御堂筋は、ため息を吐くとじっとりとした視線を石垣に向ける。 『石垣くぅん』 『どうした?』 『なんやのん、その手は』 御堂筋の言葉に石垣は何度か瞬きをすると自分の手に視線を落とした。 そして自分の手が御堂筋の手を握ったままだということに気が付いたのだろう、少し慌てた様子で石垣は眉を下げた。 『はは、すまんすまん。お前の手が冷たかったからつい、な』 堪忍な、そういうと石垣は御堂筋から手を離した。 その瞬間、御堂筋の手の表面の温度がさっと、下がる。しかし普段よりその手は確かに熱を孕んでおり、御堂筋は眉根を寄せる。 明らかに自分以外の人間の温度が、そこにはあった。 「キモ」 御堂筋は手をぶらぶらと揺らした。 錯覚かもしれない。それでもどこか、熱が残っている気がして御堂筋はそうせざるを得なかった。 それが真波のものなのか、石垣のことを思い出し内から上がってきたものなのか御堂筋にはよくわからない。 しかし、その熱をどうしても引きはがすことができなく、御堂筋は途方に暮れる。 (キモいわ、石垣くん) 忘れた筈だった。 たった一年、否、半年だ。御堂筋のことをひいて走ったアシストだった男のことなんて。 量産型のザクよりは少し根性と技量があったが、そこから抜け出すほどの実力があったわけでもないい。 そんなレベルの選手のことなんて、御堂筋はこれまでたくさん見てきた。そして忘れてきた。 それなのに。 (ボクゥの中に居座るんなんていい度胸してるで、石垣クゥン) 今度もしあうことがあったら。 あのへらっとしたゆるゆるの笑顔で現れたら。 嘗てと同じように頬を片手で掴んで、今すぐ自分の中から出ていくように言わなくてはいけない。 あんな男のことを捨てきれなかったから、自分のペダルが緩むようなことがあったらいけないのだから。 まだ熱の残る手を、ユニフォームにこすり付けながら、御堂筋は自転車にまたがった。 material:Sky Ruins |