べいん。

一曲弾き終わって部屋を見渡せば、惨状が広がっていた。
畳の上に零れた酒。
脱ぎ捨てられた羽織。
ひっくり返った皿。
それもこれも全ては元親の目の前でぐったりと倒れ伏す男が引き起こしたものである。

その男は先程、乱世の英雄、織田信長を討ち取った明智光秀であった。

光秀は潜伏している屋敷につくや否や炎と煙、そして信長を殺した返り血で汚れた自身を清めることもなく、酒をあおった。
祝勝会を行う雰囲気でもなかった。
それは光秀の宿願を果たした、という訳でもなかったからである。
少なくともそれは光秀の悩みと苦悩を増やす結果に終わっていた。

下戸であるといい酒の席を頑なに断っていた光秀の言葉通り、光秀は乱れた。
蒼白な顔色はさらに青ざめた。
普段の光秀の丁寧な物腰は影を潜め乱雑に食器や、食物、酒をあつかった。
そうでもしなければ繊細な光秀は自身の精神を安定させることができなかったのだろう。
そんな風に乱れ狂う光秀を元親は静かに見守っていた。
派手な音が響くことに心配し、様子を見に来た光秀の家臣は部屋から遠ざけた。
きっと彼はそんな自分を家臣に見せることをいやがるだろうからだった。

「もう、私はどうすればいいかわかりません」

途中から暴れる気力も失った光秀は、畳に倒れ付したまま、虚ろな目で呟いた。
その双眸にはいつもの聡明さもなければ、あの夜に固めた固い決意すらない。
ただそこにいたのは世界に絶望し、後悔の渦に深く沈む、そんな一人の男だった。

「己で決めた事であろう」

三味線を弄りながら告げれば光秀は苦しそうに表情を歪ませた。

「私は間違っているのかもしれません。あの御方の天下を誰よりも望んでいたのは私だったのに」
「だが付いていけぬといったのも貴様だろう」
「私が、間違えたのです。あの御方の声が、離れない」

光秀は、両手で視界を覆った。
そして喘ぐように、呟く。


「信長様」


元親も光秀も、光秀が信長を憎むと同時に、尊敬し、愛していたことを知っていた。
そして信長はそんな光秀の気持ちを知りながらもずっと側に置き、試した。
天下を共に争う存在として光秀のことを。
たくさんの命の先に見えた目指すべき天下の相違を見せ、光秀に未来を選ばせた。
その信長を、光秀は越えた。
その事実を信長も評価するだろうし、元親も評価している。だが、光秀はきっとずっと、後悔し続けるのだろう。
自分が心から心酔した男を己で手にかけたことを、この心底甘い男は。
だから元親は光秀の側にいる。
光秀が立ち止まることがないようにと。

「今は眠れ光秀、まだ止まるにははや過ぎよう」

光秀の両手を剥がし、汗で額に張り付いた前髪を払ってやった。
光秀は虚ろな目で、元親を見上げる。
元親は光秀の額に手を置き、目を覗き込むように言葉を、捩じ込んだ。

「もう一曲弾いてやる、光秀、お前のために」

元親の言葉に光秀は少し表情をゆるめ、再び瞼を閉じる。
幼児のような表情に、これが世界を動かす男なのかと元親は感心するとともに呆れていた。

しばらく、三味線で音色を奏で、光秀が寝入ったのを確認したところで、元親は三味線を投げ出し、畳みに仰向けに寝そべった。

―なんとたやすいことか。

乱世は動く。
たった一人の男の不安を煽っただけで、いとも容易く。
それだけの力を元親は持っていたし、同様に光秀も持っている。
ただの一武将だった男が不安にかられ、乱世の英雄を討ち、世は乱れる。
それを駆逐せんと立ち上がる勢力がある。
元親は光秀がこの世界を統べるだけの器量がある男だとは思っていなかったし、実際光秀にそこまでの人望はすでにない。
この世界では忠義に厚くない男は愛されないことを元親は身をもって知った。
信長の亡霊に怯え、信長の意思をつぐものにいつか光秀は滅ぼされるだろう。
しかし、それはそれでよかった。
元親の望みはそこにない。


乱世に翻弄された一人の男の末路を。
辿り着く果てを。

ただ見届けたいだけだった。

儚くも美しく。
そして醜い人の一生を、この美しい男のそばで。


「さぁ光秀、俺にみせてくれ。お前が辿り着く世界の果てを」


凄絶に。
饒舌に。


「その潔くはかなく、美しい散り様を」





それはまるで風に散る桜の様に。
それはまるで風に舞う粉雪の様に。
それはまるで…。





終末の宴
















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