道が分かたれたその先。 貴方が泣かないで済みますように。 幸せを祈る 「俺さぁ官兵衛殿のこと殺しちゃいたいんだけど」 言葉と同時に官兵衛の喉に細い指が絡み付いた。 しかし、官兵衛の手に比べて圧倒的に小さい手では官兵衛の首は覆いきれない。 ただ上より圧迫するような形になっていた。 官兵衛は夜中に自分の寝床にいきなり現れ、首を圧迫しようとする半兵衛に驚きつつもただそのまま動かずにいた。 それは半兵衛の顔がいつもになく真剣だったのと、その指の力が人一人、動物一匹殺すことができそうになかったからに起因した。 半兵衛の顔には血の気がない。 それが怒りのためでも、感傷のためでもないことも、官兵衛は知っていた。どうしようもなく。 「起こしてくれるな、半兵衛、私は眠い」 「俺のことは起こすくせに。かってだよなぁ官兵衛殿は」 半兵衛は呆れたように首をふった。 細く華奢な髪がそれに応じて揺れる。 夜半の城内は静かであった。 昼間の戦や、夕方から夜にかけての戦勝を祝う宴も、まるで幻であったかのように城は静まり返っている。 戸の隙間から入る外気も、あの戦場にある熱を孕んだものとは程遠い。 証拠に半兵衛の身体は冷えていたし、手は暴力的なまでに冷たかった。 寒いだろう、そういおうかと思うが、官兵衛に馬乗りになる半兵衛は動こうとしないのをみて官兵衛はやめた。 下手に気をかけて機嫌を損ねるのも面倒である。 半兵衛は官兵衛の非難めいた視線すら黙殺し、始めの言葉を継いだ。 「ねぇ官兵衛殿俺がいなかったら生きていけるの?」 「生きることなどそう難しくはない、呼吸をすればよいだけだ」 「止めたら?」 「卿がか?」 「そうだよ」 「非力な力では私は殺せまい」 「官兵衛殿は俺がいないと息もできないでしょ?」 「それは卿が自意識過剰だ」 「自意識過剰?俺が?」 一瞬、虚をつかれたような顔を見せ、半兵衛は自嘲気味に笑った そして、半兵衛は官兵衛の上に俯せに寝そべると頬杖をつき、官兵衛の目を深く覗き込む。 「ねぇ官兵衛殿、俺はね、寂しいよ、そして口惜しいんだよ」 「なにがだ」 「官兵衛殿を残して逝くことが」 「官兵衛殿が幸せになれないのを見たくないし、疎まれて殺されるのも見たくない」 「死人に視覚はない」 「そうだけど」 「心配しながら死ぬくらいなら、官兵衛殿、あなたを殺して楽に逝きたいよ」 心配しなくてすむように。 あなたを冷たい土のなかに閉じ込めて。 半兵衛は、そこまで言うと、自分の思考に対してか、薄い反応しか返せない官兵衛に対してだろうかどうしていいのかわからないといった風に官兵衛の胸を叩いた。 弱いその力に、官兵衛は一抹の寂しさを感じる。 官兵衛は、骨張った拳で骨張った官兵衛の胸を叩く半兵衛が手を痛めないように、左手で半兵衛の手を包む。 透明な半兵衛の瞳は、水分を多く含んでいるように見えたが、夜半の薄明かりで見えないふりをした。 「そうしたいならすればよい、私は構わぬ、半兵衛」 囁くように呟いた官兵衛の言葉に半兵衛は一瞬言われた内容が理解できなかったのかきょとんとした表情を見せ、そして顔をくしゃりと歪ませて笑った。 「できるわけないじゃないか、官兵衛殿、あなたは秀吉さまに、そして太平の世に必要な人だもの」 半兵衛は俯いた。 普段より一回りもふたまわりも小さく見える半兵衛に、官兵衛は無性に寂しさをおぼえ、徐に右腕を伸ばし、半兵衛の頭をつかんだ。 そして力任せに自分の肩に引き寄せる。 半兵衛はいきなりの官兵衛の行動に驚いたようだったが、官兵衛の肩口にそのまま顔を埋めた。 熱い呼気が官兵衛の肩口を湿らせる。 「官兵衛殿……」 半兵衛の掠れた声は夜半の冷たい空気にかききえた。 しかし自分は、この男の想いや懸念すら飲み、またこの男の命さえ踏み越え、生きていくのだろう予感があった。 死も厭わずに。 天下太平がために。 それが半兵衛が官兵衛に対して託す夢ではあるが、しかし半兵衛が官兵衛に対して望む生き方ではないことを官兵衛は良く承知している。 そして、そんな生き方をやめられないことを、官兵衛もまた半兵衛もわかっていた。 お節介にも官兵衛を心配し、後ろをついてくる姿を。 窮地に駆けつけた時に見せた安堵の表情を。 お互いに策略を見せ、穴を指摘しあった時の声を。 その思考を。 全て持っていければそれで官兵衛にとっては十分すぎた。 しかしそんなことをいえばまたこの男はおこったような泣きそうな顔をするのだろう。 だが官兵衛は半兵衛を安堵させるための言葉すら持っていないのだった。 絶望的なまでに。 (眠れ、そして全て忘れろ) 私のことも。 卿が悩む私に対する全てのことを。 それだけが私が卿に対して望むことだ。 官兵衛の名前を呟いていたのがいつの間にか寝息に変わった半兵衛の背中に官兵衛はそっと手を回し、やがて失われる命を思った。 material:Sky Ruins |