それが今の僕ができる
唯一の、君への思いの証明





愛のかたち






「官兵衛殿のこと、すごく心配だなぁ」

官兵衛の肩に頭を預けながら、半兵衛は呟いた。
官兵衛はいつものように書に視線を落としたまま微動だにしなかった。
しかし、微動だにしないのは官兵衛が肩にかける羽織に潜る半兵衛が羽織の外にでないようにという官兵衛の配慮である。
そんな官兵衛を微笑ましく思い、半兵衛はより、官兵衛にすり寄った。

夜半の城内は酷く静かである。
今が乱世だと言われても嘘だと言いたくなるくらいに音がない。
しかし、それすら半兵衛に対する官兵衛の、ひいては豊臣軍の配慮なのだと半兵衛は気付いていた。
半兵衛に気苦労をかけないように、静かに眠れるように、そういう配慮だ。
多分、軍義をしていたら、顔を突っ込みたくなる半兵衛を思っているのだろうが、幸い、半兵衛にはそこまでの体力は残っていなかった。
昼間も特に活動しているわけでもないにも関わらず、夜にはどろりとした睡魔に半兵衛はとらわれている、どうやらもう、長くはないようだった。

しかしそのような変化の中で変わらなかったのは意外なことに官兵衛であった。
皆が敬遠し、そして腫れ物に触れるように丁重に半兵衛を扱うのに対し、官兵衛は病に倒れる前とまったく変わらない様子で半兵衛に接していた。
ずけずけと半兵衛の居室に入り、自分の策略をずらずらと並べ立てる官兵衛に、半兵衛は官兵衛には見た目通り感情が希薄なのかと本気で疑ったときもあったが、それが官兵衛なりの気遣いなのだと最近、半兵衛は思えるようになった。
居室に眠り、起きるだけの半兵衛が、世の時勢から取り残されないように。
そしてそんな自分に半兵衛が無力感をかんじないようにと。
そして同時に官兵衛には半兵衛しかいないのだと思わされる。
ともに天下を語る相手も、軍略を語る相手も、何もかもが官兵衛には居ないのだ。
だから、半兵衛は不安になる。官兵衛が、自分がいない世で、生きていけるのかと。
そして太平の世が来たとして、官兵衛は寝て、笑って生きていくことができるのかと。

「死にゆく卿に心配される謂われはない」
「だって、官兵衛殿殿友達いないじゃない」
「そんなものは不要だ。情は人の判断を鈍らせる」
「うんしってる、でもさーそれは真理なんだけれど、それでもこの世界では、その情をうまく使いこなした人が出世するんだよ」
「………」
「で、官兵衛殿はそういうの苦手じゃない。だからきっと秀吉さまをうまく導いてくれるだろうし、豊臣をうまく導いてくれるんだろうけど、でも皆に嫌われて、最後には一人で誰にも悲しまれずに死んでいくんじゃないかと俺としては気が気ではないわけ」

半兵衛は、微かに、しかし確かに官兵衛の匂いを含む羽織をぐいと引き寄せ、官兵衛の膝の上にたおれこむ。
そのまま官兵衛の肩からずり落ちた羽織は半兵衛をつつむ。
官兵衛はそんな半兵衛に具合が悪いのかといったような心配そうな視線を投げ掛けたが、半兵衛が口角をあげて微笑めば、ばつが悪そうに目をそらせた。

ああ本当に不器用な人だ。
だから心配で仕方ない。
そしてだからこそ。

「かんべーどのー」
「…………」
「官兵衛殿って火種消しに奔走してるけどその実、誰よりも太平の世を望んでいるのに、周りにまったく理解してもらえてないよね」
「…………」
「官兵衛殿はこんなに優しいのになぁ」
「…………」
「ねぇねぇ官兵衛殿」



「俺の事忘れていいからね」



その瞬間、官兵衛の身体が僅かに強ばる。
ああ、官兵衛ったら本当に不器用なんだから。
半兵衛は緩く微笑むと、体を起こし、まっすぐに官兵衛に向き合う。

「官兵衛殿、官兵衛殿は俺以外の人を愛して、俺以外の人を抱いて、俺以外の人と幸せになってね」

だって俺は今からあなたのすべてを奪うから。
あなたの一番の理解者も。
あなたの一番の好敵手も。
あなたの死を唯一悲しむ人も。
あなたは全部を俺から奪われるから。
俺はそれで満足だから。
だから。

「努力して、人を愛して」

官兵衛はいつもの青白い顔から一層に血の気が引いているようだった。
ああ、本当に仕方ない。
半兵衛は苦笑する。
天才軍師の癖に。
誰にでも愛されてしかるべき人なのに。
だから、置いていくのだ。
官兵衛殿は自分といたら永遠に幸せになれないのだから。

彼の感情は、半兵衛が持っていた。
官兵衛が捨てた感情は半兵衛が持っていた。
感情を排した合理的な思考も、半兵衛がいたからこそ、いきたものとして戦場で動いていた。
しかし、半兵衛がいない世界では彼はきっと自分の力を発揮できない。
情に熱い豊臣の家臣とは完全に相いれない。
疎まれ、避けられ、嫌われて。そんな官兵衛の不幸を、半兵衛は望まない。
だから、自分は消えなくてはいけない。
そして情を何よりも厭うこのひとに、人として生きてもらわなければ、そう思うのだ。


それは彼にとって何よりも難しいことだと知りながらも。


「半兵衛、卿は」

官兵衛の口が動くその一瞬前、半兵衛は動いていた。
官兵衛の言葉を聞けば覚悟が揺るぎかねない。
そう感じた、だからこそ半兵衛は官兵衛の言葉を聞きたくなかった。
そのために、そのためだけに半兵衛は官兵衛の唇を塞ぐ。
本当は忘れてなどほしくなかった。
いつまでもいつまでも自分だけを見ていてほしかったし、自分だけの官兵衛殿であって欲しかった。
しかしそう言えば官兵衛はそうしただろう。
努力も、自分の思考も何も変えずに、そのままにするだけでいいのだから。
官兵衛は自分の力で幸せになれない人間だ。
だからこそ、半兵衛は官兵衛を捨てるのだ。
薄くて血色の悪い官兵衛の唇は見た目通り固くて、弾力がない。
それでも、僅かに伝わる熱に、半兵衛はああ、官兵衛殿と唇を重ねたことは今までついぞなかったなぁと場違いなことを思う。こんなに愛していたのに。


そしてこれが最後であろうことも。


「官兵衛殿」

半兵衛は左手を官兵衛の肩に置き、人差し指を官兵衛の唇の前に立てる。

「俺はちゃんと見ててあげる、官兵衛殿がちゃんとこの世をみんなが寝て暮らせる世にするところを、そして、官兵衛殿がちゃんと幸せになるのを」



「そうじゃなかったら、俺のところに来るの、許さないからね?」





小首を傾げて、可愛く笑う。
官兵衛はそんな半兵衛に心底理解が出来ないというような表情を作り、居室を出ていく。
扉の向こうに消えたのを見届けてから、半兵衛は残された羽織を胸に抱き、床に寝ころぶ。







「さよなら、官兵衛殿」










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