春夏秋冬
めぐる季節
でもこの世界にそんなたくさんの季節など必要ないのだ。





最初で最後の青春






もう既に太陽は西の地平に没して久しい。
道路を挟んで向かい合う街路樹と街灯は交互に地面に影と光を作り出していて、ときどき車のヘッドライトがその間を通り抜けていく。
いくらか温度を下げた風が、街路樹から茶色の葉っぱをさらっていく。もうすぐ冬だなと歩道を覆う葉を踏みしだきながら伊月はマフラーを直した。
静かな帰り道だった。
普段であれば全員でふざけながら肉まんでも買いながら帰ったり、水戸部や小金井あたりと駅まで帰るのだが今日はどうしてか様相が違う。
隣を行くのは、誠凛の監督、相田リコだった。
相田こそ。普段はキャプテンの日向や木吉と帰っているはずだったが、今日はなぜか一緒に帰る羽目になっていた。
中学校時代はそういうこともよくあったが、最近はなかったような気がする。
そんなことを思いながら、角を駅の方に向かって折れた瞬間だった。

「本当に、馬鹿ばっかり」

急に吐かれた暴言に伊月は驚いて隣を見やった。
夜闇に沈む通学路にはしかし、隣を行く少女以外に人影はない。
さすれば、彼女から発せられた言葉以外の何物でもないのだろうなと伊月はぼんやりと考えた。
彼女は先ほど自販機で買ったホットのココアを大事そうに手で包みながら、それでも憂鬱そうな表情で前方を見やっていた。
そして深く深くため息を吐く。
そんな彼女の横顔に伊月はため息をついたら幸せが三つ逃げるらしいよとか声をかけようかと一瞬考えたがやめておいた。
普段なら氷点下の視線が飛んでくるか殴られるかするところだったが今日はもっと違うことが起きるような気がしたからだった。
伊月が何も言わないことに特に気にしたようでもなく、彼女は独り言のように言葉を継いだ。

「日向君も、鉄平もみんな馬鹿」
「日向の馬鹿っぷりが昔から変わってないのはカントクが一番知ってるだろ」
「わかってるけど、中学校の時の日向君はただのバスケ馬鹿だったじゃない、でもいま違うでしょ」

『まだ練習するのかよ』
『うるせえな、ただでさえ弱小なんだから練習量でカバーするしかねえだろうが』
『やりすぎると体壊すわよ』
『ダァホ、俺はそんな軟じゃねえよ』
中学校の時そんな会話を毎回のように交わしていたような気がする。
一度も勝てなかった、それでもそうやって努力し続けることは日向にとっても伊月にとっても何の苦にもならないことだったのだ。
バスケが好きだった、ただそれだけだった。それだけが行動原理であり、すべての推進力だった。
勝敗なんて二の次で、キセキの世代に勝つとか大言壮語を振りまいて、それでもそれでよかったのだ。
でも今は違う、バスケは今でも楽しい。勝つために努力して本当に勝利を引き寄せて。
でもそれだけではない原動力が今、このチームは働いている。
それは強く、強くこのチームを前へ前へと推し進めていく力だった。
その原動力、中心に佇む男を伊月は思い浮かべる。
いつもへらへらと笑っていて、それでもすべてを見透かしている男。
チームのために的確なアドバイスを与え、みんなを鼓舞し続ける男を。
仲間を守り、仲間のために戦う男を。その才能と体格の大きさからチームの司令塔として自分たちを支え続ける男を。
そして、その男が固めた覚悟と、背負った運命を。そのために日向が決めた方針を、決意を。
伊月は思い浮かべていた。

「日向君、本当に鉄平馬鹿なんだもの」

諦めたように彼女は微笑む。

「しかも日向君だけじゃない、黒子くんだって、鉄平のためにオーバーフロー使っちゃうし」
「黒子の場合は木吉だけのために使ったわけじゃないけどな」
「判ってる、でも黒子くんだって今年に執着しすぎなの」

火神くんだって、黒子くんだって。一年生だってそうよ。
みんな今年にかけすぎてる、まだ来年も、一年生には再来年だってあるのに。
本当にみんなこのWCしか見えていないんだもん。
そこまで一気に呟くと、彼女は手を伸ばし、伊月の制服の袖をつかんだ。
力の方に振り返ると深刻な表情をした彼女の視線とかち合った。
夜闇と街灯がまじりあってその白い肌には悲愴以外の何物も落ちてはいなかった。
自分は今どんな顔をしているだろう、伊月は気丈な彼女が見せる弱さに自分の弱さも露呈しているのではないかという気になる。
それだけ彼女の言葉は的を得ていた。的を得すぎていた。
みんなが漠然と不安に感じていて、それでも言葉に出すことをしなかった、その言葉を彼女は口にしようとしている。

「ねえ、伊月くん」
「なに」
「来年、どうするのかしら」
「そんなの来年考えればいいんだよ」
「怖いのよ」

「全員一緒に、鉄平と心中しちゃいそうで」

彼を欠いた後のチームなんて、想像ができないの。
今までずっと彼が帰ってくる想定でチームを組んできたし。
今だってそう。彼がいないチームなんて考えられないの。

「それに特に日向君が」
「ああ、それはわかるかもしれない」

特に日向は全面的に木吉を信頼していた。
木吉がいる試合では日向のジュート成功率は格段に跳ね上がる。
本人は絶対に認めないだろうが、日向に木吉が必要なのは見ていて明らかだった。
コートの上でのゲーム構成の支えとしても、日向の精神的な支えとしても。
それは悔しいけれど、伊月では到底できないことだった。
中学校の三年間、自分は日向をずっと支えてきたつもりだった、技術でも彼を支えることができるように最大限の努力をしてきたつもりだった。
それでも自分は彼に何も与えることができなかった、それどころか影響すら与えられなかったのだ。
一番彼のことを知っている自分が彼をコートに連れ戻すことができなかったように。

(だけどさ、俺的には、カントクのことも心配なんだけどな)

彼女も日向に負けず劣らず木吉に全幅の信頼を置いていた。
直接、全国一位の約束をしたわけではないにしても、彼女はその約束を達成するために相当の情熱と時間を費やしてきた。
おしゃれだって、友達と遊ぶことだってしたいだろうに。
選手になれずに、ただコートの外から惜しみない支援をしてくれた彼女のモチベーションがどこにあるのか問えばそれはきっと。
伊月は目を伏せた。

願わくば。
自分にはきっと、また何もできないだろうけれどただ一つ、祈っている。

(みんなが涙を流さなくてすめばいいのに)

そのためには一分一秒でも長く。
この形でチームがありつづけられるように。
そのためには一試合一クオーターでも長く。
このチームで闘い続けられるように。
そのためには一球でも多く。
パスを繋いで、シュートを決めていけるように。
そして。

強さを極めて、約束に向かって全力を尽くす寒い冬。
全員が笑顔で、走り続ける寒い冬。
もうこれ以上などこのチームにはきっとない、そう思ってしまうくらいに。
やっぱりこの学年が、このチームが何よりも大切なのだった。
たしかに、彼女が言うように俺たちは馬鹿だ、と伊月は苦笑する。

彼女は伊月の制服から手を離すと、夜闇に一歩踏み出した。
もう表情は見えない。
それでも彼女がゲン担ぎに伸ばしている髪の毛が、ふわりと揺れ、光を放つ。


「あー時間が止まればいいのに」
「奇遇だね、同じこと思っていた」


冬の先に春が来るなんてきっと嘘なんだろう。
花が咲き乱れる再生の季節なんていらないから。


この灰色の季節の中でずっと笑っていられますように。











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