バッシュが、体育館の床を噛む。
鋭い音ががらんどうの体育館に反響する。そこに沈む身体。緩やかでしなやかな、それでもキレのある動きに引き込まれる。
深く落ちた腰、そしてばねのように跳ね返る強靭な膝。美しいフォーム、綺麗な指先から放たれるバスケットボール。
高く高く、ボールが弧を描く瞬間、いつだって高尾は呼吸すらも忘れそうになる。
完璧なシュート。バスケットゴールにオレンジのボールが消えた瞬間、やっと体育館には時間が帰ってくる。
もう、何度このシュートを見ているのだろうか。
高尾はそう思い、天井を仰いだ。
今日も練習が終わって、チームメイトが一人一人と帰っていく中で、彼は脇目も振らずにずっとゴールと対峙していた。
始めは興味で本数を指折り数えていた。綺麗な放物線、ネットを揺らす、小気味の良い音の回数を。
しかし、50を超えたところで高尾は数を数えるのを放棄した。
そして気が付けばすでに体育館には自分と彼しかいない。チームメイトは呆れた様な視線を彼と、そして自分に向けながら帰ってしまっていた。
酔狂だった、そして異常としか言いようがない。
彼は時々コートを横切り、立ち位置を変えていたが、スリーポイントシュートのラインだろうが、ハーフコートのラインだろうが、はたまたコートの端からだろうが、寧ろコートのどこでゴールに対してどんな角度であろうが、シュートを外さなかった。そこには一つの例外もない。
寧ろリングにすら触れない。まさに百発百中。流石にここまでの精度でスリーを決めるシューターを高尾は知らなかった。そしてこんなに美しいシュートを放つシュータのことも。 高尾はこの綺麗なシュートが好きだった。美しいフォームから放たれる美しいシュートを、もっと言えば愛してさえいた。
それは、確かに他校の選手が使うようなゲームの流れを引き寄せる豪快な力は持っていなかったけれど。
あの激しい試合の中、正確無比に放たれるシュートと、たとえどんなに激しい試合の中でも、何の関係もないと言わんばかりに作り出される静謐な静寂。
それを高尾は、愛していた。

繰り返される、バッシュが床を噛む音。
しなやかな体の動き。
柔らかく動く手首。
綺麗な放物線を生む指先。

そして、高尾は彼のシュートを愛するのと同時に酷く悲しくも思っていた。
それは、彼が、微かに、本当にほんの僅かに楽しそうにするのは、自分のシュートが入ったあの瞬間だと気が付いてしまったからに他ならない。
ナルシストなのだと、思っていた。天才と呼ばれる人間が一般的にそうであるように、彼もまた自分の技巧に酔っているだけなのだと。
確かに、彼のシュートは美しい。そんなの分かっている、自分だってチームメイトだって。そして敵として対峙した高校だって同じ思いだろう。
だからこそ、妬み、拒絶していた。それは彼が自分たちを仲間だと思っていないと気付くよりももしかしたら早かったのかもしれない。否、早いも何も名前を聞いたその瞬間からきっとそうだった。
キセキの世代、緑間真太郎。学年も何も関係なく、彼が中学校時代君臨した三年間と時期を共にした人間だったらそれこそ例外すらなく。
それは結局、高尾ですら同じだったのだから。

もしも、と高尾は思う。
もしも、誠凛と戦っていなかったら、自分もきっとそう思い続けたに違いないのだろう。
きっと、今だって。

『緑間くんは、天才じゃありません』

ふと、高尾は夏の合宿の時に交わした会話を思い出していた。
夜、海岸を散歩していた時、ふと後ろに気配を感じて振り返った先に彼はいた。
元、緑間真太郎のチームメイト、黒子テツヤ。
月光の下で、深く影を帯びた彼は普段の影の薄い人畜無害そうな姿とは一変、影をつかさどるにふさわしい程、強い存在感を放っていた。
最も、それは普段に比べての話で、実際には自分でなければ気が付かなかったのではないかと思うくらいには影が薄い。
彼は、まっすぐに高尾を見つめていた。その視線と、彼の口からこぼれた言葉に高尾は首を傾げた。

『天才じゃ、ない?』
『ええ』
『緑間くんは天才と呼ばれるために努力をしている人間なんです』
『天才と呼ばれるために努力・・・?』
『だって、キセキの世代って呼ばれたら、天才じゃなきゃいけないじゃないですか。天才じゃないとキセキの世代じゃないんですよ』

彼は、高尾の様子をうかがうこともなく砂浜をすたすたと歩きだした。
波打ち際ぎりぎりを歩く彼の足跡を波がさらって消していく。
高尾は、ただ何も言わず、その横に並ぶ。月光が、海面に揺れ、彼の横顔を照らしていた。
相変わらず、その横顔には感情の起伏や表情は読み取れない。こんな話をする意図すらも、高尾は図りかねていた。
否、図れないふりを、していたのかもしれない。
そんな高尾を無視し、黒子はまるで独り言のように、言葉を続けた。

『たしかに緑間くんは普通の人からしてみれば運動神経もいいし、体格にも恵まれていますけど。でも青峰くんや黄瀬くんとは圧倒的に違うんです』
『・・・』
『彼らはろくに練習すらしなくても最強でした、本当に天才っているんだと僕は愕然としたのを覚えています』

眩しさに目を細めて、誇りにも思って、それでも疎ましいくらい、天才でした。
そう彼は苦笑した。

『でも、緑間くんは、違います。緑間くんは誰よりも努力をしていました。それでも自分の力を絶対視できるほど強くない。だから運命論や占いを好むようになっていきました。キセキの世代は、すべて自分の行動の責任を自分の実力、寧ろ才能に求める集団でしたから』

思えば。
始めから、違和感はあった。
天才と呼ばれる人間が誰よりも遅くまで残って練習をするのだろうか。誰よりも努力をするだろうかと。
そして、占いにあんなに執着をするのだろうか、そう思っていた。
高尾が知る天才とはそれとは正反対の人種がほとんどだった。自分の実力を過信し、練習は適当に流すだけ。しかし試合では、誰よりも圧倒的に実力を発揮する。
だから疎まれ、迫害される。
しかし、緑間は違っていた。確かに、変人だったし、協調性も皆無だった。だが、本質はいつもバスケに対して真剣だった。
手を抜かない、常に最善を尽くす。その上にあるあの美しいフォーム。美しいゴール。
敵を圧倒するその力。
しかし、彼はずっと一人だった。それは秀徳に来る前からきっとずっと。
それはきっとキセキの世代が個人主義の集団だということに起因しているのだろう。
チームプレイなど必要ない、個人技の祭典。負けも全て自己責任の上にあるもの。それは、同じ時代を生きてきた高尾が彼らの試合を見て、実際に戦ったその中で自分の肌で嫌という程に感じた感覚だった。
その中で才能を持たなかった彼は、自分を過信できるほどの才能を持たなかった彼は、チームを信じることのできなかった彼は。
「人事を尽くして天命を待つ」「運命」、そしてあの信憑性も何もない、娯楽としての占い。
他のものに自分の行動の根拠と理由を求めたのだとしたら。
それはあのいくら美しいシュートを打てる最高のプレイヤーだったとしても、ただただ悲しいとしか言いようがない。
そしてそれはきっと今も同じで。

高尾の瞼の上には、常に集団から一線を画した場所で佇む彼の姿が、試合中にどんなに素晴らしいプレイをしても決して笑わない彼の姿が浮かんでいた。

図らずとも眉根を寄せた高尾に、黒子は首を傾げた。
そしてくるりと踵を返すと、再び、高尾の目をまっすぐに覗き込んだ。
深いのか浅いのかわからないその瞳の中には、それでもなにもかもを暴き出されているような気分になる。
それは、緑間への同情に近い感情と、抱いた悲しみの色さえも。

『でも、緑間くんはきっともう大丈夫です』
『なんで』
『あなたがいるから』

『そして、秀徳があるから、です』

僕に誠凛高校があるのと同じように。

そういって彼は笑った。
それはきっと、帝光時代には見せなかったのではないかと思うくらいに、影として異名をとる彼にしてはすがすがしい笑顔だった。
そして高尾は思い知る、彼もきっと変わったのだろうと。

(あんなこといわれちゃったらさ)

見捨てられねーじゃんな。

高尾は、苦笑した。
全く以って、大概自分もお人よしだった。
強情で一人になりたがりの変人と、優秀すぎる後輩に嫉妬する上級生の橋渡しなんて、どう考えてもめんどくさいに違いないのに。
気付けば、それでも彼に関わり続けている、チームに場所を作ろうと躍起になっている。
自分から貧乏くじを引いている。それも誰に頼まれたわけでもないのに。

そう、緑間真太郎本人に頼まれたわけでもないのに。
寧ろ本当に彼がそんなことを望んでいるかもわからないのに。

高尾は一つため息を吐くと、立ち上がった。
そして、コートを横切るとシュートを打とうとしている緑間の隣へと行き、ボールを上から抑える。
投げられなくなった緑間は明らかに不快そうな表情を作り、高尾のことを鋭くにらんでいたが、高尾はそんなことは気にせずにボールを両手で取り上げた。

「真ちゃん、そろそろ帰ろうか。腹減ったし」
「さき帰っていろ、待っていてほしいなど言った覚えはないのだよ」
「はいはい、でも今日の蟹座のラッキーパーソン、俺の星座だよ?真ちゃん一人で帰ったら事故るんじゃないの」

くるくると指先でボールをもてあそびながら不敵に笑いかけると、緑間は不機嫌そうに、それでも踵を返し、鞄を肩にかけた。
そのまま体育館を出ていこうとする緑間に、おいおいお前が好きで残ってたんだから片付けくらいしろ、と毒づきながら、高尾はボールカゴにバスケットボールを投げ入れた。
そして、その背を追いかける。

それはもしかしたら自己満足以外の何物でもないのかもしれない、それでも。
いつか、願掛けとか神様とか運とか。
そんなのこのチームが、チームメイトがいれば関係ないと俺たちの輪の中で笑う君が見ることができたら、なんて。
そんなことを思ってしまう自分は大概彼に甘い、そういう風に思ってしまうくらいには。
彼のことが大切なのだった、悔しいほどに。


夜空にはあの日見たのと同じ、柔らかい光が浮かんでいる。





それは途方もないロマンチシズム
















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