わかっているんだ。 でも。 それでも、どうしても… 《涼風の矛先》 影が校門を越えて行く生徒の足下に纏わりついているような時間 緩い風に教室のカーテンがはためきその隙間から見える夏の空は無駄に綺麗な色をしていて乾いている 窓から見下ろす世界は水分が足りないのか、ああ、俺の水分が足りないのか乾いて白黒に見えた 蝉の声が暑くてだれている脳髄に潜り込み酷く騒ぐ 耳を塞げば良いのだろうがそうしたら声が聞け無くなる でもどうせ同じか 夏は嫌いだ 暑いのもそれに対して涼しい表情でワザと難しい単語を並べる彼も 全部… そして何よりもこの状況 「あちぃ…」 顔を、右頬を机にそっとつけた 少しだけ木製の机の表面は冷たく感じる しかし左頬に日溜が出来るのも感じた 窓際の席からはなれれば良いのだろうがそんな元気はないし、目の前に座る人間は俺が動いたところで一緒に移動してくれるような人間でもない 理由と利益が彼の中でウエイトを占める事柄だから 「暑い暑いといってたら余計に暑く感じますよ」 「三回言ってんのお前だろぃ…」 その通りですね、という代わりに彼が少し笑う かた、と椅子が動く音がした 目の前を影が走る、彼の腕のラインと同じ影が そして引かれるカーテン 世界の明度が一気に低下する 防炎加工された厚手の白いカーテンを僅かに透過する太陽光だけが光源となった 頬の日溜は消え、残った太陽熱がひりひりと火傷をしたように感じた なんでこいつはこんなに優しいのだろう… 胸を塞がれるような愛しさと切なさを溜め息に転換する うまくいったかはしらない とにかく彼は微笑んだ 「体感温度はこれで下がりませんか」 「あんまりかわんねぇっつの」 「仁王くん遅いですね」 「暑い」 「何がそんなに長引くんでしょうか」 「暑い」 「昼御飯、何食べに行きますか?こんなに待たされてるんですし何か奢ってもらったら如何ですか?」 「暑い」 4回目ですよと彼は溜め息をついた 耳を塞げばいいのだろう 耳を塞げばその単語と響きを聞く必要はない でも出来ない もしかしたら…そう…もしかしたら… と、髪が流れた のろと顔を上げると左手で頬杖をついて彼が下敷きを右手で扇いでいる その涼風の矛先を全部俺に向けて 優しい表情で 「柳生」 「なんですか」 「…サンキュウな」 「構いませんよ」 柳生は誰にも優しいんよ ふと、今一番聞きたくない声の男の言葉を思い出す その言葉の意味をやっと実感した気がした でも安心しろよ お前に向く優しさと俺に向くのじゃ種類が違う 泣きたくなるほどの相違がそこにはある 「柳生」 「なんですか丸井くん」 体を起こして腕を彼の首に絡ませる あまり特別異常な行為ではないから柳生はそのままにする ノートとか教科書とかお菓子とかをねだるときの日常的行為 それが八割方の柳生の認識 幸か不幸か… 「丸井くん、暑い」 それでも涼風はそよと俺の首筋を擽る 「丸井くん、暑いですって」 廊下を上履きを引き摺るように歩いて来る音がした 柳生の意識も少しそちらに向きかけている、涼風が少し弱くなった 少し力を入れ直す 彼の意識が少しこっちに戻る 彼は見抜くだろう いつも懐くように柳生の首に腕を絡める人物の違う感情の発露の上での行為だということに 死に神の歩み寄るかの如く、残酷にその足音は廊下に反響する あと…もう少し でもあと…もう少しだけ この首筋を擽る涼風と彼の意識の矛先に 俺を… **end** |