今、この瞬間だけでも・・・せめて


《帰り道》


日はまだ高かった。
車内に入り込んで来る太陽の光は少し陰って来てはいたがただ無遠慮だった。
後ろから二両目の電車。
俺たちの街へと運んで行く金属の箱。

車内に大して人は居なく空席もちらほら見受けられた。
昼時もだいぶ過ぎでもラッシュまではまだある。
いつもとはだいぶ違う帰り道。夏休みだけの景色だ。
それなのに俺達は進行方向から見ると二つ目のドアのところに向かい合って立つ。
何時もの立ち位置。(尤もいつもの帰宅時間は人が多いからいつものようにとは行かない事がしばしばあるが)
彼は進行方向に背を向け左肩をドアに凭れさせ、俺は進行方向を向き右肩を凭れさせる。
彼は窓の外を眺めて居る。
まだ明るい外の世界は彼の顔を照らし、浅い陰影を刻んだ。
特に表情を浮かべて居るのではないその人はそれでもどこか優しさを漂わす。
それは彼に付随する言わば性質のようなものでたぶん本人が意識しても消えはしないのだろう。
彼は優しい、それは無意識だとしてもはたまた意識的だとしても優しいとしか言う事は出来ないだろう。
しかしそれは故に残酷だとも言う。

今俺達が立って居るドアは俺の駅で階段に一番近い地点。
これは意図的な彼の優しさ。
俺の駅の方が手前にあるから彼はどのドアが一番都合がいいかを知っている。
それに対して俺は知らない。

本の虫の彼は俺と居る時は本を読まない。
これは無意識的な優しさ。
この前まではそれが嬉しかった。
でも今は只焦燥を駆り立てるだけの事象。

先日の放課後の教室の光景がフラッシュバックする。
夕闇に犯され始めた教室。
窓の傍のいつもの席。
背を伸ばして机の上に手を載せて本を読む彼の見慣れた姿。
そしてその前の椅子を後ろに向けて、彼の机に伏せているもう一人。
夕陽の赤。
それによって染められたオレンジの髪と。
それを気にした様子の無い、文字だけを追う彼と。

声を掛けられるまで、立ち尽くした俺と。

窓の外の町並み。
毎日見慣れた景色。
年々、いや、日増しに増えていく高層ビルと、減っていく緑。
そろそろ大きくカーブを切るはずだ。
がらがらの車内、さっきは先頭車両の運転席まで見渡せたのが、今、車体がカーブを描いているのが良く判る。
立っている人は殆ど居ない。

声を、かけようとし、飲み込む作業を繰り返していく。

『なあ、身長ってどうやったら伸びる?』

牛乳飲んで、運動して、早く寝たって伸びない。
赤也にさえ抜かれたのは、流石に泣ける。

『なあ、柳生って呼ぶようになったのに気付いてる?』

きっと気付いている。
でも多分指摘するに値しないから彼は触れないのだろう。

『なあ、どうなったら』

対等に扱ってくれるのだろうか。
後輩や、弟に向けるような優しさではなく・・・。

あの夕陽の教室の光景が網膜に焼き付いて離れない。

さっきから、彼は俺に視線を向けては来ない。
自発的に会話をすることを好むような人間ではないのも確かにあるだろう。しかし。

今何を考えている?

胸が痛む。 本を読んで居てくれて居た方がいくらか楽だろう。
気を使って本を読まないのなら気にしないで良いのに


排除してくれよ
今は、今だけは、アイツの事だけは


いくら背伸びしても足りない
彼があいつの見てくれに外面的性質に惹かれている訳でない事は判っている
それでも一つの小さな可能性として彼に対抗できるとしたら否、追いつけるのだとしたら…

前で外の景色に意識を傾けている人物に視線を移す

均衡を破る勇気もないくせに
それなのに彼の目に映る彼に対抗する
せめて…そうせめて…


please, clear him from your mind…please…only now…


**end**

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〜051223分の拍手から再録。
お題を使ってしまっていたので、拍手の場所ではなく、此処に。