じくじくと鬱屈とした痛みが広がる。 偏頭痛持ちでも何でもない筈なのに最近断続的に頭痛がする。 原因は判って居る、否定する余地すらない。 痛みから逃れようと瞼を閉じても脳裏に浮かぶのは彼なのだ。 更に悪化する。 悪循環、早く救い出してと切に願う。 喫煙をやめた。 一番気付かないだろうと思った男に指摘された。 自分が愚かであったのか彼が無駄に鋭い感性を持っていたのか、気付かれないように装うことすら出来ぬほど余裕が無かったのか。 「増えただろう?」 装うことすらしなかった。 一瞬、体重なら寧ろ減ったと軽口を叩こうとしたのを笑顔に変える。 彼は裏切りと誤魔化しを嫌うから。 「前の頻度程度なら見過ごしても良かった・・・だか」 「やめます」 直ぐにでも、そう笑えば彼は眉を深く顰めた。 屋上の少し熱を帯びたコンクリートに体を投げ、数日前に交わした会話をなぞってみる。 時折、歯の裏に残る甘く痺れる味をなぞりながら。 思考を辿れど、そこに切れ目が生じる限り、慣らされた痛みはまた脳髄を駆けて行く。 制服のポケットを辿り、レモン味の喉飴を口に放り込む。 舌へと伝わる鈍い痺れは脳を駆ける鈍い痺れと同調して咽喉の奥へと落ちていく。 深く息を吐けば、一瞬だけ痛みは破棄された。 一瞬だけ。 流れる雲を追っていけば気付いたときに口の中からレモンの爽やかな後味は消え去っている。 こんな無駄な消費を止めて命を削れば簡単にこの痛みと思考をやり過ごせる。 彼の纏う匂いを纏えばそれで。 彼にこの無意味を意味あることに変えてもらえるように? 少し離れたところに投げてある煙草のパッケージ。 それに手を伸ばそうと、した。 一瞬の開放に身を窶そうと、した。 しかしそれは妨げられた。 そこにあるのは強い力で踏みつけられる自分の手の甲。 耐え切れずに、一瞬、痛みが喉を突いた。 その足の主は、その力を全く緩めようともせず、寧ろ、一層にその力を込めて。 「中毒・・・やねえ?柳生?」 ぐぐとかかる体重に唇を噛んで痛みをやり過ごす。 しかし、それは自分をいつも苦しめるものとは性質が違う痛み。 正しく力学的に、実体を持ったものが与える肉体的苦痛。 そんな柳生の様を見、仁王は意地悪く微笑んだ。 低く、声を上げて。 「はは・・・お前さんが依存するとはのぉ?なあ?」 足を、退ければ、柳生の甲にはくっきりと赤い痕が残った。 摩れどもそこに付いた凹凸も赤い刻印も消えそうに無く、柳生はため息をつき、仁王を睨み付けた。 仁王は肩を竦め、知らないというようにゆるゆると首を振る。 「依存しているのではない」 「なして嘘吐く?依存してる」 「手段でした、手段ですよ、手段」 「結果的に依存していたことは否定しませんけど」 「手段ねえ?」 なんの? 「言ってしまえば二番煎じが通用しなくなる、だから言いませんよ」 「俺が詐欺師なら、お前は虚言使いってところじゃね」 でも、まだ、下手糞。 仁王はひしゃげた柳生のタバコの箱を取り、一本をそこから抜き取った。 そこに浮かぶ笑顔を、柳生は見逃さなかった。 自分の企みが成功したといわんばかりの満面の笑みを。 ああ、しっかり自分は、彼の企みの中に居たのだと、そう気づき脱力した。 今までの強がりも、真田への裏切りも、柳との会話も全てが、そう、仁王の計算の元。 くるくると、巡って回転して、ゼロへと帰す。 「嫌な人」 「褒め言葉じゃよ?紳士様?」 仁王は柳生の胸ポケットからライターを取り出した。 全く同じその形と色に、仁王は目を細め、楽しそうに、火をつける。 深く深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。 紫の煙が幾何学模様を描きながら空へと駆け上がっていく。 ああ、こんなに穏やかに立ち上る紫煙を見たのは初めてかもしれないと、柳生は自覚しながら。 青空、風のない、屋上。 「仁王くん、私にも」 「禁煙は?」 「明日から再開します」 仁王は半分まで吸った煙草を柳生に差し出した。 柳生はそれに手を伸ばすべきか一瞬逡巡する。 最後の譲歩点。 ここを越えたらきっともう戻れない。 たどり着く先は、どこか。 後一歩で越えられる最終境界。 一瞬自嘲した。 彼に惹かれた時点で、多分戻れないだろう自分に気付いてはいたから。 そうそれはきっと、 ただひたすらに今更な選択。 仁王の手から煙草を受け取り、虚空に息を吐く。 ゆらゆらと揺れる紫煙の中に、さっきまで感じていた痛みは溶け出したようだ。 もう、感じない。 「やはり」 「ん?」 「体が洗われる」 それはよかったと、仁王は今度は優しく、優しく、 笑った。 ***** 特に約束も誓いも何もしないで、寧ろ言葉も何にもなくて。 こんな感じで付き合い始めれば良いナと思います。 これ読んで村上春樹好きと気付いた人が居たらいいなあ・・・ |