笑 顔の懺悔 「長太郎、お前本当にいいやつだよな」 夕闇に侵された部室で片付けをしながらふと、机の上に残されていたペットボトルを見て昨日の彼の言葉を思い出した。 闇に沈んだコートに座り込み、汗を短い髪の先の方から滴らせながら彼はとても穏やかに、笑った。 その笑顔に自分は一瞬動きを止めてしまった。 両手は今しがた自動販売機で買ってきたペットボトルで塞がっていたが、今すぐにそれを捨ててしまいたくなった。 泣きそうに、胸が軋み、そして背中を冷や汗が駆け降りる。 それでも、どうにか口角を持ち上げ、笑顔を作った。 言葉に少しびっくりして、照れくさそうに笑う、自分を演じるために。 「そんなことないですよ」 「そうかあ?」 「そうですよ」 そういって、右手に乗っていたペットボトルを差し出す。 すっかり外気に長く触れた所為でペットボトルは結露していて、自分の指はすっかり滴に濡れていた。 そこに、彼の指が触れ、一瞬雫を介して体温を感じたように思い、慌てて手を放した。 そんな自分に気がついた様子も見せず、彼は受け取ったペットボトルのラベルを見ると嬉しそうに、さんきゅーな、ともう一度、笑いかけてくれた。 その笑顔に自分は思わず顔をそむけ、いいえ、と口ごもる様に返した。 闇に沈んだ中、唯一ライトで浮かび上がっているコート。 そこに弾ける甘い匂い、炭酸の。 それをおいしそうに飲む彼の姿も何故か見ることができなかった。 それは自慢の髪を切っても自分をレギュラーに残してくれた、そして自分を頼ってくれたその人の言葉が照れくさかったからではなかった。 「最悪だ」 手の中にあった鍵が地面をたたくと同時に、背中を乱暴にロッカーにぶつけ、そのまま滑り落ちる様に床に座り込む。 背中に鈍い痛みが走ったが今はそんなことを気にしていられる余裕はなかった。 取敢えず頭が揺れる、気分が悪い。 深く息を吐いて、立てたひざに頭を乗せた。 脳の重量を膝に預けることでなんとか安定を取り戻したからだろう、眩暈は辛うじて去った。 目を閉じてしまえばもっと深く疲れはとれるのだろうと知っていたが、それでも目を閉じることはできず、足元にひかれた絨毯の模様を眼で追っていた。 目を閉じてしまえばそれで最後、昨日の光景が瞼の裏に走るだろう予測はついていた、だから目を閉じることはできなかった。 昔からあまり自分に自信がある方ではないことを鳳は自覚している。 何時も自己嫌悪の慮だった。 下らない事でくだくだと悩み、それでも周りに何も言えず、なんとかそれを嚥下して過ごしてきた。 周りに敵を作らず、笑みで全てをごまかして、厄介事は全て回避して生きてきた。 そんな自分に自信を僅かでも与えてくれた人は、宍戸亮、その人だった。 実力主義の社会で、全国区プレイヤーにとはいえ無様に負けても、そこで負けずに戦い続けた彼。 その人に、頼られた、そして必要とされ、今ともに戦っているという事実。 そして氷帝のダブルスペアを共に破ったという事実。 それを自分の自信へと変えてくれた人は、宍戸亮、その人ではある。 しかし同時に、自分へのどうしようもない自己嫌悪を掻き立てるのも、その人だった。 差し伸べてくれる手。 自分だけに向けられる笑顔。 傍に居る資格。 (全然いいやつじゃないですよ、宍戸さん) 髪の間に指を差し入れ、頭を強く抱えた。 僅かに自嘲が漏れたが遅くまで片付けをしていた自分以外にそれを聞く人はいず、それは空間に拡散し消える。 その状況が溢れ出しそうになる感情を助長した。 噛み切ってしまうのではないかというほどに強く、奥歯を噛みしめ、それに抗おうとする。 ぎり、と奥歯が擦れ音を立てた。 (全然、本当に、全然そんなこと) あんなにハードな練習のパートナーを喜んで務めたのは。 正でパートナーだった先輩に頭を下げて練習に付き合ったのは。 部長に反論してまでレギュラーの復帰を進言したのは。 監督に自分のレギュラーの資格と引き換えにレギュラー入りを願ったのは。 ためしにやったダブルスで彼の苦手コースをついた球を拾えたのは。 今ダブルスのパートナーとして隣に居るのは。 そして彼が好きな飲み物の種類が分かるのは。 全部全部、自分がいいやつだからなんて、そんなわけがなかった。 それこそ、全てを善意でできたら、それはもう人間ではないと、思う。 そんなに自分は出来た人間ではない。 (ねえ、宍戸さん、ごめんなさい) 頭を抱え、うずくまる。 自分の惨めさに、弱さに吐き気がした。 あんなに自分の生活を、自分の時間を犠牲にしてあの人に奉仕した理由なんて一つしかない。 善人面をして、いつも笑って、あの人の隣に居続けた理由なんて一つしかなかった。 ただ、ただ。 (貴方が好きだから、少しでも傍にいたかった、少しでも好きになって欲しかったんです) 「長太郎、お前本当にいいやつだよな」 その言葉が、胸に刺さる。 そして、折角こうやって見てくれるようになったその人が自分に対して持っている奇麗な思いをどうしても穢したくなかった。 下心から善意を向けていたと知ったら、彼は傷つくだろう。 そしてきっと、自分を今まで通り奇麗な人としてみてくれなくなってしまうかもしれない。 パートナーとして傍には置いてくれるかもしれないが、もしかしたら今まで通りに笑ってくれなくなるかもしれない。 それが何よりも怖い、自分の気持ちを騙し続けて、自分が止まってしまうかもしれないことよりも。 (だから宍戸さん) (もう少し何も気づかずに嘘吐きな俺を傍においていて下さい) 顔を上げればもうすっかり闇を含んだペットボトルに自分の泣きそうな顔が映っている。 そこに自分の醜さや弱さが全て投影されている気がして、それをごまかすように、また仮面を纏う。 明日からまた笑えるようにと、一筋頬を伝った雫には気付かないふりをした。 +++++ 恋愛話が苦手な鳳から妄想。笑 鳳はピュアでもブラックでも無くて、こういう感じが好き。 自分汚いってべっこんべっこんにへこんでいるの。 そして超がつく程鈍感の宍戸。 久々に青臭いお話が欠けた気がして満足です。 title酸性キャンディー |