る一つの言葉




「あの真田の顔ったらお前にも見せてやりたかったよ、柳」

三方を無色の壁で構成された病室の白いベットの上で、幸村は心底楽しそうに笑った。
何処か痩せたような印象もあるが、本人曰く元気、らしい。
今も楽しそうに手元にあるテニスボールをいじっている。
しかし、何所かそこに影が落ちていることも、柳は知っていた。

窓の外は夕暮れである。
周囲にそびえたつビルにも赤い光が投影され、それが反射し、街を余計赤く染め上げていく。
そして街の至る所に深く影が落ちていた。
入院患者の少年なのだろうか、窓の下の広くなっている場所でボールをけっている。
その表情は無邪気であるが、頬の端が引きつっていた。
引き摺られていく影は、彼の右足が不自由なのを暴くようにただ縫いとめられてそこにあった。
幸村が何を感じたのかはわからない、それを見、彼は酷く表情をゆがめ、一気にカーテンを引いた。
太陽光が遮光カーテンにさえぎられ淡くオレンジに緩和される。
しかし部屋の明度は一気に下降した。

「それはお前の気まぐれなのか、それとも弦一郎に配慮が欠けていたのか」

幸村の思考の矛先を遮る様に柳は言葉を発した。
何処か彼はまだいたのかというような表情を浮かべ、手元に視線を落とす。
頬の端は上がっている、彼は笑っている、それをみ、ただ柳はあきれた。

「あいつに配慮なんてあるのかな、柳」
「少なくとも精市、お前よりはあるだろう」

ああ、たしかに、俺に比べれば。
幸村は小さくそう呟くと、カーテンで仕切られてしまった見えぬはずの世界に目を戻した。
何が彼の眼に映っているかは定かではない、しかし、見えているものは察しがついた。
口の端が少し引きつっている、彼は唇を噛んでいるのだろう。
そういうときの彼は大体言葉を口にしようかやめようかを考えている。
そして結局は話すのだが、そこまで到達するのにかかる時間はまちまちなことも柳は知っていた。

聞こえないように静かに息を抜き、背を入口近くの白い壁に預けた。
時計を探そうとしたが病室内に時計はない、腕時計はリストバンドをしているため付けてはいない、携帯電話を取り出すのは目の前に何らコードでつながれていなく、ボールなどを悠長にいじっているような人物でも一応病院だと思い、やめておく。
時計の秒針の代わりに彼の手の中でボールが小さく宙に舞い、落ち、リズムを刻んでいく。
85まで数えたところで、その音はひたりとやみ、小さく息を吸う音がした。

「また明日とか、早く帰ってこいとか、残酷な言葉だって意識はあいつにはないだろうところが腹が立って仕方がない」

それはどこか呪うような言葉だった。

「遠慮なく前に進んでいくくせに俺には帰ってこいとかいう、行かねばならないと思う、あいつに前を行かれ続けるのは悔しい、そう思う」
「ああ」
「それだからこそ、追いつけなくなった時のことを考えると怖くなる、ただでさえ怖い手術が余計怖くなる、明日もしかしたら自分は死んでいるかもしれないのに、コートに帰れない体になるかもしれないのにそんな確率は存在しないかという様に未来をはっきりと規定するあいつに腹が立った」
「ああ」
「だから言ってやった」

酷い顔をしていた、そう幸村は無邪気に笑った。
しかし目の奥は笑っていないのを柳は知っている。
手から滑り落ちたボールがリノリウムの床で小さく何度かバウンドした。
たんたんという単調の音が、風で乱されるカーテンの音とともに小さく病室の中で渦巻く。
そこに今日、酷く傷ついた、一見しただけでは分からないくらいだったが確かにそんな表情を浮かべた真田の表情がよぎる。
想像がついた、言葉としてはたまに使われるフレーズでも、状況によっては最大の効力を発揮するその言葉。
しかし幸村を責めることもしない、けして弁護する気もないがと柳は心の中でため息をついた。

「悪戯が過ぎたのはわかっているさ」
「ああ」
「一般的には励ますという行為こそが、明日を約束することが明日へと向かわせることだってくらいわかっている」
「ああ」
「真田が一般論とか常識とか規範の凝り固まった存在だってことくらいわかっている」
「ああ」
「でも安心したかった、多分真田じゃなくてはいけなかった、自分の明日がないことを自分で規定することで、復帰できなくても自分の所為じゃないと、安心したかったんだ」

俺は歪んでいるか。
幸村はここではじめて柳の目を見た。
見下ろしている格好になっている柳は椅子を引いてき、視線の高さを合わせてやる。
何時もその目によぎることはない弱さと言うべきそれがその中で揺れるのを見る。
柳には晒せるが真田にはぶつけるという形でしか表現できないその弱さ。
そんな幸村に、歪んでいる、そう言ってやった。

しかし、それは単に幸村が望んでいるから言った言葉であり、実際は違うことを柳は自覚していた。
自分も果たして同じ立場に立てば真田に同じことをするだろう確信がある。
それは幸村の言葉にすれば、真田が強いから悪いのであろう。
三人で膨大な時間を過ごしてきた。
しかし中軸に真田が居続ける理由は、何所から切り取ってもあの男は強いからだった。
彼の意思にかかわらず、ただ自分たちが彼を中軸に据えるのだ。

いつまでだろうか。
自分たちの弱さをぶつけ彼の強さを搾取し続け、彼が倒れるまでだろうか。
他の軸を、見つけるまでだろうか。
これは、愛だとかと嘯いて。

「俺とお前は似ているな、柳」

こんなにも、真田が大切なのに大切にしてない俺達は。

「ああ、嫌というほど、な」

そっくりだ、どうしようもなく。

立ち上がり、鞄を取った。
中でラケットが音をたて、その音に幸村が顔をしかめた。
しかし無視をした。
彼は優しくされることもわがままを聞いてもらうことも望んではいない。

ドアに手をかけたとき、柳、と彼の声がする。
振り返れば夕闇に侵された世界の中で、彼が笑うのが見えた。
そしていつもの高圧的で、しかし、酷く残酷な色を灯した口調で、彼は言う。


『俺たちに明日なんてない』


ああ、まったくだ。
お前がコートに立てる確証も。
あいつか俺達の軸であってくれる確証も。
そんな明日が存在する可能性なんて、きっと。



きっと。



なんでも確率論で考えてしまう自分が、計算を、確かな数字を出してしまおうとする自分が。
このときばかりは憎らしい、と、柳は、思う。





完全に見えた世界を崩しさるは、真実に満ちた、一つの言葉。

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私的立海三強の人間関係。
恋ではないですが、愛はある、みたいな。
三人は三人とも大切なんです、で、柳と幸村はちょっと近い感じ。
みんな虐げてるけど、真田がいなくなったら全ての関係が破綻すると思っている、そんな三強。

title酸性キャンディー