何もかも虚像として地平線に消えてしまえ
それでも全く構わない



れの延長線上




このままどこかに逃げてしまおうか。

戯れだと知っていた、バスの停留所、降りることを主張するボタンを押すために延ばした腕をつかまれたことも。
訝しげに見れば、バスの窓越しに男は笑った。
台詞に似合わず切実さ一つも投影しない表情で、男は笑う。
慣れたバス停が窓の向こうで流されていった。
悪い冗談です、そう呟き、腕を伸ばすついでに浮かせた腰を座席に下ろす。
過ぎてしまってはもうしょうがないことだった、怒っても喚いても何にもならないことはよく知っている。

「手、離して下さい」
「次んバス停で降りるとか詰らんこと言わないなら」
「言いませんよ、貴方と問答をすることの方が面倒臭い」

そういうと強い力で掴んでいた腕を男はあっさりと放した。
緩い熱が去ったことに少し喪失感を感じそんな自分を叱咤した。
僅かに赤く指の跡が残っている、しかしすぐに消えるだろうと柳生は指先で痛みを逃がすように、否、感触を消すために指先で欝血した部分を撫でた。

バスの車内には人影はまばらだった。
徐々に駅から遠ざかっていく、この時刻にこのバスに乗ってくる人も少ない、バス停に止まるのは大抵、駅から乗った人たちが下りるためだった。
地平の果てに太陽は既に埋没していた、バスの運転席の向こうに見える街は毒々しいネオンだけで、しかし、その鮮やかさも徐々に遠ざかっていく。
もう既に闇に没した街を僅かに照らすネオンで判別する景色は柳生の見知らぬものに姿を変えていた。
知らない街、知らない景色、逃避行と言えば聞こえはいいかもしれない、しかしそんな風情のあるものですらない。

隣に視線を向ければ男はじっと窓の外を見たまま動かない。
窓に映り込む表情も、微妙に髪に隠れ窺い知ることはできなかった。

時々思い出したようにバスは止まり、乗客を輩出していく。
疲れた背中をしたサラリーマンに、半ば向くんだ足を引きずるように歩くOL。
それらがバスを降り、夜闇に消えて行った。

だんまりを決め込む仁王に柳生はため息をつき、今日の出来事に、原因となる出来事はあっただろうかと思考をめぐらせてみる。
あまりお互いの生活時間が交差しているとは言えなかった。
しかし後輩のいた場面の些細な会話、その状況をおもいだした。
その瞬間、彼に過っただろう感情も。

「面倒くさくなりましたか」

大方の乗客がバスから降りたところで、柳生は窓を向いたままの背に話しかけた。
男は柳生の声に緩慢に顔を上げ柳生に視線を向ける。
そして、ゆっくりと口角を持ち上げ笑みを形作ると肯定するかの如く自嘲し、苦々しく、ああめんどくさい、そう呟いた。

「だからやめろって言ったんですよ、詐欺師なんて馬鹿馬鹿しい」
「しょうがなかろう」
「面白がっていたのは誰ですか」

その言葉に仁王は笑った。
何処か人を喰った、そんな笑い方をする男だ。
柳生は元来そのような性質をもった人間との交わりを好まない、しかし仁王だけは別だった。

「面白いし不満はなかよ、やけん、せっかく教えてやったんに疑われるんは面倒くさい」
「同じだけ嘘を吐くんですからしょうがないじゃないですか」

貴方オオカミ少年と同じですよ。
そう揶揄すれば、仁王は笑う。
怒る、ということはめったにしない。
所詮は戯れだと仁王もわかっている証拠だった、度が過ぎた中傷も揶揄も、お互いの怒りの琴線に掠めることすらない。

「虚も真も主張するんもめんどくさかろう」
「ああ、それはそうです」

「やけん、お前だけおればいいとおもったんよ」

柳生が眉間にしわを寄せると、仁王は揶揄するように笑い、椅子にすわりなおし狭い席の中でそれでも足を伸ばし、手を頭の後ろで組んだ。
同時に、バスのドアが間抜けな音を立てて明き、ついで小銭が音を立てる、最後の乗客が降りたらしい。
緩慢に走りだしたバスは徐々に闇へと、突っ込んでいく。
暫く、仁王はじっと虚空を見つめ、考え事をしているようだった。
否、会話に飽きたのかも知れない、会話は途切れ、低いエンジン音が車内を席巻する。
ゆらゆらと柳生の頭上では釣り輪が一様の方向にそろって揺れている。

―柳生先輩、これほんとうなんですか
―本当ですよ、それがどうかしたのですか
―だって・・・

仁王先輩が・・・

言葉を発しない仁王に、だから私なのかと柳生は考える。
仁王の友人のカテゴリーの中で彼の嘘を嘘と見破れるのは柳生だけだった。
付き合いが長いわけでもない、まして仲がいいともお世辞にも言えないだろう、しかし、なぜかわかってしまった。
それは似ていたからだろうと柳生は解釈をしている。
外見ではなく、内面が、性格でも交友関係でもなく、何所か核となる部分の何かが。
故に仁王の感じる面倒くささは回避される、柳生は仁王の言葉の真偽を疑うことすらない、わかってしまう。
本人たちが望もうと望まないと。

しかし、と柳生は自嘲した。
仁王とことが誰よりもわかってしまう故に、わかることを。


「でもあなたどうせ、騙す相手がいなくなったら退屈しますよ」


その言葉に、一瞬意表を突かれた表情を浮かべ、仁王はゆっくりと目を伏せると、笑った。

「確かに」

運転手が疲れた声で、次の駅をアナウンスする。
その声に柳生は座席から立ち上がり、ボタンを押した。
仁王の手が、とどめることはなかった、車内のボタンに一斉に赤いランプが点灯する。
ゆるゆると速度を落としていくバスに柳生は財布の中身を見、前に表示されている金額が入っていることを確かめた。
790円、安い逃避行だ。

バスが停留所に停車する、柳生が立ちあがると仁王はひらひらと手をふった。
どうやら降りる気はないらしい、差し詰めこの男の降りる駅はまだ向こうだということなのだろう。
はじめから仕組まれていたらしい、柳生が仁王の家にたどり着くまでの間に何らかの結論を出すことに。
最初からただの戯れだろうと分かっていたとはいえ柳生はため息をついた。
この男には振り回されている、そう感じる。
厄介なのはそれに慣れてしまっている自分だった、寧ろ楽しいとすら思ってしまう、自分だった。




「じゃあ、また明日」
「また明日」




真剣さも切実さもない、愉悦だけを求めるための行為。
全ては戯れの延長線上。

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仁王と柳生を駆け落ちさせてみよう企画。
でも本当にしたら気持ち悪いので(気持ち悪い? 未遂です。
書きたいこと詰め込み過ぎて消化不良ですいません。
仁王はたまに後輩と同級生とかに、ちゃんとしたことも教えてやるんだけど、本当かなって疑われて例えばその子がほんとうですかって確認してきたり、あとでやぎゅうとかにほんとうなんですかって聞きに行っているのとかが厭ではなくてめんどくさいなって思っているといい。
それでめんどくさいから比呂士といたらめんどくささ回避できるなーとか考えていればいい。
で、今回駆け落ちに誘ってみた、けど、みたいな。
そんでお互いそうやってお互いの腹の内を探り合って楽しんでいればいいよ。
っていう妄想でした。
でも仁王の家どれだけ遠いんだっていう。笑

title酸性キャンディー