世界とは概ね
嘘と真実で構成された
どうしようもない空間である

そう、思う。



り止まないやさしさ




断続的に雨が降り続いている。
窓には幾筋も雨の筋が走り、そこを大粒の雨が流れていく。
木々はその勢いに耐えかね、体を大きく撓らせていた。
コートにも多量の水が流れ込んでいる。
雨の音は降り始めから一定で弱まることもない。
さっきまで晴れていたとは言わないが、確かに青空は見えていた筈だった。
しかし今や空は灰に隙間なく塗りつぶされ、切れ目すら見えない。
曇天が、広がっている。

窓の外から視線を戻せば、そこには柳生比呂士がいた。
相変わらずに姿勢の良い男だった、それは忌々しくなるほどに。
彼は流麗な手つきで鉛筆を動かし、整った奇麗な字をノートに刻んでいく。
几帳面にも尖っているその鉛筆の削り主は柳だろうと仁王は考える。
柳生はそこまで几帳面なことはしない、寧ろ彼はそこら辺に放置された赤いボールペンしかなければそれで躊躇なく文字を書く男だ。
人の名前さえ躊躇いなく赤いペンで書くだろう。
それは世間の柳生に対する定義から外れた認識だったが、付き合いの長い仁王からしてみれば世間が彼にそのような認識を与えている方が間違っていると思う。
皆が持つ柳生のイメージは立派な聖人君主と化している、彼はイメージを操るのが実に巧みだった。
白い日誌に奇麗な文字が詰められていく。
よくもまあ、と感心しながら掛けかけのボタンもそのままで、柳生の前にあるパイプいすに座った。
狭く埃臭い室内に、ぎしりと嫌な金属のすれる音が響いた。
彼は視線も上げない、清々しいまでにこの男は仁王に対して関心がなかった、いや、そう見せないだけなのかも知れないが。
かりかりと鉛筆の音と、雨の音だけが響く静寂は、小気味よい。

ノートに文字を埋めていることに没頭している柳生を眺めながらそういえば、二人きりは久しぶりだと思いなおす。
関東大会の際はダブルスを組むことになっていたから必然的に二人きりになる瞬間が多かった。
しかし、全国大会に入ったこの方、ダブルスを組むこともなかった、それに加え幸村の復帰で毎日が忙殺されている。
会話の数も遠のき、空間を二人で共有できた機会は皆無といって良い。
寧ろ二人きりだった時間を思い出すことの方が困難だった。
頬杖をつき柳生に視線を向ける。
柳生は相変わらずに手を動かしている。
僅かに前髪が揺れ、表情が見え隠れする。
手の甲は薄い、しかし確かに指先は頑強さを持っている。
メガネのフレームが室内の僅かな光に光を弾く。
そのような様子をゆっくり目にする機会さえも久しぶりだった。

たまにはもう少しこういうふうに過ごすのも一興だろう。
そう思い仁王は折り畳み傘を鞄の奥深くに押し込んだ。

シャツのボタンを全て止め終わると、足で鞄を引き寄せ脱ぎ散らかしていたユニフォームを鞄に突っ込んだ。
日誌を書き終えたらしい、柳生は鉛筆を置くと、腕を組んで前に伸ばし、筋を伸ばした。
そして緩慢に少し顔をあげ、窓の外を見やった。
その視線を追えば、窓の外にはまだ雨が降り続いている、やむ気配すらなく、勢いすら一定に降り続く。
柳生はその勢いに僅かに眉根を寄せると、ノートを閉じ、文庫本を代わりに取り出し、読み始める。
立ちあがる気配を見せない柳生に、仁王は疑問を感じ、声をかけた。

「傘ないんか」
「ありませんよ」
「珍しかね」
「・・・何がですか」
「お前さん仮にも紳士じゃろう?女に貸すくらいもっとらんと」
「下らないですね、所詮渾名でしょう、それに別に私が名乗ったわけではありませんし」

どうせ、貴方の詐欺まがいなプレイスタイルに比べたらまともだから、そんな理由でしょう、由来としては。

「言うのう」
「どう致しまして」

そういうと柳生は仁王に儀礼的な笑顔を向け、また手元に視線を落としてしまう。
それ以上仁王も会話を続ける心算もなく、そのままにしておいた。
窓の外に視線を移す。
雨は相変わらず断続的に世界を濡らしている。
弱まる気配もなく、ただ室内に雨音だけを齎して、それは柳生の繰るページと混ざり合って、虚空の静寂に飲みこまれた。
雨の止む気配は微塵とない。
ただただ硝子を雨粒が滑り、木々は腕を撓らせる。

その時、コートの向こう側を、一人の生徒が帰っているのが見えた。
大方委員会か、室内系の部活でこの時間まで残っていたのだろう、小走りで雨の中をかけて行く。
その生徒は、安いビニール傘で雨粒を弾きながら、雨の中、コートの横を横切っていった。

その光景を見ながら、仁王はふとつい二三日前に交わした会話の内容を思い出す。
前日が雨で、翌日がからりと晴れたその日の朝だったように思う。
彼の手の中には柳生にしては不釣り合いなビニール傘があった。
それを目にとめた仁王は朝錬の為にみんなが着替えている中で、声をかけた。

『なんで傘もっとん』
『昨日雨だったじゃないですか、だからです』
『わけわからん』
『朝、晴れていても夕方雨が降ることがあるでしょう、その為の保険ですよ』
『折り畳み傘いつも持ち歩いてるんじゃなか』
『持ち歩いてますよ、でも昨日は忘れたんです、いったでしょう?この傘は保険なんです、また同じことをしたとき、困るじゃあないですか』

その時からの天気の運行と柳生の得意気な表情を思い出す。
仁王はパイプ椅子から立ち上がり、許可なく柳生のロッカーを開ける。
ハンガーにちゃんとかかったレギュラージャージ。
学校の授業で使うジャージ。
いつも使っている見慣れたラケット。
奇麗に整頓されたその中に。
目的のものを認めると、ゆっくりとロッカーを閉じ、仁王はまた椅子に戻り机に体重をかけた。

「なあ、柳生」
「なんですか、仁王くん」


「お前本当に傘もっとらんのか」


仁王の唐突な質問に、柳生は一瞬驚いたように顔をあげると、ため息をひとつ吐く。
そして手元にまた視線を落としてしまった。
前髪が、表情を隠す、が仁王は柳生が僅かに笑みを模っているのを隠すためにそうしたのだとわかっている。

「持っていませんよ」
「ほう、じゃあ雨がやまんかったら朝までこのままじゃのう」

悪戯っぽく口角を持ち上げて返す。
すれば、ふ、と柳生は息を抜いた。
そして顔をあげ、窓の方へと顔を向けた。


「ああ、それは、少し困りますね」


しかし、そう言いながら外を見やる彼の横顔には微塵と困った色など存在せず。
すこし歪む彼の表情筋を見、仁王は微かに、肩をすくめる。



鞄に沈む傘。
ロッカーの中にある傘。
吐かれた嘘。
口実としての雨。
雨の日に傘を巡り芽生える共犯関係。
そして作られる架空の共有空間。



素直じゃない、そう思いながらも。
思考が繋がったことに、己らの相似に。



「ほんに、お前はしょうがないやつじゃのう、柳生」
「どう致しまして、仁王くん」






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祝☆2008年2月8日!
一生に一度しか巡ってこない今日という日に!

いつもより仲のいい二人にしてみました。
しかし、今日は一緒に過ごそうなんてそんなこといいません。
嘘ついて一緒にいれる空間を作っちゃうのが28クオリティ!!

ていうか、このサイトになってから仁王と柳生がハグしたり、キスしたりの話が一個しかないことに今びっくりしました。
今度はもう少し、いちゃいちゃ(?)させたいと思います・・・笑

title酸性キャンディー