「よう、桔平」

最寄り駅の改札口にたどり着いた瞬間、橘が一番に見つけたのは、すらりと背の高い男だった。
薄いジャケットを羽織っただけの男は、いかにも今、家から出てきたと言う風貌だった。
その様子に橘は大仰に眉をひそめた。
それもそのはずだ、その男はこの近辺にすんでいるわけでもない。それどころか、何百キロと離れた学校に通っている。ちょっとそこまでと言った感覚でこられても、少し困る。というよりどのように対応すればいいのか、わからなくなってしまうが正しいだろうか。

「なにしとっと、千歳」

橘は、全力疾走の代償として上がってしまった息を押さえながら、長身の男―千歳千里に話しかける。質問としては酷く愚かな類いのものであるのを橘は十分に自覚していたが、それでも問わずにはいられなかった。
そんな橘を千歳は、楽しそうに見ながら、にこにこと微笑んでいる。どうやら今日はご機嫌なようだ。まったくいいご身分だ、と橘は呆れる。こっちは、いきなりのメールに、不動峰レギュラーでやっていたクリスマスパーティーを慌てて抜けてきたと言うのに。もし千歳が、関東に住んでいたら黙殺しただろうに、大阪からきたと言われたら、駆け付けずにはいられないではないか。 いや、本当に黙殺しただろうか。
橘の思考を全く意に介さず、千歳は相変わらずにこにこと続けた。

「今日、クリスマスイブたい、だから桔平にあいにきたとよ」

「は?」

千歳の言葉に反応するのに橘はたっぷり三秒を要した。クリスマスイブ、そんな単語が千歳の口から登場するとは思っていなかったからだった。千歳はお世辞にもまめな方ではなかった。クリスマスもバレンタインもホワイトデーも忘れていたし、果ては、自分の誕生日すら忘れていたこともあった。その度にクラスの女子に、ミユキにここられていた。それを橘はいつもあきれながら眺めいたものだ。だから、そんな男の口から季節に応じた発言がなされることが意外だったのだ。
そしてその上、そんな千歳がわざわざクリスマスにのっとって関東にくるなんて。あまりにも予想斜め上をいく言葉に橘は絶句した。
千歳は、鼻歌で有名なクリスマスソングを歌いながら、陽気に微笑む。

「ほら、JRのCMにもあるばい」
「あれはあくまでCMたい…」
「文句ばっかやねー桔平」
「あたりまえたい、俺はかわいい後輩とパーティーをしてたのを抜け出してきたんだぞ」
「でも来てくれたってことは俺にあいたかったんじゃなかと?」
「大阪からきたやつを邪険にできんだけたい」
「素直じゃないっちゃねー」

そう天真爛漫に笑う千歳を見ながら、橘は僅かなめまいをかんじた。
ただ、会いたかったからあいに来たわけではない、と橘は思う。ただ、昔と同じように、千歳とふざけあえるのが、嬉しいのだろう。なにもなかったように。まるで去年も、こうやってふざけあっていたんじゃないかと、そう錯覚できるように。
まるで来年も、こうやって過ごせるのではないかと錯覚するくらいに。
いつも、優しいのは千歳だった。
歩み寄ることを許可してくれる。あんな取り返しのつかないことをしたというのに。
今日だってそうだ。嬉しいとかではない、橘は感謝している。途方もなく。
多分絶対、千歳には頭が上がらない。
ああ、本当に、本当に。
そんな相手からの呼び出しに自分が応じないわけがなかった。
そう思い、自嘲気味に顔を上げた瞬間だった。

「桔平」

と、千歳の声がしたと同時に、千歳の拳が、橘の頬を殴り付けた。
咄嗟のことで反応できなかった橘は、その勢いで道路に倒れ込む。膝と掌を、アスファルトに擦り付け、じわりと痛みが広がる。
ぐらぐらと脳髄と視界が揺れる感覚のあと、焦点を結んだ先にいた千歳はおこったような泣きそうな顔で橘を見下ろしている。強い視線だった。先程までの表情が嘘のような。

「くだらんこと考えとるばい、桔平」
「………」
「もうよかばい」

もう、引け目とか感じんで欲しい。
千歳は真剣な目をして橘を見つめていた。

「これからも俺たちは九州二翼でライバルたい、それでいいよな」

対等で。並び立つ。そんな存在で、いいよな。
なぁ桔平。

確かめるような言葉に、橘は思わず笑った。本当は泣いてしまいそうだった。それを誤魔化すように、笑う。

「敵わんばい」

千歳は、橘の言葉に、表情を崩し、右手を差し出した。橘はその手を取り、立ち上がる。それは確かに、かつて二人の間にあった関係だった。勝手に壊して、それを組み直すことを、躊躇し続けてきた、関係だった。いや、失ったと思っていた。しかし、まだ、ここにある。
少し背の高い千歳を見上げ、笑えば、千歳も笑った。

「これが俺からのクリスマスプレゼントたい」
「痛かプレゼントばい」
「本気で殴ったからな」





「ハッピークリスマス、桔平」





すがすがしい、千歳の笑顔に、再び目頭が熱くなるのを感じながら努めて、橘は明るく笑った。



球勝負が怖いだなんて





title群青三メートル手前