耳に残る残滓 それは誰のもの? 掠れた声が、夕方の教室から聞こえた。 思わず教室のドアにかけようとした手が止まる。 下校時刻まであと数十分の教室。 定期考査直後の教室で勉強するために残る酔狂など、このエスカレーター式を採用している学校には皆無といってよかった。 さすればなにをしているのか。 持ち上げていた手をおろし、耳を澄ませば、声の主がたどたどしく僅か旋律を辿ろうとしているのがわかり、それが歌なのだと気づいた。 聞きなれた声、その声が紡ぎ出す旋律。 そして一瞬考えた、この曲は何であったか。 音からはうまく思考を呼び出すことができず、しかたなしに歌詞に思考を向けた。 『――、――』 (あ―) 感情すら伴わぬ、ただ歌を紡ぐことに重点を置かれた曲が半分まで進んだ段階で合点が行った。 それは次のクラス対抗の合唱祭の課題曲である。 もう何度も音楽の時間に練習しているのにすぐにその曲に気づかなかったのは、その歌い手のピッチとリズムががたがただったからだった。 流石に歌詞しか判明していない状態からは歌の輪郭も見いだせない。 (下手じゃのう) 声の主を思い浮かべ、思わず口角を持ち上げた。 完璧主義で自尊心の高い、クラスメイトはきっと自分の歌が下手なことすら周りにばれるのがいやなのだろう。 だから、みんなが部活に出払ってるこの時間に、まるで少し気が向いたから口ずさんでいる、と言わんばかりの声で。 そんな思惑を垣間見せながら、その実その表情はきっと必死なのだろう。 必死な顔を揶揄してやるのも一興だとは思う。 それでも。 ドアが動かない程度に背中を預け、床に座った。 そして深く息を吸うと、彼がなぞっていた旋律を導くように声を出した。 誰もいない廊下に、自分の声が響く。 いきなり廊下から声がしたからか、自分の歌の意図を他者に気取られたからか、彼の拙い歌は途切れた。 それにかまわず、その箇所からサビを通り、ラストまで歌いきると、もう一度、頭から歌い始める。 初めは訝しそうな、探るような空気が、教室から流れ出ているような気がしたが、しばらくすれば掠れた声がそこにより沿い始める。 二つの声が重なり、時々離れ、廊下に響く。 何度か繰り返すうちに、はじめヒドかったピッチもリズムも完璧とは言わないが、曲とわかるまでにはなってくる。 流石に学習能力が高い、そう思いながら、続ける。 柔らかいと硬い声。 正確に保たれたピッチと揺らぐ音。 それでも、それは、確かに歌だった。 下校時刻5分前に何度目かわからない曲が終わったのを合図に立ち上がった。 そしてそのまま昇降口へと歩を進める。 後ろから声はしなかった、感謝の言葉もない、それ以前にそんな言葉を求めてすらいなかった。 (なぁ) 明日の音楽の時間、彼は何食わぬ顔で、いつものように背筋を伸ばして、それでも歌なんてくだらないといわんばかりに。 そして初めから歌えた、そんな態度で、存在するのだろう。 歌が歌えない自分なんて最初からいなかったと。 それを口角をあげて見るのが自分の特権だった。 彼が完璧ですらなく、完璧を装った姿、それが仮初めのものだということを、知っているのも。 (誰にも、やらない) 彼の弱さも強さも欠点も全て自分だけの所有物。 そう考えた自分に僅かに苦笑し、誤魔化す様に階段を速度をあげ、駆け降りた。 耳に残る、貴方の掠れた歌声。 褪 せることのない、 +++++++++++++ 友人に捧げた同級生パロで28。 黴臭さと青臭さを目指してみました。笑 title群青三メートル手前 |