今日は楽しかったですよ。

そう告げれば、清楚な出で立ちの少女は微笑んだ。
つい先刻日が落ちたばかりの電車の中、次の駅が彼女の降りる駅だった。



つ目の嘘ですか




「どういうつもりですか」

電車を降りたてば、もう、地元の駅は闇の帳に包まれている。
柳生は少し高台になっている駅から、自分の住む街を見下ろすのが好きだった。
ぽつぽつと家人が帰るのに伴って点く、家の明かりも。
その上にわずかに散る星の微かな輝きも好きだった。
いつもなら部活のあとの適度な疲労感から、この秋の冷えてきた空気と、冴え冴えとした秋の夜空をすがすがしい気持ちで眺めるのだが、どうも今日はそうはいかない。
視線を落とし、一つ息をつく、目元の筋肉と、頬の筋肉の疲労。
駅から吐き出される社会人の波に乗りながら柳生は今日の出来事を反芻する。
三日前に来たメール。
学校が終わった後、教室に来た隣のクラスの女生徒。
並んで見た映画。
晩御飯、そしてケーキ。
それらは確かに、柳生の好みに合っている選択ではあった。
しかし、合い過ぎているからこそ、それらに見え隠れする一人の男の影に、幾度となく不快感を覚えた。
苛立ちに、柳生は再び息をつく。
それは、終始、やんわりと笑っていた彼女に、彼女の存在以外の場所で苛立ちをため込んでいた、その澱のようなものである。
いつも苛立ちなど感じない柳生は、久々に感じる感情を持て余していた。

「今日は来てくれてありがとう、あと、柳生くん、お誕生日おめでとう」

帰り道、暮れていく車内で、彼女は微笑んだ。
僅かに緩んだ口角、少しうつむいた視線。
別に柳生自身、女性に興味がないわけではない、だからいつもならばそのような姿にも好意を抱くだろうことは分かっている。
だが、今日は違った。

人波が薄くなってき、閑散としてきた時、柳生はブレザーのポケットから携帯電話を取り出した。
電話をかける相手は一人しかいない。
着信履歴を開ければ、そこを埋め尽くしている男の名前に柳生は辟易する。
大体はテニスに関する話題でかかってくる電話、かける電話。
それでも生活領域を、侵すその男の存在を。

『何が』

ツーコールで出た電話の向こうの男はくぐもった声で三拍置いてそう答えた。
大方、雑誌でも読んでいるのだろう、片手間に相手されているのは明白な声音。
慣れたこととはいえ、柳生は罵倒したい気持ちを抑え、一つ深呼吸をする。

思えば最初からおかしかったのだ。
ほとんど固定となっている部活の日程が、急遽、変更になったのを彼女が知る筈がない。
それもほんの三日前に決まったその事実。
そして、その夜に来たメール。
内部が噛んでいない筈がない。
今一番見たいと思っていた映画も、柳生の好きな飲食店も、唯一美味しいと感じるケーキ屋も。
彼女が知っているわけがないのだ。
知っているのは部活の仲間たち。
とりわけ柳生に近いレギュラーメンバー。
そして、柳生が自己を曝け出すをよしとする相手はその中でも数が少ない。
そう考えるとおのずとメンバーは絞られる。

『そういえば、お前今日可愛い女子と一緒にあるいとったな、隅におけん男じゃ』

柳生の心の内を知ってか知らずか、電話の向こうの仁王は言う。
柳生は延々と続く暗い路地の中、浮かぶ電灯の数を数えるようにして、どうにか気持ちを落ちつけようとつとめた。
しかし、相手が仁王だということを思い出し、大仰にため息をつき、続ける。

「どういうつもりですか、仁王くん」
『だから何が』
「全部です」

今日が柳生が誕生日などというものに執着していないといっても自分の誕生日で。
練習がない、その日であって。
親しくもない女子になぜか誕生日を祝われて。
しかもその不自然な状況は明らかに誰かに仕組まれたもので。
彼女は仁王の名前を出したわけではない。
しかし、そんなこと、柳生を四六時中観察しているだけでは分かり得ない、盗聴器かなんかを取り付けて、異常な程度のストーカー行為でも繰り返していないと。

『何のことかわからんのじゃが』
「まだしらばくれるのですか、往生際が悪いですね」

冷たく言い放つと、電話の向こうの男は一瞬だまり、そして笑った。
それは柳生の神経を逆なでするのには効果的であり、柳生は眉根を寄せると、何か言ってやろうと細く息を吸う。
しかし、柳生が言葉を発する前に電話の向こうの男はそれを遮るかのように、通った声で、言葉を発した。

『なあ柳生』
「なんですか」
『なんでそのことで俺が怒られんといけん、楽しかったんじゃろ』
「は、ですが」
『なあ、何がむかつくんじゃお前は』

何がむかつく、のか。
その問いに、言葉を繋げようと思っていた柳生ははたと口を噤んだ。
その様が伝わったのだろう、仁王は、ふ、と小さく笑いをこぼした。
にやにやと。
それがまさにふさわしいような形容、彼はそのような表情を浮かべているに違いない。
雑誌のページをめくりながら。
柳生は深く一つため息をつくと、日の落ちた住宅街に煌々と光る電灯を過ぎたところで、コンクリートの壁に背を預けた。
ひやりとした感触に、冷静さを取り戻したような気分になる。

『なあ、柳生』
「なんですか」
『ええじゃろう、誕生日に可愛い女の子とデートできたんじゃ、何が不満なんよ、なあ、最高の誕生日じゃろうが』
「まあそうですが」

柳生は込み上がってくる笑いをどうにか噛み殺す。
まったくこの男にはかなわない。

「ねえ、仁王くん」
『何』
「今からテニスしませんか」
『は?こんな時間じゃ、ボール見えんじゃろ』
「何言っているんですか、最近、ライトついたんですよ、あのテニスコート」

貴方本当に自主練とかしないんですねえ、と言葉に嘲笑を混ぜるのは忘れない。
そして、柳生は電話の向こうで、億劫そうに身を起こす仁王に口角を持ち上げた。


「悪態つけなくて退屈だったんですよ、仁王くん」


確かに彼女は可愛い、魅力的な女性でしたけどね、そう付け加えると、仁王はこの猫かぶりが、と笑う。


どうせ、思い通りなのだろう。
自分が誘われたら断らないことも。
糸を引いているのが自分だと気付かれるのも。
そのうえで自分が文句を、つけることも。
全部。
退屈を感じることも、違和を感じることも。
その感情に敢えて名前は付けないが。


『なあ、柳生』
「なんですか」
『誕生日おめでとう』
「とってつけたように言わないでくださいよ」


きっと毎年こうやって自覚するのだろう。
いろいろ悪態をつきながらそれでも、彼を選ぶ自分に。
呆れながら、肩をすくめながら、絶望しながら。
それでも。




h appy birthday hirosi*091019




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たまには、こんな感じで。
誕生日ですしね。

群青三メートル手前