「跡部くん、こっちこっち」

喧騒の中、佇んでいると明るい声が届いた。
顔を上げて、声がした方をみやる。すればそこにはオレンジ色の髪をした男が手を振りながら笑っていた。
相変わらずの癖のあるオレンジの髪はすこし、襟足のあたりが伸びている。そして服装は大学生らしい、すこし垢抜けたカジュアルなものをきている。

「きてくれてありがとう」
「毎日あんなにしつこくメールしてくりゃさすがに来る」
「だって、久しぶりでしょ?桜の咲く季節に日本にいるの」

だったら、ちゃんとみた方がいいと思って。
千石はそう、にっこりと笑う。それに返す前に千石は跡部の手を取ると、有無も言わさずに歩き出した。

千石が跡部を連れてきたのは公園の中でもひときわ大きい桜の木の下だった。
そのしたには大きなブルーシートがひかれ、十数人がわいわいと酒を飲んでいた。
何処かのスーパーか何かで買い込んできたのだろうオードブルの盛り合わせ、寿司、つまみの類。そして缶ビール。
砂埃や、散りかけの花びらが簡単に入ってしまいそうな不衛生な環境に図らずとも跡部は眉をしかめた。
しかし千石は楽しそうにそこに割って入り、はいちゅうもーくとのんきな声を上げる。

「跡部くんがきましたよー」

瞬間、視線が集まる。そこの中には跡部のことを知る中学のテニス部のメンバーもいれば、千石の友達なのだろう、女子も数人混じっている。皆一様に陽気そうな顔をしている。顔が赤く紅潮している人もいる。すでにアルコールが入っているようだった。

「お、跡部じゃないか」
「千石が無理言って悪いな」
「跡部くん、って何の人なの」
「跡部は、海外で活躍してるテニスプレーヤーだよ」
「へー、キヨ君にそんな友達がいたの意外」
「失礼だな、ダイシンユウですよーだ」
「めっちゃかっこいいじゃん!私タイプ」

わいわいと飛び交う言葉にクラクラとしていると、千石は再び跡部の手を取り、ブルーシートの真ん中、千石の隣に座らせる。
そして、クーラーボックスから缶ビールを取り出すとプルタブを起こし、跡部に差し出した。しゅわしゅわと、口のところで泡が弾けている。

「はい、奮発してプレモルですよ」
「プレモル?」
「はーそうか跡部くんは缶ビールなんて飲まないですよね。発泡酒じゃなくて生で、しかもプレモルとか言っても大した違いはないですよね」
「......」

でもさ、と千石は続ける。

「跡部邸の素敵な桜をみながら高いビールと弁当を食べるのもいいけど、こうして飲むビールと安いご飯も美味しいんだよね」
「......」
「せっかくだから、俺もいろんなものを跡部くんに見せてあげたくて。できれば一緒に」

世界一の称号とか、すごいテニスコートとか、外国の夜景とかは無理だけど。

「これが俺の幸せの一つなんですよ」

桜が満開の喧騒に満ちた公園。
ほろ酔いで騒ぐ、友人。
とりあえず腹を満たせばいい、食事。
くだらない会話。
散る桜のしたで、あなたといること。

跡部は苦笑する。

「わかってる」
「本当に?」
「ああ、だから今日来てやったんだろうが」

ほら、飲むんだろ。
跡部が千石の手から受け取った缶ビールを掲げると千石は慌ててそばに置いてあった飲みかけの缶をとった。
そして嬉しそうに笑う。


「かんぱい、そしておかえり。跡部くん」




桜の木の下で会いましょう








部屋に入った瞬間、電気を付けようと千石が伸ばした手を跡部は強引に掴んだ。
そしてその腕を掴んだまま、千石を壁に押し付ける。
背中で、ドアがバタンと大きな音を立てて閉じた。

そこは、跡部が日本に滞在する間使用しているホテルの一室だった。
桜の下での宴会を終え、千石の友人たちと駅で別れた後、まだいろいろなことを話し足りないと思った跡部と千石は飲みなおすために跡部の部屋にやってきたのだ。
アルコールが入り、上機嫌な千石とは対照的に宴会中から跡部は自分の中にある苛立ちを持て余していた。
勿論、楽しい会だった。だが、どうも何かが気に入らない。
そしてその感情の正体を掴んだのは帰りの駅でのことだ。駅までの道、千石は両端を女子に挟まれ腕を組みながら歩いていた。
それだけならまだいい。千石はその上、そんな彼女たちの戯れに酷く緩んだ表情で応じていたのだ。
跡部はその瞬間、自分の中に在る感情が、嫉妬という安く醜い感情であることを認めざるを得なかった。
こんなことで腹を立てるとは自分も大概大人気がない。だがそんな気持ちを飲み込んでしまえるほど、跡部にとって千石という存在が軽いものではないのも事実である。

故に、わからせてやろうと思った。それが今の状況だった。
千石は遠慮のない跡部の力に少し困惑したような表情を見せる。
だが、不安げに、跡部を見上げる彼の瞳に、揺らぐほど跡部は優しくない。

「千石、随分と楽しそうだったな」

跡部がそういうと、千石は一瞬驚いたような表情を浮かべ、そして次の瞬間にはへらりとしたいつもの笑顔を作った。

「あ、そう見えた?」
「これ見よがしにでれでれしやがって」
「だって、桜に可愛い女の子だよ?誰だってデレデレするでしょ」
「俺様を妬かせたかったのか?あーん?」

その瞬間だった。
跡部に掴まれていないほうの手を千石はす、と伸ばすと跡部のシャツを掴み自分の方へと引き寄せる。
至近距離で合う視線。すると千石はさっきまでの困惑をすっかりと消し去り、うっとりと目を細めた。
そして、形のいい唇を僅かに歪める。

「そうだっていったら、どうするの?」

千石の言葉に、跡部は一瞬言葉を失った。そして理解する。自分が千石の思惑にまんまと乗せられたことを。
へらへらと何も考えていないように見せかけてこの男は酷く強かだった。
忘れていたわけではなかったが、確かに失念してはいた。
跡部は舌打ちをする。

「千石、いい度胸だな」
「キミが、悪いよ跡部くん」
「上等だ、泣いて謝っても知らねえぞ」


そのまま、噛み付くように千石の唇を塞いだ跡部に。
千石は満足そうに目を閉じた。