余裕を気取って
物事の本質を見誤ったのは
だあれ?






いちねんのだんぜつ








「宍戸さん、留年すればいいのに」

図書館の自習スペースで向かい合わせになって勉強をしていた時だった。
こっそりと、周囲に聞こえないような小さい声で鳳がつぶやいた。
定期テストの順位や得点が悪く追試を言い渡されていた宍戸は後輩の意地の悪い言葉にシャーペンを放り出し、唇を尖らせた。

「あ?長太郎てめー、なに不謹慎なこと言ってんだよ」
「だって。そうじゃないですか、一年先に高校生になったらきっと宍戸さん、俺なんかのこと忘れて他の人とダブルス組んじゃうんでしょ。そんなの耐えられないです」

拗ねたように唇を尖らせる鳳に宍戸はため息をついた。
この手の話題は鳳と幾度となくしてきたからだ。幾ら言い聞かせても鳳は納得がいかないらしい。
否、実際わかっているのだ。どう転んでも同じ学年になどなることができないことを。
それでも口にしたいのは不安を否定して欲しいからなのだとはわかっている。それでも言われる方としては何度言えばいいのかと徒労感に襲われるのもまた事実で。
こっちだって同じだ。できるならずっと一緒にテニスをしていたいに決まっている。
でもそれは仕方がないことなのだ。

「ばーか、待ってるって言ってんだろ。信じてさっさと追いかけて来い。長太郎、俺がいなくなったからって腑抜けでもしたら許さねえぞ」
「腑抜けたりしないですよ。そんなことしたら宍戸さんに怒られる前に日吉に殺されますから」

日吉怖いんですよ?まあ公式戦の勝率は俺の方がいいからいいんですけども。
そういってうつむく鳳に宍戸は苦笑する。鳳は自分よりはるかに大きい。それなのに時々こうして小さく見えるような言動やそぶりをする。
全く可愛い後輩だ。宍戸は手を伸ばすと鳳の髪をガシガシと撫でる。

「安心しろ。俺の相棒はお前以外いねえよ」
「またまた、宍戸さん調子いいんだから」

でも嬉しいです、そう鳳は目を細めた。





ふと窓の外を見た時、階下の中庭を見知った背格好をした男が歩いているのが見えた。
銀色の髪の、すらりと背が高い男。
それは見間違うはずはない、宍戸の後輩でありダブルスの相棒である鳳長太郎だった。
見慣れたラケットバックを担ぎ、悠々と歩く彼はどうやら部活に向かうところの様だ。
よし、喝でも入れてやろうか。そう思い宍戸は窓から身を乗り出した。
と、その時だった。

「鳳さん」

元気な声が響いた、と思った瞬間一人の男子生徒が鳳の方に走り寄った。
見覚えがあるその生徒は、たしか宍戸たちの引退後に一年生ながら準レギュラーに食い込んだ期待の新人だった。

「ん、どうしたの」
「日吉部長に今日は鳳さんとダブルスやれって言われて。よろしくお願いします」
「ああ、そうなんだ。こちらこそよろしくね」
「鳳さんの足引っ張らないように頑張ります」
「大丈夫だよ、最近伸びてきてるし。それに俺と組んだら絶対負けないから」

そういうと、鳳はその後輩の頭をぽんぽんと撫でた。
それに、後輩はぱあ、と顔を輝かせるとはい!と元気よく答える。
そんな様子を、鳳は目を細めて見守っていた。

その様子を見ながら宍戸は自分の胸がぎゅうと締まるのを感じた。
今まで一度も考えなかった予感が脳裏をかすめたからだ。

鳳が、自分以外を選ぶという選択肢。

鳳はずっと心配をしていた。
宍戸が鳳の知らない世界で、知らない人と一緒にテニスをすることを。
それを自分は心配するなと笑っていた。
それなのに。
鳳が自分から離れる可能性をなんで自分は考えなかったのだろうか。
自分と鳳だってそんなに長い付き合いではない。
宍戸はずっとシングルス一本でやって来た。そんななか、橘に負けレギュラーから外されたときに手を差し伸べてくれたのが鳳だった。
そこから数か月。ストイックで負けず嫌いな所も相まって気づけば氷帝で一番のダブルスにまで上り詰めたが。

(来年の大会まで、あと一年近くある)

その期間を鳳は他のパートナーと組んで、そして全国の頂点を目指すのだろう。
自分との間にあったものよりずっとずっと長い時間をかけて。
そして来年の今頃、鳳は後輩は言うのだろうか。
「早く追いかけて来い、待っているから」と。

(そんなの)

嫌だと思った。
それでも今まで散々彼にどうってこともないと言い続けた以上、今更そんなことも言えるはずもなかった。
なんで、一年の年の差なんてものがあるのだろう。
思っても仕方がないことも思いながら、宍戸は一度もこちらを見ることもなく、後輩と仲良く肩を並べてコートに向かう鳳の後ろ姿を見えなくなるまで、見つめていた。