もしも、
キミの傍にいる資格ってものがあるならば
教えて欲しいんだ。



「いやほんと凄いよな」
「こんなショット打たれちゃ誰も返せないだろ」

深夜のリビングで大の大人四人でテレビに向かって好き勝手に喋っていた。
リビングの机の上には閉店間際のスーパーで買いこんできた割引された惣菜の空きパックが乱雑に積まれ、机の下には空き缶がたくさん袋に入って転がっていた。
勿論明日が会社が休みというわけではない。平日の夜。明日も会社だ。
それでもこうして集まっているのは、歴史的瞬間を誰かと分かち合いたいというそういう感情からきている。
今晩、地上波で生中継されているテニスの世界大会の決勝戦。
そこで対戦するのは、長年、世界ランク1位から陥落したことのない外国の選手と、まだ若い日本の選手だ。
世界の壁はやはり厚く、日本の選手がこうした大会で上位まで残ることもまだ少ない。
そんな中で決勝 戦までコマを進めたというのはそれだけですごい事であった。
そしてもしも、その選手が勝ったとしたら。それは日本のテニス界にとって数十年ぶりかの快挙となる。
日本人が世界で一番をとるかもしれない。
そうなると単純な日本のメディアは手のひらを返したようにこぞってスポーツコーナーで特集を組みだした。
今まで地上波でなんかやらなかったくせに、急遽、試合の生中継が決定したのだって注目が集まりある程度の視聴率が望めることとなったからだろう。

そんな世間の空気に、会社の中でやっているテニスサークルの仲間があてられたのは当然と言えば当然だった。
今日の昼、社員食堂でスマホをいじりながら昼ご飯を食べていた千石の前に現れたのは生中継のニュースを聞きつけた先輩だった。
曰く、いつものメンバーでテニスの試合を見たい。だが、翌日仕事だし、スポーツバーに行くのは億劫だ。だから、家族も彼女も家におらず、会社から一番近い家である、千石の部屋で。
そんな三段論法で、しかも先輩に言われれば流石の千石も断れない。そもそも千石の中には今日の試合を見ないという選択がそもそもなかったため、いいですよ、と快諾をしたのだった。

適度に残業し、示し合わせたようなタイミングでバラバラの部署で仕事をする四人でエレベーターにのって。
千石の家までの道を歩き、スーパーで思い思い好きな食べ物と飲み物をカゴに放り込んで。
じゃんけんに負けた先輩が渋々と支払いを済ませて。
千石の家について風呂も入って、胃袋も満たされて、ほろ酔い気分でビールの缶を持って、ギリギリのショットに息を飲んで、同じタイミングで歓声をあげて、ハイタッチをして。

今世界に挑む一人の男ー跡部景吾の試合を見守っている。

丁度、二セット目は跡部が手中に収めたところだった。
実力は伯仲している。否、相手の方が高い力を持っているが勢いは恐らく跡部にあった。
会場にいる観客の反応も、前半はチャンピオンに傾いていたが、今は跡部の方への声援の方が若干多いように思えた。

(ほんと、すごいな。跡部くんは)

ちびちびと缶ビールを飲みながら千石はぼんやりと思う。
画面の中、相変わらず跡部は美しいテニスをする。
流石に昔ほど遊びの部分は見えないが、派手で魅せる試合の運びは変わっていない。
それを可能にする正確で緻密なショット。
試合展開を予想する力。
一瞬の判断力。
それを見ると千石はいつも幸せな気持ちになり、同時に落胆する。
十年もしない昔までは同じ場所で肩を並べて歩いていたというのに、今や彼は遠い世界の人になってしまっている。
それなのに自分は。
そんなことを思っていたら、追い打ちをかけるように先輩がなあ、と千石の方に視線を向けた。

「そういえば、千石、同じ年なんだろ?」
「へ?」
「跡部とかと」
「あ、はい」
「跡部とか今世界で活躍している選手とかと試合したことあるんだろ」
「まあ、ありますけど」
「勝ったこととかあるの?」
「勝ったこと、あったと思いますけど」

負けたことの方が多かったかも、そう千石がへらりと笑うとその回答に満足したのだろう、先輩たちはそりゃそうだよな、と笑ってまた画面に視線を戻した。
丁度、第三セットが始まるところだった。
跡部のサービス。ボールをコートにバウンドさせる姿が、その真剣な表情が大写しになる。
その真剣な横顔に千石はねえ跡部くん、と心の中で話しかける。

(俺の言葉は、まだ君に届くのかな)






啓、跡部くん








電気が落ちた暗い部屋の中には三人分の寝息が響いていた。
千石のベッドの上に一人、床に敷いてあるカーペットの上に二人が眠り込んでいる。
その他に聞こえるのは時折寝返りを打った時にする布団の擦れる音と、壁にかかる時計の秒針がたてるかちかちという音だけだ。
そんな皆が寝静まった部屋の隅で千石はスマートフォンの画面に指を滑らせていた。
先輩たちが目を覚まさないようにバックライトの光を落として、画面の角度を調整しながら千石は一人白い画面に文字を埋めていく。


跡部くん、今日の試合見たよ。
優勝、本当におめでとう。
今回の試合はなんと日本の民放で生放送されたから
会社の先輩たちとうちに集まって観戦したんだ。
みんなキミのプレイに興奮していたよ。
キミが優勝した瞬間、皆でそれまで散々飲んでたんだけど、
もう一度乾杯したんだ。
おかげで明日皆きっと二日酔いだよ。
先輩たち、俺と同級生で昔一緒に試合していたって
言ったら、驚いてたよ。
キミと付き合っているとかいったら、
きっと卒倒しちゃうよね(笑)
それはそうと、第二セットの三ゲーム目のサーブのキレ、
凄かったね。
ドロップショットも凄いいいタイミングだった。
あんなの絶対返せないよ。


千石が打ちこんでいたのはそんな内容で始まる他愛のないメールだ。
しかしせっかく作ったメールを、千石は送れずにいた。

それは、このメールを送る必要がないのではないか、と思ってしまうからだ。
特にこの一年、跡部が目覚ましい活躍をし始めてから千石は跡部に連絡を取ることができなくなってしまった。
前までは、彼がまだ在野に埋もれていた時は千石はいろいろな手を駆使して、それこそケーブルテレビやらいろいろなものと契約し、雑誌を買いあさり、跡部の活躍を追いかけた。
試合中に感動をしたプレイも、変わっていない癖も逐一メールをしていたため、跡部に鬱陶しいと電話で怒られたこともあった。
それでも、まだそこまで名の売れていない彼のことを追いかけ、連絡を取ってくる人物は他にいないようで跡部は呆れながらも楽しそうにしていた。
しかし、今では世界の誰もが彼のプレイを見ることができ、活躍を知っている。
自分がすごいと思ったことも、テレビの解説者や実況の人も同じように褒め称えているし、流石プロだ。学生時代は自分しか知らなかったような彼の癖も、見抜いて解説をしている。
もっと言えば、自分とテニスをしていた期間より、プロとして活躍している期間が長くなれば長くなるにつれ、自分の知らない彼の姿を見ることの方が多くなってきていた。
昔、彼が苦手で、よく打ち込んでいたコースももう、今や弱点でもなんでもなくなっている。
そんな彼になんという言葉を掛ければいいのか千石は分からなくなってしまったのだ。
特別な事も、専門的な言葉も何も自分は彼にかけてやることができない。彼のことを誰よりも知っているつもりでいたが、たぶん今はそうでもない。
そしてなにより、どんどんと前へ進んで行ってしまう跡部に比べ、平凡な会社員として生活をしているというコンプレックスが余計に千石の後ろ髪を引いている。
今更こんなつまらない人間になってしまった自分なんかに何かを言われても嬉しくないだろう。
そう思考が行きついてしまうと、千石はどうしても跡部にメールを送ることが、連絡を取ることが出来なくなってしまった。
下書きメールフォルダにたまっていくメール。
それが何通になっているかなんてもう数えたくもない。

送信ボタンにタッチしようとし、そしてやめるという動作を何度か繰り返し、千石はため息をついた。
明日も仕事だ。もう寝ないといけない。
千石はそう自分に言い聞かせると、一応メールを保存し、カーペットの端っこに寝ころんだ。
三人も泊めることを想定していない千石の部屋には人数分の布団はない。そのため、体に良くないとわかってはいたがホットカーペットの電源は入れたまま、そこに雑魚寝をしてもらっていた。
じんわりと温かいそこに頬を付ける。
まだ少し残るアルコールと、ふわりと体に滲んでいく温度に千石は心地よい浮遊感を覚える。
ゆるゆると重さを持っていく瞼にちゃんと眠れそうだと安堵する。
さて、あとすることは。
重い瞼を持ち上げながら千石はもう一度スマートフォンの画面を付ける。
そして目覚ましのアラームをセットするためにスマートフォンの画面に視線を向けた。

その瞬間だった。

鈍い振動と一緒に画面が切り替わる。
電話の着信画面。
そしてそこに表示された名前に千石は思わず息を飲んだ。

跡部 景吾。

件の、今日テレビの中で試合をしていた男の名前。
世界で、頂点を取ったその人。
テレビやら雑誌のインタビューやらで引っ張りだこであろう人物。
それが、何故。
そして何より見透かしたようなタイミングに千石は一瞬、通話ボタンを押すべきか押さざるべきか逡巡した。
寝ていたことにすればやり過ごせるだろう。
それでもこの瞬間に電話を取らなければ、自分は彼と会話をする機会をずっと逸してしまうような気がした。
千石は暖かいカーペットから体を引きはがすと、足早にリビングを出て、玄関の方へと向かった。
玄関とリビングの間には一枚の扉がある。それを音を立てないように閉め、そこで初めて通話ボタンを押す。
そして恐る恐る電話を耳に押し付け、周りに聞こえないように小さく声を出す。

「・・・もしもし?」
『よう、千石』

聞こえてきたのは、間違いなく跡部の声だった。
何で、そう千石が口にするより先に彼はまだ起きてたか、と半分驚いたような口調でそう口にした。
一瞬で乾いてしまった口で、千石は辛うじて寝ようと思ったところだったよ、と返せば起こしたんじゃなかったらいい、と跡部は笑う。
その低く、優しい声に、千石は何となく、ああ跡部くんだとそんなことを思う。
跡部はそんな千石にお構いなしにさっきまで質問攻めで、テレビやらインタビューやらに引き回されたのだが、やっと時間ができたのだと話した。
そして、そこで跡部は唐突に言葉を切り、そういえば、と切り出した。

『てか、お前試合見たかよ、日本でも中継してたんだろ』
「あ、うん。もちろん見たよ、凄かった。流石跡部くんだなーと思って。感動した。職場の先輩たちと一緒にうちで見たよ。みんなすごいって感動してた」
『そうかよ』

跡部はそこで言葉を切ると深くため息をついた。
そして低い声で呟く。

『全然連絡してこねえし、テニスにもう興味ねえのかと思ったぜ』
「そんなことないよ。キミの試合は全部見てる。ただ、なんとなく連絡するタイミングを逸しちゃってさ」

千石は跡部に見えないとはわかっていたが、いつも自分の感情を隠す時と同じようにへらりと笑った。
遠くに行っちゃった気がして。
こんなところでぼんやりと生きている自分が情けなくて。
君をはっとさせるような言葉も、喜ばせることもできそうになくて。
もう、君の中で取るに足らない存在に格下げされていたらと思ったら怖くて。
そんなこんなで君に連絡できなかったんだ。
少し気を抜いたら、そんな弱音が全て口からこぼれてしまいそうだった。
ぎゅ、と唇を噛む。すれば千石の様子など見えないはずなのにまたもや彼は見透かしたように、は、と軽く笑った。

『バーカ。てめえのことだからまたどうせくだらねえ事考えてんだろ。そんなくだらねえことに時間使うならさっさと電話でもしてこい。お前が悩んでることなんてどうせ的外れなんだからよ』
「くだらないとは失礼な」
『そんなことより千石。俺様に言うべき言葉があるだろ』
「え?」

千石は跡部の言葉に首を傾げる。
そんな千石の反応に跡部は呆れたようにあからさまなため息を吐いた。

『え?じゃねえよバーカ。普通開口一番にいうだろうが』
「開口一番に?」
『お前ふざけてんのか?』
「ふざけてなんて・・・ああ、そうか」

千石はそこで漸く跡部の言葉の意味に行き当たった。
メールには書いたから口にした気になっていた。
画面の向こうで、あの会場で、実況の人も解説の人も口にしていた言葉。
自分が言っても、その他大勢の中に埋もれて届かないだろうと思っていた言葉。
それを、千石は口にする。



「優勝おめでとう、跡部くん」



千石の言葉に跡部は電話の向こうで、ふ、と息を吐いた。
どうやら跡部は笑ったようだった。付き合いが長い千石にはその表情が手に取るようにわかる。
わかるからこそ、妙に驚いてしまった。そんなことで彼は喜ぶのかと。こんな他愛のない言葉で、彼が表情を緩めるのかと。
あの優しくて、それでも自信が満々な嫌味な、それでも綺麗な笑みを浮かべてくれるのか。
溜息を、つきそうになったのを千石はぐっと飲み込んだ。
やはり、自分は跡部の言うとおりくだらないことで悩んでいたのかもしれない。
彼はきっと自分にそんな大した言葉を求めていなかったのだ。
専門的な解説でもなく、批判でもない。ただ、勝利に対しての賞賛を。
自分だって同じ立場に立たされたらそうだ。大きなプロジェクトを成功させたときに欲しいのは、おめでとうとかがんばったねとかそういう言葉で。
どっと疲れが押し寄せてきたような気がして、千石は壁に背を預けたままずるずると床にへたり込んだ。
そんな千石の様子を知ってか知らずか、跡部は楽しそうに続けた。

『それにしても千石。世界大会での優勝だぜ?いい誕生日プレゼントになっただろ』
「・・・あれ」
『なんだ自分の誕生日も忘れてたのかよ。は、ほんとお前は俺様の思惑の斜め上を行きやがるな』
「いやいや普通そこは結びつかないでしょ?そんな気障なこと・・・」
『一生忘れない思い出になるだろう?』
「重すぎる!」

思わず大声を出してしまい、千石は慌てて口を押さえる。
すれば跡部は先輩たち寝てんじゃねえの?と意地悪く言う。
誰のせいだ。
千石は横目でリビングの方に視線を向けながら深くため息を吐いた。
そんな千石に跡部は笑った。

『シーズンも終わったことだし、再来週には日本に帰る。優勝じゃ満足してねえみてえだからそん時今日の賞金で飯でも奢ってやるよ』
「げ、キミのことだからわけのわからない名前の料理ばっかり並ぶ店に連れて行くんでしょ」
『訳が分かんねえとはなんだ、てめーが安物ばっかり食ってるのがわりぃ。予定空けとけ』
「えー年末だし忘年会とか合コン入れちゃってるんだけど」
『ああん?俺様が予定空けろっていうんだから空けとけよ』
「はー相変わらず暴君なんだから」

何だ、世界で一番になっても跡部くんかわらないなあ、としみじみと呟いた千石になんだそりゃ、と跡部は笑った。

「いやいや、こっちの話」
『相変わらずわけわかんねえヤツ』
「そんな俺のこと好きなの、どこの誰だっけ」
『は、よく言うぜ。一年も放置しといて自惚れんなよ』
「それ、お互い様でしょ」

これから先もきっと、彼と一緒にいる限りコンプレックスを感じることはあるのだろう。
それは中学の時から変わらない。
前に前にと自分の手の届かない世界へと進んでいく彼の背中を自分は見送ることしかできないのだ。
無力感も、それに伴う焦燥にもきっとこれからも襲われる。
それでも、もし許してくれるのなら。
自分の言葉を届け続ける。
それがどれだけ他愛のないものであっても。
彼が望んでくれる限り、ずっと。

彼からすれば下らない悩みなのだろう。
それでも跡部にもらった言葉と、自分の言葉に見せてくれた彼の笑顔に少しだけ幸せな気分になりながら千石は内緒話をするように声を潜めて、言う。


「跡部くん、ありがとう。最高の誕生日だよ」


千石の言葉に。
跡部は少しだけ驚いたように息を詰め、やがてああ、と優しく、満足そうに笑った。







H appy birthday Kiyosumi.S*141125