頭では分かっていたはずなのだ
キミをとどめることなんてできやしないことくらい。






由な鳥を愛した僕は








「明日誕生日なんだよね」

バイトのシフトに一緒に入っている同い年の女の子にそう話を振ると、彼女は千石の方に視線すら向けずにオメデトウと気のない返事をした。
千石がバイトをしている駅前のコーヒーショップには夜の22時を回ったというのにまだ疎らに客が残っている。
大抵は会社帰りのサラリーマンやOL、そして千石と同じくらいの大学生の姿もある。
しかしほとんどの人は机に向かって本を読んだり、勉強をしたり、明日の仕事の用意をしているため、レジを担当している千石たちの仕事はあまり多くない。

千石はレジ内の整頓をしながら隣に立つ彼女に視線を向けた。
いつも一緒に入っているみきちゃんは、茶色の髪を後ろで高くポニーテールにしている。それが作業の度にふらふらと揺れていた。
その髪を下ろすとさらりと長いことも、綺麗な天使の輪ができることも千石は知っていた。
綺麗に手入れされた肌にナチュラルメイク。それがとてもにあっていてとても可愛い。そして気だるそうなしゃべり方がそれに拍車をかけている。
大学やバイトで話す女子の中では正直群を抜いて可愛い。そして千石のことを冷たくいなすところもお気に入りの理由だった。
静かな店内で大声を上げ、客に反感を買うのも本意ではないし、あまり話しすぎると店長に怒られる。そのため、千石は少し声を落として彼女に話しかけた。

「だからさ、みきちゃん。明日デートしてよ」
「えー?きよくんと?いやだよー」
「なんで!」
「なんでもだよ。ケーキ買うから勘弁してください」
「ケーキなんていいからさー、ね?カワイイみきちゃんにお祝いしてもらえたら嬉しいんだけど」
「セクハラで店長に訴えるよー」
「そんな冷たいこと言わないでよ!」

彼女はぷいっとそっぽを向いてしまう。どうやら取り付く島もないらしい。
しかし千石は諦めずにこの通りです、お願いします。と手をあわせ、彼女に懇願した。
それでも千石が手を合わせてお願いをしても彼女はそっぽを向いたままだった。
明日は千石の二十歳の誕生日だった。
しかし悲しいかな。千石には今交際中の恋人がいない。
それに、もちろん明日、会話の中で誕生日だということを仄めかしたら飲みにでも付き合ってくれる友達はいることにはいるが、事前に友人の誕生日だからといって誕生日会を開いてくれる友人もいるわけではない。
高校の頃であれば、あのマメな部長や、後輩たちが目ざとくやってくれたのかもしれない。
もっとも、その時はそんなことをする必要もなかったため、一度も開催されたためしもないのだが。
だから、最近一番お気に入りの彼女に声をかけたのだが、彼女は恐らく千石が誕生日を恋人とは言わずとも、かわいい女の子と過ごすことを主眼に置いて声をかけていることを恐らく知っている。
そしてそうやって声をかけながらも、千石が恋人を作ることにいまいち前向きではないことも彼女は知っているのだ。
その感情の理由を千石は図りかねている。

「あ、いらっしゃいませー」

扉が開き、一瞬駅の喧騒が店内に流れ込んでくる。
彼女は千石の傍からするりと離れ、カウンターの方へと向かった。

「コーヒー一つ」
「あ、はい、ホットでよろしいですか」
「ああ」
「かしこまりましたー。二百五十円になります」

彼女が会計作業をしているのを尻目に千石はため息を吐きながら、コーヒーを注ぐために機械の方へと足を運んだ。
どうやら彼女は明日千石に付き合ってはくれなさそうだ。
去年は無理を言って、サークルの女子たちに祝ってもらったが今年も頼むのは気が引ける。久しぶりに南や東方に連絡を取るとしようか。
あいつらなら、嫌そうな素振りを見せながらも千石のことを祝ってくれるだろう。
折角の二十歳の誕生日だというのに男に祝ってもらうなんてあまりにもしょっぱい。それでも一人で過ごすよりはいくらかましだ。うん、そうしよう。
そう自分で納得しながら、カップにコーヒーを注ぎ、中身をこぼさないように慎重にふたを閉めると、足早にカウンターに向かう。
既に会計は終わっていたらしい。彼女は千石の方を向いて口を小さく、はやくと動かす。
わかってる、そう手をあげながら千石はカウンターに歩み寄ると営業スマイルを口元に浮かべ、顔をお客の方へと向けた。
そして研修で教わった通りに両手で商品をお客の方へと差し出した。

「お待たせいたしました、ホットのブレンド……」

その瞬間、視界に入ってきた人物に千石の顔はひきつった。
そこに立っていたのは、千石のよく知る人物だったからだった。
茶色の柔らかそうな髪、整った顔立ち。高そうなすっきりとしたかっこいいコート。そして、右目の下にある泣きほくろ。
それは高校卒業と同時に海外へと旅立った男だった。
跡部景吾。
中学校のテニスの大会で出会って、ひょんなことから隣にいるようになって、他の人とは違う意味で特別だった男で。
それでも、跡部は千石に何の説明をすることもなく、勝手にいなくなってしまった。
別れの言葉も、別離の言葉もなく、待っていろとも何も言わずふらりとまるで旅行に行くみたいに彼は海外に行ってしまった。
あまりにあっさりと消えてしまったため、千石は追いすがることも、追いかけることもできなかった。千石のことを、そして千石の心を一人置き去りにして彼はいなくなった。
自分から連絡を取るのも癪で、それでも携帯電話からすべての痕跡を消し去ることもできず、だんだんと流されて消えていくメールや着信履歴を眺めていたのももう、過去のことだ。
流石にテレビに出ることはなかったけれど、時々本屋で立ち読みするテニス雑誌で彼が頑張っていることや生きていることは分かってた。
そんな彼の活躍を見ながら、それでも一度として千石に連絡を取ることもしない彼はもうすっかり彼は千石のことを忘れているのだろうと思っていたのに。
もう二度と、会うことはないのだと、そう言い聞かせてきたのに。
思わず取り落としそうになったコーヒーを千石はそっと、カウンターの上に置いた。
そんな千石の様子に気が付いているのかいないのか、彼はかつてと同じように得意げな表情を浮かべている。

「よう、千石」
「……跡部くん、久し振り」
「久しぶりだな」
「いつ帰ってきたの」
「今日だ」

その足でお前に会いに来てやったんだぜ?感謝しやがれ。
跡部はそういうと、不敵に笑って見せる。その表情に千石は不覚にも目を奪われてしまった。そして自分の心がぎしりと軋むのを感じる。
大学に入って何人かの女の子と付き合った。それらは凄く楽しくて、幸せだったはずなのに。
あの時感じていた幸せも、何もかもが大したことではなかったのではないかと思うくらいに千石の心は、思考はかき乱されている。
なんで。なんでこんなに。
千石はぎゅっと、エプロンの前で右手を握りしめた。困惑と怒りと嬉しさとがないまぜになり、頭がおかしくなりそうだった。
跡部は左腕についている腕時計を確認し、そして口を開いた。

「何時で終わりだ」
「え、11時だけど」
「じゃあ待っててやるよ」

飲みに行こうぜ、あと二時間で二十歳だろ。
跡部はそういうと、優しく笑って見せる。
千石は混乱した思考でその言葉の意味を思い浮かべ、慌てて口を開く。

「え、でも跡部くんがいくようなお店、もう閉まっちゃうよ」
「仕方ねえから安いところで我慢してやる」
「口に合わないかもしれないよ」
「だからお前が知ってる店で一番美味いところ選べ」

跡部はそういうと、カウンターに置いたままになっていたコーヒーを手にした。そして、一口すすり、眉を顰めた。
千石にしてみれば美味しいコーヒーでもきっと、小さいころからおいしいものを食べて生きてきた彼にとっては明らかに物足りないのだろう。
それでも、彼が帰国した足で自分に会いにバイト先に来てくれて、コーヒーを頼んでくれて。あまつさえ千石の誕生日を覚えてくれていた上に気兼ねなく飲める店に連れて行ってくれるというのだから。
申し訳ないような気持になりながらも、千石は心の中に喜びが広がるのをはっきりと感じていた。
そして、千石は思い知る。この二年ほど、彼女ができても自分の心がいまいち乗り切らなかった理由も。
女の子に声をかけながらも、どこかで首を縦に振られることを恐れていた理由も。
どうやら、捨てられたのだとそう諦めていながらもずっと、この心は彼に奪われていたのだ。どうしようもなく。
まったく、彼には敵わない。
跡部が踵を返し、店の外に出ていくのを見送ると、千石は両手を口に当て深呼吸をしながら感情を落ち着ける。
二三回繰り返し、少し落ち着いたところでそれでもそわそわと浮足立つ心を隠しながら、千石は片付けの作業に戻る。
そんな千石にさっきまで千石に対して興味を持っていない様子であったみきちゃんがよりねえねえ、と声をかけてきた。

「何?きよくん、あの人の友達なの」
「そうだよ」
「めっちゃかっこいいじゃん、今度紹介してよ」
「やだよーめっちゃくちゃ性格悪いよ?それにみきちゃんのこと、あいつに渡したくないなあ」
「ふーん」

「きよくん、ご機嫌だね」

みきちゃんがにっこりとほほ笑む。
いつもだったらそれに千石はみきちゃんと一緒に入っているからだよとか軽口を叩けるのだが、今日はそうかも、と答えることしかできなかった。




もう、この心は彼が空のどこか高いところへ連れ去ってしまったのだから










H appy birthday Kiyosumi.S*131125