貴方が生まれた奇跡を。
共に歩める幸いを。








とりひとつの永遠











「何そんなところに隠れとるんじゃ」

授業が終わり、校舎や校庭が騒がしくなる放課後。
校舎を一周し、仁王が辿り着いたのは喧騒から一線を画す校舎裏だった。
木が鬱蒼と茂ったそこはまだ冬の色が色濃く残る風の温度を一層冷たいものにしており、乾燥している関東の気候にも拘らずじっとりと高い湿度を持っている。
この校舎裏のスポットは7暑い季節であれば仁王にとって一番の避暑地だった。
しかし、流石に今の時期では流石の仁王でも足が遠のいてしまう。それは他の生徒も同様のようで他に誰の姿もなかった。

そのなかでも一番奥、校舎の窓からも校庭からもちょうど死角になる場所。
そこに一人の男が腰を下ろしているのを仁王は見つけた。
濃紺の少し長めの髪を持ち、華奢な体躯をしたその人物は仁王の所属するテニス部の部長、幸村精市だった。
幸村は少し汚れた校舎の柱の陰で膝を抱えながら壁にもたれかかっている。
狭い場所に小さく収まるように体を折りたたんだその姿はどう控えめに見ても誰かから身を隠しているような恰好だった。
幸村は仁王の声にぴくりと肩を震わせると見つかってしまったことに対してばつの悪そうな表情を浮かべた。そして諦めたように深くため息を吐く。

「だって恥ずかしいだろう、あんな楽しそうにされると」
「そんなこと言わんと。探す方の身になってほしいぜよ」
「お前だって自分の立場になったら逃げる癖に」
「俺はいいんじゃ、俺は」

仁王がそういうと幸村はそんなの差別だと頬を膨らませた。
そんな幸村に曖昧に笑い返すと仁王は幸村の隣に腰を下ろす。
どうやらに幸村は仁王が強引に自分を連れていくと踏んでいたのだろう、一瞬だけきょとんとした表情を見せた後、幸村は仁王への警戒を解き、自分の膝に顔を埋めた。

沈黙の降りた校舎裏には、冷たい風に乗って校庭の方から幸村を探す部員の声が響いてくる。
幸村、幸村先輩、幸村部長。
高い声、少し低い声。
折り重なるように響く幸村を呼ぶ声。おそらく自分に割り当てられた準備が終わった人から幸村を探しに行っているのだろう。
ホームルームが終わった瞬間、教室まで待ち構えていた部員を振り切り姿を消してしまった幸村のことを。
そして仁王も実はそんな中の一人だった。

『幸村の誕生日を祝おう』

誰が言い出したのかは分からない。
しかし本来秘密裏に進められるはずのそれはいつの間にかレギュラー以外の部員も預かり知るところとなり、いつの間にか全部員規模のものに拡大をしていた。
そこまでの規模となれば流石の幸村の耳にも届いてしまった。
これが真田辺りであればうまくごまかせたのだろうが、幸村はそこまで愚鈍でもなかったし、それに気づかないふりができるほど器用でもなかった。
それに加え、幸村は普段イベントごとを取り仕切ったり、他人の誕生日を祝ったりなどということを自分から率先として行うタイプの人物だ。
そしてそういう人間が概してそうであるように幸村は自分が励まされたり、祝われたりということは不得手としていた。
だから幸村はテニス部からの逃走を決め込んだのだった。
もっとも、あんなふうに「幸村、お前の誕生日会するから出てこい」などとあからさまに構えられてしまったら出ていきたくなくなる気持ちも仁王だって十分に、否十二分にも理解できる。譬え本心では嬉しいと感じていたとしても。

しかし、元来他人の感情の機微に敏感な柳や柳生、そして仁王でさえも幸村があまり望まないことを知っていてそれを止めるのでもなく、むしろ積極的に加担しているのには理由があるのだった。

「二年分じゃ、みんなテンションあがっとるんよ」
「去年もさんざん病室で騒いだくせに。あの後看護師さんに怒られた俺の気持ちにもなってくれ」
「ほう、あの綺麗な看護師さんたちが怒ったんか。お前のこと目に入れても痛くないっちゅう顔しとったんに」
「看護師さんたちは怒りたくなかったみたいだけどね、周りから苦情が来たから仕方ないだろ。幸村くんごめんね、いつもみんな大人しいからあれだけど、今日のは少しうるさかったかなって」
「そんなん怒られたうちに入らん」
「そうかもしれないけどな」
「あれでもセーブしたんよ、多分」
「ふうん」

仁王はちらりと横を見やる。
しかし幸村は憮然とした表情を浮かべたまま、まだ立ち上がる様子を見せない。
そんな幸村の様子にどうしたものか仁王は肩を竦める。
実力行使は簡単だ、携帯電話を一つ鳴らせば、寧ろ叫び声をあげれば解決はする。
しかしそれでは意味がない。
仁王はじっと目を伏せ、自分の中にある幸村への感情のすべてを洗い出す。

(調子狂うぜよ)

普段、自分は驚いた顔や、騙されたと苦々しく顰められる顔を見ることに情熱を燃やすというのに。
今は幸村に気持ちよく誕生日を楽しんでもらうことだけを考えている。
そんなこと同じクラスの丸井にも、ダブルスパートナーの柳生にも感じたことがない。
自分らしくない、そう思いながら仁王は苦笑するともう一度口を開く。

「それにしても、間に合ってよかったのう」
「何が」
「退院」
「が?」
「誕生日に」
「まあ、二年連続で病院で誕生日は流石に滅入るもんなあ」
「そうじゃな」

「今年は騒がしくできなかったじゃろうしのう」

仁王の言葉に。
幸村は一瞬ぴたりと動きを止める。
そして恨めしそうに仁王を見上げた。
その視線を仁王は黙殺することに決める。

去年から今年にかけて幸村は二回、病院に入院していた。
一回目、去年の秋から夏に幸村が入院していた病院は学校からもそう離れているわけでもなく、学校帰りにすぐによれる場所にあった。
故に、自分たちは幸村の姿を見守ることができたし、幸村の変化に敏感にも、ある意味鈍感にもなれたのだった。
しかし二回目、幸村が病気の根治のために入院していたのはここらからすぐには駆けつけることのできない場所にある病院だった。
部活を引退したあとに入院したため、部活の現役中に幸村を欠くことよりは部内では幾らか動揺は少なかったし、普段の自分たちの生活に影を落とす機会は少なかったかもしれない。
それでも、欠落や、言いようもない不安に襲われていたことは確かだった。
彼は今どうやって過ごしているのか、何を考えているのか。
それが全く見えないことは、この三年間において一度もなかったことだったからだった。
だからこそ、やっと帰ってきた幸村とただ、馬鹿騒ぎをしたいのだった。
王たる幸村の復活と、今後の未来を祝って。
後輩も、同輩も、そして他でもない仁王自身も。
だから。

「幸村、一日だけでええ、俺たちに付き合ってくれんか」

幸村は仁王の思惑を読みよったのか、はたまたそうではないのか、わざとらしくため息を吐くと、立ち上がり制服についた土ぼこりを丁寧に払った。

「わかったよ、大人しく祝われてくることにするから」
「おう、そうしんしゃい」

幸村は仁王を振り返ることもせず、傍らにあったカバンを掴むとそのまままっすぐ背を伸ばして歩き出した。
揺るぎない足取り、ふわりと揺れる髪。
そしてその背中に仁王は目を細める。
仁王と同じ身長でけして広いわけでもなければ、筋肉が隆々としているわけでもない、幸村の背中。
そこにはあの夏の辛子色のユニフォームが見えた。
それはずっと、この三年間、真田と柳の隣にあり、そして後ろに続く数えきれない部員が追いかけた背中だった。

もしもの話だ。
もし、幸村がいなかったとしても、確かに立海は機能した。
神奈川の地区大会、県大会を危なげなく勝ち進み、関東大会では決勝では負けはしたものの、全国への切符だって容易く手にすることはできた。
全国大会だって準決勝まで殆ど幸村を温存して進むことができたところを見ると、同じような結果を残すことが出来ただろう。
それでも、彼がいるのといないとでは安定感が違うのだった。
それは部活を引退した今でも変わらない。
だからこそ、みんな口にはしないが、こうやっていつも以上にはしゃいで我らが神の子の生誕を祝おうとしている。
まったくもって同級生に抱く感情ではないと仁王は苦笑する。
そして他の後輩や同輩と同じように感じている自分にも。

きっと幸村にそのことを伝えれば嫌そうに眉を顰めるのだろう。
俺にそこまでの期待を寄せられても困ると。
だから仁王は幸村に対して言葉で伝えることはしなかった。
それでも。

「幸村」


幸村がいるからこそ、俺たちは安心して全力で走れるのだと。


「誕生日おめでとう」





貴方のいる奇跡を、幸いを。





H appy birthday!Seichi.Y 2013.03.05