※golden age90の後日譚。
ネタバレの上、妄想の産物ですので苦手な方はご注意ください。




何度でも何回でも。
多分息が止まるまでずっと。





「頭いってー」

さっきまで明るいと思っていたが、あっという間に世界は薄闇に塗り替えられてしまう。
空の端に滲むオレンジをぼんやりと見やりながら、一気に大気の温度が下がっていくのを丸井は感じていた。
コーチからの号令を合図に、練習のメニューは全て終わった。それでもボールの音が鳴りやまないのは打ち足りないと感じている選手たちがまだコートに残ってラケットをふるっているからだった。
ちらほらとライトが付き始めたコートの中、普段であれば丸井もその中に混じって芥川あたりとボレーの練習をするところだ。しかし今日、丸井はその中からそっと抜け出し、宿舎へと戻ってきていた。

まだ、ほとんど選手が宿舎には戻ってきていないようだった。
宿舎へ入ったところで、丸井は周囲に誰もいないのを確認し、壁に寄り掛かった。
そして頭を押さえながら深くため息をついた。
手のひらの下ではじくじくとした痛みが広がっている。血液が波打っているのを感じられるほどに明確な頭痛。それに数日前から丸井は悩まされていた。
しかしその原因が外部要因にないところが丸井の憂鬱に拍車をかける。
寒い大気もバカみたいな筋トレも、ウォーミングアップも関係がない。もっといえば立海の練習以上のクオリティで、否、大会の試合なんて目ではないくらいのレベルで行われる練習試合も関係がない。

丸井を悩ませる頭痛の正体はもう既に分かりきっている。ただ単純に丸井はここ最近、質の良い睡眠をとることができていなかったのだった。有体に言えば睡眠不足、それ以上でも以下でもない
丸井は仮にも立海でレギュラーの座をもらっている身だ。自分の体調の管理など造作もない。睡眠の管理も、栄養の管理も普通の中学生に比べればきちんとこなせるほうだろう。
それに今はいつも以上に厳密な体調管理が求められる。一瞬でも気を抜けば簡単に負けるような選手がひしめく選抜合宿。だからみんなはしゃいではいたが、きっちりと消灯時間は守り、しっかりとした睡眠をとっていた。
十分な睡眠をとらなくてはいけない、わかっている。それでも睡眠をとることができていない。それは最近、丸井の夢見が悪いことに起因していた。
繰り返される夢。否、厳密に言えば夢ではない。目を閉じたとき、丸井の脳裏に浮かび上がるあるシーンが丸井の睡眠を阻害するのだった。

それは丸井が自分の手で傷つけた選手の姿だった。緑色のコートに倒れ伏し、膝を押さえて苦痛に顔をゆがめる三つ上の先輩。古傷とされている膝を狙ってぶつけた黄色いボールが、そのそばを転がっていた。
その時のラケットのインパクトの感触。彼の悲鳴。あの瞬間が網膜に、手の感覚に、耳の中に蘇るのだった。
彼に対してそのような行為に及ぶことを決めたのは自分だ、さすればこの状況は自業自得でしかない。丸井は苦笑し、肩にかけていたラケットバックを背負いなおす。
今日は早く風呂に入ってとりあえず横になろう。取りあえず、目をつぶっていればいくらか楽になるに違いない。
練習が終わったことで幾分か緊張が緩んだせいで、一層ぶり返してきた頭痛にふらふらと足元をふらつかせながら自分に充てられている部屋へと続く廊下を歩む。

と、角を曲がった瞬間、出会いがしらに人とぶつかった。

人がいないと踏んでいた丸井は突然の出来事に体勢を崩す。思わず肩からラケットバックが滑り落ち、ガチャンと鋭い音が響いた。
倒れる、そう判断した時、強引に腕を引き寄せられ、そのまま壁に押し付けられた。
壁と背中の骨がぶつかる鈍い音が丸井の中に反響する。そして一瞬反応が遅れたその隙に、取られた左手は壁に縫い付けられた。
突然の出来事に丸井の思考は追いつかない。反射的に体に力を入れたが、しかし顔をあげた次の瞬間に視界に入ってきた男の姿に肩の力を抜いた。

銀色。詐欺師。見慣れたチームメイトでクラスメイトの男。仁王雅治は、丸井の目と鼻の先で意地悪く口角を持ち上げた。
丸井はそんな仁王に安堵すると同時に憮然と唇を尖らせた。

「なんだよ突然」
「なんじゃろうな」
「つうか仁王近い。離せって」
「放さん。おい柳生、ブン太捕まえたぜよ」

仁王はそういうと肩越しに振り返る。その隙に抜け出してやろうともがくが、しかし丸井の左手を押さえつけている仁王の右手はびくともしない。
って待てよ。お前リハビリ施設送りじゃなかったっけ?何でこんなとこいるんだよ、包帯が痛々しいだろってかヒロシいるんなら仁王を止めろ!
そう叫ぼうとした次の瞬間、視界が暗転した。貧血だとそう判断するにも一瞬を要する自分に丸井は苦笑した。
壁に沿ってずるずるとへたり込んだ丸井に、仁王と、いつの間にか仁王の隣まで来ていた柳生は屈んで視線を合わせた。
正反対な銀色と茶色。でもその実そっくりな二人は同じように眉根を顰めている。

「ほらいわんこっちゃない」
「丸井くん、貴方、酷い顔をしていますよ」
「うるせえし」

逃げてやろうと、振り上げた手。それを今度は仁王ではなく柳生の手に捕えられる。
真田とかに比べればいくらか華奢な腕だ、それでもさすがレギュラーといわんばかりの力に丸井はようやく観念し体の力を抜いた。
そんな丸井の様子に柳生は「丸井くん」と目を細める。

「貴方らしくないことをした理由を教えていただければと思いますがいかかでしょうか」






たたびのあさ







「なるほど、そういうことじゃったんか」

空いていた仁王と樺地の部屋に連れ込まれた丸井は二人に部屋の一番奥に座らされた。
そして仁王と柳生は息ぴったりに扉を背にして座り、丸井を見据える。どうやら逃がさないという意思表示の様だった。
丸井は、二人の責めるでもなく、興味本位から紡ぎだされているわけでもない真剣な質問の数々に先日の試合の経緯を全て引き出されてしまっていた。
君島から告げられた幸村の病状。そしてその状況を打破するために突きつけられた条件。自分が考えたこと。そして選択をしたこと。
柳生の優しげな問いかけに、一つも丸井の反応を見過ごさないと向けられた仁王の視線。
お互いの特徴を生かした、鮮やかすぎるチームプレイ。それは結成当初、考えられるダブルスの中でどれよりも最悪の組み合わせと噂された時二人の雰囲気など微塵も感じられなかった。

「おかしいと思いました、あなたが人を傷つける選択をするなんて」
「まあ、だけど今まで全くしなかった訳ではねーけどな」
「そうですね」

私だって、全くないわけではないですし。
そう柳生は苦笑した。
丸井だって今までだって誰かにボールをぶつけたことがあるかないかで言えばそれはあるとしか言えない。
際どいコースを狙った時に相手が避け切れなかったり、寧ろ予想外の動きを見せて体にぶつかったことはあった。
相手の顔面にぶつけてしまったことだってある。
しかし故意にラフプレイを狙ったことは一度もなかった。
ましてや自分は切原のプレイスタイルに対して好意的でもなかった。
テニスラケットもテニスボールも人を傷つけるためのものではない。それは小学校で教わるまでもなく丸井にとっては当たり前すぎる常識だった。
しかし、今回、丸井はその常識を敢えて無視、したのだ。

遠野の膝を狙って。意図的にそれを壊すために。
立海の為だ、そう嘯いて。
丸井は膝の上で組んでいた手を強く握る。そしてゆっくりと視線をあげた。

「なあ、俺がしたことは正しかったと思う?」

丸井は二人の目をまっすぐに見つめ問いを投げかけた。
それはこの部屋に連れてこられてから、あの悲鳴を聞いた瞬間から。もっと言えば君島に「交渉」を持ちかけられてからずっと考えてきたことだった。
丸井だってそれが「正しいことであるか」なんて確認するまでもない。間違っているとわかっていた。
誰かを助けるために誰かを傷つけるなんてそんなことが許されるわけなどない。
脅されていたとしても、弱みを握られていたとしても、人質を取られていたとしてもだからといってそれを救うために誰かを傷つけたり、極論を言えば殺していいなどという法はこの世界にはない。
そんなことは丸井にしたとしても百も承知だった。ただ、今丸井が柳生や仁王に確認をしたかったのは社会通念的にそれが許される行為であるかではなかった。
ただ立海にとって、ひいては立海のレギュラーにとってそれが正しいことであったかについての一点を丸井は確かめたかった。
丸井はテニスを好きではあったが、しかしだからと言って最強のテニスプレイヤーになりたいか、端的に言えばプロになりたいという思いを抱いているかといえばそれは違った。
さすれば何のためにテニスをするのか。その答えはこのレギュラーで全国の頂点に立ちたかったからに他ならない。
それ故、丸井にとっての行動の規範は全て立海大学付属テニス部に益をなすか否かに終始する。
自分の行動が、立海のためになるかならないか。だからこそ丸井はただ強くなることを選び、勝ち続けることを選んだ。この三年間、ひいてはこの一年間。そしてこれからも。
だから、今回丸井は君島に、あの選択肢を突き付けられたとき、自分が負う傷よりも、社会通念に背くことよりも、それが立海のためになる選択肢を選んだのだった。
それほどまでに丸井にとって、幸村の不在はもう、この立海にとってはありえない事態と判ずる事象だったのだった。
次の三年。
全国最強を目指すためには、あの誓いを果たすためには、もう誰一人として欠けてほしくなどない、欠けてはいけない。そう丸井は強く思った。
だから、幸村との未来と遠野の選手生命を天秤にかけたのだ。

本当はこのことは死ぬまで墓の中まで持っていこうと思っていた。それでもこの二人ならば話してもいいのではないか、と丸井は自分勝手にそう思う。
それは、自分の答えを確かめたかったから。そしてこの二人なら応えてくれるだろうと思ったからだった。
幸村の超人的な能力を盲信し、信仰する柳でもなく、困難は自身の力で乗り越えるべしと考える真田の意見でもなく。
全ての事象を自分で抱え込む幸村でもなく、社会的な常識を重んじるジャッカルでもない。同じように立海のテニス部を愛し、同じような選択を迫られたとき、同じような判断基準で動くのではないかと丸井が思う二人に。

二人をまっすぐ見据えたままの丸井に、仁王は腕を組んで、首を傾げ、柳生は眼鏡のブリッジに手をやった。

「さあのう、少なくとも行為としては相手の弱点をついたっちゅうだけじゃしのう」
「客観的に見ればそうですね、切原くんのラフプレイと同じではあります」
「だけど、本質は違うだろ」
「そうですね。そもそも誰かを傷つけることは故意であってもそうではなくても褒められた行動ではありませんが」
「そうじゃのう」

じゃあ、そう口を動かしかけたその時、仁王と視線がかち合う。
そこで仁王は、丸井を見て不敵に笑った。
そして右手を伸ばし不安げにひそめられている丸井の眉間を指でつついた。

「ちゅうか、お前はただまちがっとるって責められたいだけじゃろう」
「……」
「責めてなんてやらんよ、丸井。悩みんしゃい」

意地悪いんよ、俺。仁王はそういうと柳生の方に視線を向けた。
丸井は仁王の視線を追い、緩慢に柳生に視線を向ける。
紳士という異名をとる彼は、苦笑しながらもそれでもまっすぐに丸井を見据えた

「丸井くん。貴方がしたことは正しくはないかもしれません。でも立海にとって幸村くんを助ける選択が正しいか、正しくなかったかなんて、今の時点では誰にもわかりませんよ。それはきっと一年後の私たちが決めることです」
「だけど」
「来年、お前さんが取引してくれとってよかったーって笑っとるかもしれんよ」
「ぜってえねーし」
「ただ、一つ言えることがあります」


「私たちは貴方の味方です」
「一緒に背負ってやるぜよ」



譬え世界中があなたを間違っていると責めたとしても。



そういうと二人は柔らかく笑った。
二人の言葉に丸井は思わず胸が熱くなる。二人の言葉は自分が欲しかった糾弾でもなければ、安い同意でもない。
それでも厳しさと優しさが垣間見える言葉に丸井は泣きたくなった。
しかし、自分は加害者の側に立つ人間だ、泣く資格なんてない。そう思い、強引に笑ってごまかす。
仁王と柳生はただ似たような表情で丸井を見つめていた。すべて二人にはわかっている、そういわんばかりに。

「お前らほんと性格わりい」
「どういたしまして」
「失礼ですね、一緒にしないでください」


「でも、サンキュー」


丸井の言葉に。
二人は鮮やかに笑った。


きっと、自分はこの先ずっと人を傷つけた感触を、行動を忘れないだろう。
悪夢は自分の精神をすり減らすかもしれない。
それでも、ただ進むだけだ。
自分の行動が間違っていると糾弾されて歩みを止めてしまうこともあるのだろう。
背中に背負う業が、重く圧し掛かることもあるに違いない。
それでも。
厳しく、優しく。それでももう一度歩き出せるように手を引いてくれる人がいる。
それがチームだと、そう思ってもいいだろうか。
傲慢で、自分に甘い。そう怒られてしまうのだろうけれど。


「さて、眩暈は落ち着いたかのう。立てそうか?」
「あ?もう大丈夫だけど」
「じゃあ、俺のリハビリ施設まで送ってってもらおうかのう」
「は?一人で帰れよ」
「そうはいかん、もう一つけじめつけるぜよ」
「え?」
「仁王くんの隣の部屋に行きましょうか」
「ええ?」
「謝っといた方がすっきりするじゃろう」
「ちょ!待てよ。俺殺されるぜ?」
「久々によう寝れるんじゃなか?安らかに」
「その時は背負って帰ってきてあげますから、安心してください」
「…まじかよ」


それはきっと、自分たちが掲げた夢をかなえるために。
だから、もういちど。


「仕方ねえ、腹くくるぜ」


来年、笑っている自分たちを見届けるために。
何度でも、立ち上がるのだ。



何度でも。




++++++++++++++++++++++++++++
丸井が幸村のためにしたことについてひたすら議論をしたことのまとめ。
ずっともやもやが収まらなかったので書きました。
丸井先輩にはまず絶対遠野先輩を傷つけたことについて悩んだりとかして欲しいなと思います。平然となんて絶対してほしくない。
そして、立海メンバーに対する真相の開示にも悩んでほしい。
きっと真相を知ったら幸村は怒るだろうし、柳と真田はきっと丸井の行動を理解できない。
ジャッカルはそうだとしても幸村のために他の人を傷つけていい理由にはならないと丸井を軽蔑しそう。
だから丸井はずっとその胸のうちに交渉の内容をとどめておくのではないかと(君島先輩がどういうやり方で幸村のもとに特使を派遣するのかはわからないのでその時点でばれてしまうかもしれませんが)。
でも、一人で抱え込んで壊れてしまう丸井くんも嫌で。
じゃあ誰がガス抜きをしてくれるのか。そういうことを考えたら仁王と柳生はきっと丸井くんの行為について肯定はしないけれども否定もしないのではないかと思います。
なので三人のお話にしてみました。

来年の立海は幸せになれるのでしょうか。
OVAで幸村が真田に「お前はお前の道を行け」みたいなことを言っているし、幸村は離脱フラグが立っているし。
個人的には仁王と柳生の再構築を書いたので二人のダブルスは復活すると信じていますが仁王くんの腕の怪我の重さもわかっていないですし。
と不安要素ばっかりですが、明るい立海の未来を託して、このお話を締めておきたいと思います。

妄想にお付き合いいただきましてありがとうございました。