だからもう一度立ち上がる。 や さしいひとたち 「は?真田俺の誕生日忘れてたの?柳よりもずっと俺の傍にいる癖に?」 ちょうど幸村が柳からもらった包みを強引に引きちぎり、その包装紙をリノリウムの床に投げつけた時だった。 病室の白い扉を開けた男が見せた、驚きの表情を見た瞬間、幸村の喉は挨拶や、見舞いに訪れてくれたことに対する感謝よりも先に、罵倒を吐きだしていた。 定期考査の後、委員会があった真田に幸村の病室で待ち合わせる約束をしたという柳は相変わらずというべきかやはりというべきか予想通りというべきかわからないが、きっちりと誕生日会の準備を揃えていた。 飲料に、ケーキ。そしてちょっとしたプレゼント。 こんなの医師に見つかったら怒られるのではないかと、幸村が喜びと同時に困惑を見せたところ、柳はいつものように悠々と微笑んだ。曰く、準備は万端、らしい。 事前に今日だけは多目に見てくれないかと看護師と医師にまで根回しをしている辺りさすがとしか言いようがない。 そのせいだろうか。看護師たちは午前中に幸村が検査のために病室を開けている間に嬉々として白く無機質な病室を装飾してくれていた。 そこまで大きな規模でなく、忙しい病院ではないとはいえ、少し凝った切り絵の短冊やらを見ると看護師は実は暇なのではないかと勘ぐってしまいたくなるほどだった。 しかし今はそんなことはどうでもよかった。 真田は、ただいつもの冷たく白々とした病室が今や、ある程度の華やかさと色彩に彩られていることに驚き、そして少し眉根をひそめた。 しかし感情の変化がそこまで如実に表れるほうではない真田だったとしても、そこには確実に、しまった、言う色が浮かんでいる。 その真田の表情が、幸村の入院生活でささくれ立った心をさらにささくれさせ、無性に怒りがこみ上げる。 「信じられない!お前の誕生日祝ってやったのに?」 理性が制御をかける前に感情から言葉が飛び出す。幸村にとってそのような暴挙に及ぶ相手はこの世界に二人しかいない。 柳とそして、真田に対してだけだった。 幾ら大切で宝物で手放したくない他の部員たちに対してだって幸村は一瞬だけ感情を飲みこみ、言葉を吐き出すようにしている。 それは部長としての威厳を保つためでもあった、しかし根源的に幸村にとって三強という括りは絶対的に特別なものだったに他ならない。 窓際で佇んでいた柳が、僅かに息をのむ音がした。 しかしもう遅い。零れ出した感情はすでに制御の域を超えていることを幸村も理解をしていた。狭い病室に、幸村の必要以上に大きい声が響く。 「精市」 「お前さ、別に普段だったら別に構わないし、気にもしないよ?だけど普通に考えろよ。今年は、忘れちゃダメだろう!」 「精市!」 「柳は黙ってろよ」 「なあ、真田、俺には来年なんてないかもしれないんだぞ!」 テニスはできないかもしれない。 医師の言葉は幸村にとっての死刑宣告だった。 幸村にとってテニスがすべてだった、それがすべてだったというのに。 彼らは自分からテニスが奪われてしまってもそばにいてくれるだろうか、否、きっとそばにいてくれるだろう。 しかし、それを許せないのは幸村自身だった。 テニスを通じて出会った、そしてテニスがあったから三人は特別だった。三人で一つだった。 しかし、今その特別性は奪われようとしている、それは幸村にとって死ぬことよりも怖いものだった。 「俺は…!」 しまったと思った瞬間には、熱いものがこみ上げ、溢れていた。 留め損ねた透明な雫は二つほど、病院の白いシーツに透明なしみを作る。 慌てて両手で両目を覆い、下を向くが、一度決壊したものは留まることを知らない。 その次の瞬間だった。 幸村の首元に何かがかかった。 その感覚と、温度に驚いて顔を上げる。 しかしその前に、差し出された手はすでにひっこめられており、その持ち主は踵を返していた。 「少し出てくる」 去っていく背中が、どこに何をしに行ったのか。それを把握するにも数瞬を要したことは幸村にとって異例中の異例だったといっても過言ではなかった。 白い扉が眼前で音もなく閉じても、しばらく幸村はそのまま動けずにいた。 しかし、数瞬後、膝の上にのっていた柳からの贈り物が床に落ち、音をたてた瞬間、幸村に時間の観念がよみがえる。 そして高速で回転する思考が状況を把握した、もうそれは嫌と云うほどに。 幸村は目元をパジャマの袖口で拭うとため息をつき、ぐったりと枕に背を預けた。 「…こんなんで騙されないぞ」 「そう言っている割には、機嫌がよさそうだが」 柳は幸村が落とした贈り物を拾いながら意地悪く笑った。 そんな柳の視線から逃げるように幸村は首元に視線を落とす。 じんわりと首元を包む熱。 思っていたよりも手入れされている、そのマフラー。 それを指先でもてあそび、そして首にしっかりと巻きつけた。 「柳」 「ん?」 「あいつのことだから、お前にも同じことをするんだろう?迷わずに」 「そうだろうな」 「はー」 「だが」 柳はそこで言葉を切り、少し首を傾げ、幸村の顔を覗き込んだ。そして、繊細そうな白い指が幸村の目尻にそっと触れた。 優しく細められている柳の双眸は、確かにやさしい。しかしその中には確かに鋭さも孕んでいるのを幸村は見逃さない。 そこに、滲む感情を、幸村はずっと前から知っていた。 「だからこそ、お前はあいつが好きなんだろう?」 珍しく、直截的な言葉を発した柳に幸村は酷く親近感を感じたような気がした。 幸村は首に巻いたマフラーに顔をうずめながら、柳に対し、ゆっくりと唇をゆがめる。 「お前も、な」 ふたりのやさしいひと。 そのふたりのためにも、じぶんはまたあのばしょにもどらなくてはいけない。 そう、あのたかくあおいそらのしたに。 窓の外には、綻びかけた花の蕾が寒空の下確かに春の日を待っている。 HAPPYBIRTHDAY SEIICHI.Y 2012.3.5 ********************** この後真田がピンクのバラとフリージアの花束を持って現れて、幸村に「柳が入れ知恵しただろう!」とまた怒られます。 やっぱり幸村には花束がよく似合う! |