待ち遠しい。 春 待ち人 「はやく、春が来ないかな」 畳に寝そべる男が徐に呟いた。 男の言葉とは裏腹に空は冬の透き通った色とは少し変わってきている。 窓の外に見える日本庭園にも緑が芽吹いてきていた。 男は、そんな光景をその両眼に収めながら、畳の上で身体を丸めている。 柔らかい濃紺の髪を、畳に広げて。 そんな友人の姿に、柳はため息をついた。 そのさまはまるで庭にある古い桜の木の枝先にある、蕾のようだった。 柳は、立ち上がるとそっと、庭へと続くガラス戸を引いた。 部屋の中に吹き込む風は、もうあの身を切るほどに冷たいものではない。 柔らかく、日の光をわずかに含んだ、風だった。 柳はそのまま踵を返し、柳の家に押しかけてから、無遠慮にねそべったまま動かない男―幸村精市の元へと戻った。 「もう、春はそこまで来ていると思うが」 「知っている」 幸村はそういうと、身体をより小さく丸めた。 もともと、柳に比べて幸村は小柄だった。 そのため、その姿は余計に弱く、小さく見えた。 否、違う。 存在そのものが希薄化しているようだった。 幸村は夏の間しか生きられない生き物なのではないかと思う事が柳にはある。 昨年、病に倒れた幸村も今と同じようだった。 白い肌も、細い四肢も、幸村を弱い生き物たらしめているようにしか感じることはできない。 夏の間、あの暴力的な日差しの中では、あんなにも強く、大きく存在しているというのに。 まるでその体内に太陽でも飲みこんでいるかのように輝いているというのに。 「終わらない冬はない」 「それは去年知った」 病室で深く、闇に沈んだ幸村は確かに冬に閉じ込めらていた。 新しい季節が来ても、静かで白く、変化のない病室には夏は届いていなかった。 それでも、そこから這い出した後の幸村は、一瞬で大きく強く動き出した。 まるで、春を待ちわびた動物たちのように。 それを思えば今の冬は短いのではないかと柳は思っている。 夏が終わって、選抜合宿に行って。 そう思えばテニスが出来ていない期間はそう長くはないのではないだろうが。 否、わかっている。テニスが出来ないことが彼にとって問題なのではない。 実際、毎日幸村はラケットを握っている。 それは、今日柳の家の玄関に投げ出されているラケットからも明らかである。 そうだ、テニスはいつでもできる。 だが、できる、それだけでは彼にとっては意味がない。 「柳」 「どうした」 「はやく、皆でテニスがしたいよ」 「そうだな」 「柳、早く」 春を連れてきてよ。 喘ぐような、幸村の言葉に、柳は苦笑する。 幸村は、どこまでも、この夏に固執している。 この夏の、彼が集めた最強のメンバーに固執している。 あのメンバーで、また様々な季節を駆け抜けることを。全国を制覇することを。 「お前の頼みはなるべく聞いてやりたいとは思っている、だが俺にもできないことはある」 「それも知っているよ」 「だがこれだけは約束できる、精市」 「春になったら、共にテニスをしよう」 柳の言葉に、幸村は優しく微笑んだ。 嬉しそうな顔に、柳も嬉しくなる。 やはり、幸村は、冬には生きられない生き物なのだな、と柳は改めて思った。 太陽の日の下で、共に夏を目指して、走り続ける。 あの疾走感が、彼には似合っている。 そして自分は、そんな幸村と真田の傍で、共にその季節を望むのだ。 「約束だぞ、柳」 「嘘はつかない」 「上出来」 もう少し、待つさ。 幸村はそういうと、目を閉じた。 それは、春まで長い季節をショートカットする動物の冬眠を思わせた。 まったく、もうそこまで春は来ているというのに。 もうすぐ卒業式が来る。 そして、入学式もやってくる。 そのときまた、新しい立海の時間が始まっていくのだ。 それは、春の木々の芽生えよりも、桜の開花よりも、何にもまして待ち遠しい事象だった。 春がこの部屋の扉をあけるまで、あともう少し。 Pixivから再掲 |