「流石柳生じゃのう」

 昼休み、逃げるように教室から去り、部室に入ってきた仁王に向かい、柳生は酷く楽しそうな笑みを浮かべた。仁王の手の中は、調理実習で女子たちが作ったケーキや、クラスメイトや、部活の仲間がくれた柳生宛のプレゼントでいっぱいで、今にも落ちそうなくらいだった。憮然とした表情でそれに対応すれば、お誕生日の主役がこんな顔していていいんですか、と柳生は何が楽しいのかもわからないがとにかく楽しそうに、笑っている。

「流石は俺の台詞じゃろう、おとなしく祝われてきんしゃい」
「嫌ですよ、嫌だから貴方に代わってもらったんじゃあないですか」

 柳生はそう言って自分の髪をいじった。その指先にある髪の色は銀色である。その色は普段仁王が所有している色だ。そして呼応するように、柳生は仁王の表情を、顔に張り付けている。口角をわずかに上げて笑う、少し人を馬鹿にした笑い方だ。確かにその表情は仁王のものだ。全く器用なことだ、頬杖をつきながら、楽しそうに仁王に擬態する柳生を見ながら、仁王は肩をすくめた。

「それに、大体、誕生日プレゼントなんですから、文句言わないでください」

 確かにそうだ、と仁王は口をつぐむ。先日、ジャッカルから柳生の誕生日を聞き、ああ、そういえばと思ったが、プレゼントをわざわざ自分で用意するのも面倒で、柳生に直接聞いた時、じゃあ、と柳生はあっさりと入れ替わりを提案してきた。十月十九日に、仁王が柳生になって、誕生日を祝われること、これが柳生が提示してきた仁王への要求だった。
 柳生にとって、特に誕生日が意味を持つ日でないことを仁王はよく知っている。リアリストの柳生は確かにこの一年を死なずに生き抜いたことは意味があるとはいえなくもないが、しかし、それ以上の意味もないとよくこぼしている。だから、親にその生存を祝われることには意味があるとは思っているが、日の浅い友人や、特に親しくもないクラスメイトに祝ってもらっても嬉しくはないらしい。
 しかし、そうはいっているが、今日の場合は、少し違うような気が仁王はしていた。

「しかし、本当にいっぱいもらいましたねえ、それ」
「ああ、まあな」

 柳生は立ち上がり、仁王の手の中にあるプレゼントの中から、ケーキを摘まみとった。マフィンの上に、生クリームがデコレートされているそれは、柳生のクラスの女子が、家庭科の調理実習で作ったものだった。

『十月十九日誕生日なんだよね、その日、調理実習でケーキ作るから柳生くんにあげるね』

先日、帰り道で、今日こんなことを言われたんです、と苦々しく呟いた柳生を仁王は思い出した。そして口々に私も、と続いたという女子の話も思い出す。柳生は甘いものが好きではない。唯一口にするのも、和菓子の類であり、付き合いであれば多少は食べるが、自分から率先して食べようとはしない。しかし、バレンタインデーの時などに大量に貰った時は、自分の学校での立ち位置から食べざるを得ない、そういって、全て消費しているのを、仁王は知っている。しかも、それに大変な苦痛を伴っている事も、知っていた。そしてその機会をなるべく避けようとしている事も。

「頑張って食べてくださいね」

 柳生はまた、椅子に戻ると、リボンをほどき机の上にマフィンを並べていった。一つ一つ、デコレーションも焼き上がりの形も違い、並べていくとそれは売り物とは違って歪だった。しかし、きっと間違いがないのは全て一様な味であり、そして酷く甘いのだろうという事だった。仁王もそこまで甘いものが好きではない。その為、無邪気に一列に鎮座するマフィンに、嫌悪すら感じていた。

「お前さんも食べればよかろう」
「嫌ですよ、貴方が貰ったものはあなたのものですから」
「じゃあ捨ててもええな」
「この世界には食べ物を食べることが出来ずに死んでいく子供が大勢いるというのに、貴方は何でそんなことがいえるんですかね、先進国民の驕りですよ」
「……わかった」

 仁王は、端にあるマフィンを掴み、そのまま口に押し込んだ。口に入れる瞬間に香った、バニラビーンズの甘い匂いから感じる予想に反することはなく、口腔内に広がったのはバターと砂糖の甘い味だった。それに生クリームにまで砂糖が入っており、確かに甘いものが好きな女子好みの味であるとはいえ、仁王にとってこれが苦痛な作業になることが明確に示唆された気がする。
 仁王がそのまま何も考えず、三つほど食べるのを、柳生は何も言わず、楽しそうに眺めていた。否、それが仁王の姿であるため、確かに今日、自分が祝われているのではないか、そう一瞬錯覚するほどだった。

「一個ぐらい食べてくれん」
「一個も食べたくないです、そんな甘そうなもの」
「甘い」
「あ、仁王くん」

「クリーム、付いてますよ」

 と、柳生が身を乗り出し、仁王の口元を舌で舐めた。ざらりとした、人間の体温を持つそれに、仁王が明らかな嫌悪を感じた瞬間、柳生は離れた。そしてそのままにこり、と微笑む。

「私はこれで十分です」

 そのまま、立ち上がると、柳生は振り返ることなく、部室のドアへと歩いていく。銀色の尻尾が、柳生の歩くのに合わせて、揺れた。そのまま出ていこうとした時、ドアが開き、丸井の罵声が飛んだ。それを聞きながら、仁王は頭を抱える。

(あいつ、しっとったな…)

 明日、幸村や、真田たちから、怒られはしないだろうが、いい顔をされないだろうことを思い、仁王はうんざりした。いっそこのまま、柳生でいられたらと思う。あの男がこういう性格だと、幸村や柳あたりは知っているだろうが、大多数は、知りえないことだ。無駄に優遇されている彼になれば、きっと、平和な学園生活を送れるに違いないと思う。しかし、それもつまらない、とも思うのだ。今日くらいは許してやろう、仁王はそう自分に言い聞かせる。それをもう何度繰り返したことかはわからない。しかし今日は明確な理由を以て。

「誕生日、おめでとう、柳生」

 ドアの向こう、丸井の罵声とともに消えた、銀色の猫背の男に、仁王は小さく、呟いた。