口にすることができない、そんな願いもあるのだ




込められた想いの名前は










夜の研究室だった。
仁王は翌日にあるゼミの研究発表会の為に論文の仕上げをしていた。
他のゼミ生も眠い目をこすりながらパソコンに向かっている。
机の上にはカップラーメンと缶コーヒー。
普段はバイトと合コンの話しかしないゼミのメンバーだったがそうはいっても日頃まじめに取り組んでいた研究の総括だ。
それなりに力が入っているらしい。流石の仁王も頑張らない訳にはいかなかった。
エンターを押し、パワーポイントのアニメーションがきちんと作動したのを確認する。
さてここまで仕上がれば、最後の総仕上げだ。
もうひとふんばりと、気持ちを切り替えようと伸びをした時だった。

ポーン。

スマートフォンからメールを受け取ったことを知らせる通知が届く。
こんな時間にいったい誰だろうか。
そんなことを思いながらメールの受信画面を開く。
すれば画面いっぱいに紫色が広がった。
藤棚から垂れ下がり、まるで藤の花の雨が降って来ているようだった。
一瞬、仁王はその光景に見とれた。
そして我に返ったところで画面をスクロールする。
すれば最後、一行だけ文字が並んでいた。

『綺麗でしょう?』


+++


「関西の方の大学に行こうと思うんです」

それは卒業式を間近に控えたまだ寒い二月のことだった。
卒業式の予行練習が終わり、久し振りに一緒に帰っていた時、電車を待つ駅のホームで彼は何でもないような風に口にした。

「関西、ねえ」

彼が自分と同じ大学に内部進学をしないだろうことは知っていた。
彼が彼の親がそうであるように医者になりたいことを仁王はよく知っていたし、医学部が立海大学に無いことも仁王は知っていた。
だから進学先が恐らく別れるだろうことも予感はしていた。
しかし、それがまさか関西の大学だとは。
だが、彼が自分にそういうということはそれは既に決まっている事なのだろう。
彼は、自分の事はすべて自分で決める。その選択を仁王に委ねることはしないし、意見を聞くこともない。
そういう彼だから仁王は彼に惹かれたのだし、好きになったのだが。

「ちょっと遠いのう」
「そうですね」

時間もかかりますし、お金もかかりますね。
何が、とは彼は言わなかった。
しかし、そんなことは言わなくてもわかる。もし会おうとしたら、だ。
だが、だからといって。
仁王は目を伏せる。そしてふっと、笑った。

「でもお前の夢を叶えるためなんじゃろ、頑張りんしゃい」
「ありがとうございます」
「気が向いたら会いに行ってやるきに」
「ええ、私も」

そこまで話した時、ホームに電車が滑り込んできた。
寒いホームでじっとしていたせいで体が冷えてしまった。一刻でも早く暖かい車内に入りたい。
仁王はそう思い、椅子から立ち上がろうとした。
と、その時だった。

「仁王くん、」
「ん?」

制服の袖が、くいっと引っ張られる。
その手の先を追うと、すこし困ったような彼の表情があった。
どうした。そう仁王は口角を歪める。
すれば彼は自分の行為にはっとしたように、手を離した。

「いいえ、なんでもありません」

電車、乗らないといけませんね。そう彼―柳生は優しく笑った。


+++


「綺麗な藤の花だね」

一般教養の授業を取るため大教室の一番後ろでぼんやりとスマートフォンをいじっている時だった。
ふと降ってきた声に顔を上げるとそこには笑顔を浮かべた幸村がいた。
なんの脈絡もなく始まった話に仁王は流れがわからず、首をかしげると彼は仁王の手の中にあるスマートフォンを指差した。
すれば彼の指の先には先日柳生から送られてきた写真を待ち受けにしたものがあった。

まるで空から垂れ下がっているように頭上を埋めつくす藤の花の雨。
それが画面を開く度に仁王の眼前に迫る。

「どこの?」
「知らん、勝手に送られてきたんじゃ」
「ふうん?」

幸村は誰から、とは聞かなかった。
それが全てを見透かしているようで仁王は辟易する。
幸村は仁王のスマートフォンの画面をじっと眺めている。
そこに優しげな表情を浮かべながら。

暫くして幸村は画面から視線を外すと仁王の方を見た。

「それにしても藤の花とはね」
「は?」
「あれ、なんだ気づいていないのか」

お前、ただこの写真が送られたんだと思っているの馬鹿だなあ。
幸村はそう意地悪く笑うと、仁王からスマートフォンを取り上げると、眼前に差しだした。

「花言葉、知っている?」

仁王はその言葉に息を飲む。
完全に意表を突かれた。
ただ、送ってきたのだと思っていた。
素直ではない彼は何か口実を作らないと仁王に連絡を取ることができない。
だから、その「口実」の一つに使われたのだと思い、特にそれ以上の意味を求めてはいなかったのだが。
しかしその場で調べだすのもどうも癪であるし、照れ臭く、仁王は眉をしかめる。
すれば幸村は楽しそうに目を細めた。

「仁王」
「...なんじゃ」
「ほんと、世話がやけるよ、お前たちは」


昔からね、そう続けた幸村に。
仁王は苦笑した。


「そりゃどうも」









-----------------------
藤の花言葉「決して離れない」にかこつけた妄想でした。
お粗末さまでした!