特別じゃないようで、特別な日 1 2月04日 12/04 08:05:53 段々と喧騒に満ちていく教室の後方の窓側にある自分の席。 仁王はそこで学校指定のマフラーを首に巻いたまま机に頬を付けて目を閉じていた。 教室にはまだストーブが入っていないため、室内の空気はひんやりとしていて寒い。 去年はこんなに寒かっただろうか。寒さに痺れる思考を巡らせ仁王はそんなことを考える。そしてすぐに答えに行き着いた。寒かった。確かにとても。だが、すぐにそんなことを忘れらさせられたのだった。 ランニング。声出し。ストレッチ。そしてテニス。 尋常じゃない運動量を朝から強いられ、代謝がいいほうでない仁王でも汗をかかされていた。 冬の間中、ずっと。 だから学校に来るまでは常に凍えていたが学校に来てからはそんなことはなかった。 なにより、隣にはいつも仲間がいた。プライドが高くて、めんどく臭くて、それでも同じ目標のために三年間をささげた仲間が。 そして、もう一人。引退して以来、距離感を図りかねている男が。 誰よりもライバルで、誰よりも似ていて、それでも外から見れば一番対極にいるひと。 余計に寒くなった気がする。そんな自分に辟易しながら仁王は朝礼が始まるまであと十分寝ようとそんなことを思った瞬間だった。 「誕生日おめでとう、仁王」 乱暴な足音に続いて声が振ってきたと思った瞬間、机に何かががさりと音を立てておかれた。 鼻先に香るのは少し、甘い匂いと水の匂い。 何だろうかと目をあげるとそこには灰色の季節に似つかわず様々な色があった。 赤、オレンジ、黄色、紫、緑。 緩慢に顔をあげると自分の席の前の椅子に濃紺の髪をの一人の少年が座っていた。 その顔には楽しそうな笑みを張り付けて。 悪戯っぽく笑う彼に仁王はため息をつく。 「幸村、人のクラス勝手に入っちゃいかんぜよ」 「大丈夫許可取ったから」 学級委員の、えーと名前なんだっけあの髪の長いかわいい子。長谷川さん?鈴木さん?高橋さん? そんなことをいう幸村の言葉を聞き流しながら仁王はのろのろと体を起こすと花束を手に取った。 赤いバラは確か幸村が育てていたものだった。ほかもきっと自分たちが知らない間に彼が育てたのだろう。 手塩をかけた花を自分のために切り取った彼に、そして手に収まる花々の瑞々しい姿に仁王は少しだけ自分の気分が上向くのを感じた。 「あーあ。また俺だけ置いてきぼりだよ」 「お前さんそういうの意外と気にするよな」 「仲間はずれが何より嫌いなんだ」 これ、二十歳の時ムカつくよな。一番初めの丸井と俺の間に一年も差があるなんてさ。 俺の誕生日くるまでお前たち全員飲酒禁止だよ? しれっと口にする幸村に仁王は苦笑した。 二十歳。大学二年生。 そんな遠い未来も当然一緒にいるんだと疑わない彼に。 尤も、そんなことは幸村には関係ないのだ。 花瓶に活けておかないと学校から帰るまでに皺しわになってしまう。 そんなことをしたらこの男に怒られる。すれば、横からすっと、花瓶が差し出された。 透明な、シンプルなガラスの花瓶。 誰だ、こんなに気が利く人物は。仁王がそう思い、視線を上げる前に幸村が正解を口にした。 「あ、柳」 12/04 08:08:26 自分が所属する以外のクラスはどうも居心地が悪い。 向けられる訝しげな視線。それにそういえば自分以外の教室に入るのは先生たちが禁止されていたなと教室を横切りながら柳はいまさらに思う。 きっと、三年前、テニス部に入る選択をしなければ自分はそのルールを厳密に守っていただろう。 しかし、自由な仲間と付き合ううちにそんなことを全く気にしなくなっていた。 目的の場所には仁王と一緒に、自分たちの部長である幸村も座っていた。 ―花瓶忘れたから3−Bまで持ってきて。 朝起きて一番に届いた幸村からのメール。 その言葉に従って母親から出してもらった花瓶を持ってきたはいいが、なるほどそういうことかと柳は花束を持ってきょとんとした表情を浮かべる仁王を見ながら思った。 また一番花が似合わない男に。 誕生日の祝いだといいながら渡したのだろうがきっと半分いやがらせだろう。 それを教室に飾る仁王の姿を、そして質問攻めにあって困る仁王の姿を、持って帰るときに辟易する彼を見たいだけなのだ。本当にいい性格をしている。 「精市、早いな」 柳が仁王の机に花瓶を置くと、幸村は満面の笑みを見せる。 「俺部員大好きだから、誰よりも早く祝おうと思って」 「大好き、か」 「そうそう、だから一番に祝おうと思って、わざわざ早起きしてきたんだ」 柳生にも勝った?と楽しそうに幸村は笑った。 仁王は幸村の言葉に苦笑しながら、幸村が一番じゃと返す。 「柳生にも勝ったなら上出来だ」 「つーかそもそもあいつ、覚えとるかのう」 「覚えてないわけないでしょ、だって紳士だよ?ジェントルマンだよ?」 「まあ、あれでいて素直ではないからな。忘れたふり位するかもしれない、か」 「有り得る!だって仁王だし」 「なんじゃそれ」 「仁王だから、な」 幸村のほうに視線を向けるとふふ、と意地悪く幸村が笑う。 そんな柳と幸村を交互に見ながら怪訝そうにする仁王の肩に柳は優しく手を置いた。 「仁王、誕生日おめでとう。今年の誕生日はきっといい誕生日になる」 12/04 10:40:17 ぽーんと、白と黒のボールが放物線を描いて青い空を横切った。 目の前ではサッカーの試合が繰り広げられていた。 B組との合同体育。見慣れた赤い髪がサッカー部を躱しながらゴールを目指している。 それを、真田はコートの外から眺めていた。自分の出番は次の試合だ。 そんな真田の隣では同じクラスの柳生が寒そうに腕を組みながら試合の行方を見守っている。 彼は今、スコア表の当番となっていた。体を動かさないと寒いですから。そんなこと言っていたがテニスと違ってサッカーは得点がしょっちゅう変わるわけではない。そのせいで結局何もしないでいる真田と同じくらいの運動量しかなく到底体が温まるわけもない。 審判すればよかったです、そんなことを言いながら柳生は唇をとがらせている。 スコアは一点、A組がリードしている。 後半うまくやれば勝てるだろうか。そう考え、常に勝つことに思考が直結する自分に真田は気づき、苦笑した。 もちろん勝負事は全て勝ちたいと思うことが悪いわけではない。それでも染みついてしまっていると、ふとした瞬間に思うのだ。 と、じゃりっと砂を踏む音が近くでした。 柳生と真田で振り返ると、そこには銀色の髪をした男が立っていた。 校則違反だと何度言われても断固として髪の色を変えることがなかったテニス部の問題児にして、しかし重要な試合ではいつも勝利をかっさらっていき、そして今隣にいる柳生といつも競い合いながらも、絶妙なコンビネーションを見せてくれた男だ。 仁王は寒そうに肩をすくめながら、よう、と右手を挙げた。 「仁王、お前はB組だろう。敵陣にいていいのか」 「敵陣て。相変わらず固いやつじゃのう、何体育の授業なんかで熱くなっとるんじゃ」 「体育であろうが、勝負は勝負だろう」 「あーはいはいようわかった。のう柳生。英語の教科書今日持っとる」 「え、ああはい。持ってますけど」 なんでですか。 柳生は仁王の言葉に首をかしげる。 仁王はそんな柳生に安堵したような表情を見せると両手を顔の前でぱん、と合せた。 「すまんが教科書忘れたから貸してほしいんじゃけど」 「またですか」 「おうおう、目くじら立てんでもいいじゃろ。今日くらい優しゅうしてくれてもええじゃろうに」 「私はいつだって優しいですよ」 何限ですか、と聞く柳生に仁王は五限、と答える。 A組の英語の授業は四限だった。 貸す分には特に支障はない。だが。 柳生も同じことを思ったらしい。柳生は呆れたように大仰にため息を吐いた。 しかし、困った人を放っておけないのも柳生だ。仕方ないといった風に柳生は頭をゆるゆると振った。 「わかりました。四限終わったらお貸ししますね」 「おう、流石柳生じゃ。ありがとさん」 その時、ホイッスルが鳴った。選手の入れ替えの合図だ。 次は柳生も真田も、そして仁王も出番だ。 ほんじゃ、またあとで取りにいくぜよ。 そう言い残すと仁王は足を一歩踏み出す。 その背中に真田はそういえば、と昨日の幸村の言葉を思い出した。 明日は、12月4日は―。 「仁王」 「なんじゃ、もうお小言なら十分なんじゃが」 「今日、誕生日だろう。おめでとう」 真田の言葉に仁王は驚いたように目を見開き、そして目を細めた。 「お前さんに言われるとは想定外じゃったのう」 「いいから早く行け」 「へいへい」 ありがとさん、と仁王は言うと踵を返し、自分のクラスの方へと走っていった。 銀色の髪が遠ざかっていくのを見ていると隣から視線を感じた。 すれば訝しげに柳生が自分を見ているのが目に入る。 「どうした柳生」 「真田くん、お恥ずかしながらひとつ教えていただきたいのですが」 「今日、仁王くんお誕生日でしたっけ」 12/04 12:49:07 「仁王くん」 喧騒に満ちた教室に凛、とした声が響いた。 一瞬、ぴたりと空気が止まり、ドアの所に視線が集まる。 すればそこには隣のクラスの元テニス部員が立っていた。 ああ、またテニス部か。今日の朝、教室に居座っていた柳と幸村を見ているクラスメイトはそういった反応を見せ、各々の昼食に意識を戻す。 とはいっても柳生は見た目通りとても真面目な人間だ。幸村とか柳のような真面目に見えて実はいろんなことを気にしない人間とは違う。 そのため、柳生はルール通り自分の所属するクラスではない丸井と仁王の教室には入ってこようとはしなかった。 柳生の登場に、仁王は購買で買って食べていた焼きそばパンを置くと、立ち上がりドアの方に向かった。 柳生は仁王に手に持っていた本を手渡す。どうやら英語の教科書の様だった。 「はい、どうぞ」 「助かったぜよ」 「本当に貴方は仕様がない人ですね」 辞書もいりますか。 そういった柳生に仁王はそんなに難しい単語ないじゃろ、ええよと答える。 そして二、三言葉を交わすと仁王は柳生に手を振り、席に戻ってきた。 ぱらぱらと教科書を捲る仁王に丸井は弁当を食べながら声をかける。 「何?仁王教科書忘れたの」 「おう、そうなんじゃ。だから柳生に貸してってたのんどったんよ」 「へー。ああ、体育の時に喋ってたのそれか」 と、教科書の隙間からひらりと一枚の紙が零れた。 半分におられたノートの切れ端のようなそれは床をつい、っと滑った。 仁王は訝しげに体をかがめるとそれを拾い上げる。 「何、それ」 「さあ、知らん」 仁王はそういいながらその紙を広げた。 それが何か柳生にとってみられたくないものだったらどうするのだろうか。 そういった思いが一瞬頭の中をよぎるが、そんなことを言って聞く仁王ではないだろう。 柳生との入れ代わりだって柳生の弱みを握っただのどうだの噂が流れたくらいだし、他人の秘密とかそういうものが仁王は好きだ。 ご愁傷様。気のいい友人の顔を思い浮かべながら丸井はハンバーグを頬張る。 だが、それを飲み込むより先に、仁王はいきなりガタンと音を立てながら椅子から立ち上がった。 「柳生に辞書借りてくるわ」 「辞書?なんで。お前ロッカーに置いてるだろ」 「持って帰った」 「嘘言えよ。どうしたんだよいったい」 「内緒じゃ」 そういうと仁王は彼らしくない機敏な動きで教室から出ていってしまった。 ほんとに何なんだ。丸井は首を傾げながら仁王の残していった焼きそばパンを手にすると噛り付いた。 窓辺では朝、柳が持ってきた花瓶に活けられた花が仁王の起こした空気の流れにゆらゆらと揺れていた。 12/04 16:55:01 教室の前をぱたぱたと足音が通り過ぎていく。 その音に仁王はゆっくりと瞼を持ち上げた。 三年生の教室はがらんとしている。 それもその筈だ、部活も何もない三年生は学校が終われば真っ先に下校をする。 仁王のクラスメイトも、丸井もさっさと帰ってしまった。 視線を上げて黒板の上にかかっている時計に視線をやり、時間を確認する。 あと、五分。 もうすぐだ。 仁王はそんなことを思いながら、制服のポケットに手をやった。 指先に触れるのはノートの紙の感触。 そしてそこに綴られた言葉。 その言葉の意味は分かった。 だからこそ、そこに込められた真意を確かめなくてはいけない。 (いい誕生日に、なるとええんじゃけど) もうすぐわかる。 だからもう少し。 ストーブでじんわりと暖かい教室の真ん中でそっと目を閉じた。 12/04 19:32:45 「お客様、恐れ入りますがお待ちのお客様がいらっしゃいますので」 とん、と肩を叩かれ仁王は慌てて体を起こした。 駅前のコーヒーショップのカウンター席。窓の外の町はいつの間にか日は完全に闇に沈んでいた。 直帰で良いと言われたため、夕暮れの時間に駅に着き、仕事でもしようと店に入ったところまでは良かったが暖かい空気にうっかりと眠気に襲われて、そのまま眠ってしまっていたらしい。 すいません、そういおうと顔をあげ、肩を叩いた店員の方へと視線を向ける。 そればそこに立っていた人物に、仁王は脱力感に襲われた。 黒いすっきりとしたコート。 茶色の髪を分けて、眼鏡をかけている男。 それは仁王が今日待ち合わせをしていた人物その人だった。 彼はにこにこと人好きのする笑みを浮かべている。 「お待たせいたしました」 「お前、ほんとええ性格しとるの」 「そんなことありません」 さあ、行きましょう。 柳生はそういうと仁王が飲んでいたブレンドコーヒーのカップを手に狭い店内をすいすいと歩いて行く。 仁王はため息を吐きながら柳生の背中を追うべく足を速めた。 師走に入った街を満たす空気は酷く冷たい。 しかし、街はクリスマスに向けて装飾されており、普段に比べると幾分も華やかに見えた。 そんな中、コートの襟元から入ってくる冷気に肩を縮めながら仁王は柳生の斜め後ろを歩く。 柳生の足は全く緩まない。 どうやら店は決めているようだ。 前、戯れで次の誕生日を祝ってくれといった。それを彼は忠実に守ってくれるらしい。 あの時の言葉の通り。 仁王は口から白い息を吐きながら、柳生に声をかける。 「今日はどこに連れて行ってくれるんかの」 「キミの大好きな焼肉ですが」 「焼肉、ねえ。学生時代から芸がない奴じゃ。お医者様がつれていってくれるんじゃからそりゃ大層美味しいんじゃろうな」 「勿論です」 きっと満足していただけると思いますよ。 柳生は肩越しに振り返ると、綺麗に笑った。 12/04 12:15:29 「My mother used to make me help her with her work.」 体育の後の授業は気怠い。次が昼休みでお腹が減っているとなればなおさらだ。 同級生たちが数名机に突っ伏している。彼らはさっきの体育で活躍をしたメンバーだった。真田は、相変わらず背筋をピンと伸ばして黒板に視線を向けている。 最近真田は英語の授業を今まで以上に真剣に受けている。おそらく、彼のライバルたちに負けまいとしているのだ。 立海ではない、他校の、海外に向かったライバルたちに。 それにひきかえ自分は。 柳生は苦笑しながらシャーペンを手にした。 今は授業中で、受験生で。 それなのに勉強とは全く関係のないことを考えているのだから。 これで真田に期末考査で負けてでもしたら。 それでも今の自分にとってはこれも大切なことなのだから仕方がない。 柳生は真田を尻目にこっそりため息を吐くと板書をしていたノートのページを捲り、白いページに文字を綴る。 仁王くん、今日の放課後はあいていますか。 もし、ご予定がないようでしたら一緒に君の好きな焼肉を食べに行きませんか。 委員会が恐らく17時ごろに終わるので そのあと、メールします。 それから、…… 書き終わった時、ちょうどチャイムが鳴った。 先生が教科書を閉じ、今日はここまで、と授業を締める。 起立、気を付け、礼。 お決まりの手順をなんとなく踏めば、教室は一気ににぎわった。 昼ごはんの時間。 購買に走るもの、机を動かし、友達と食べる体制を作るもの、食堂で何を食べるか話し合うもの。 そんな浮ついた雰囲気の中、柳生は席に座るとノートを音がしないようにそっと破り、二つに折る。 彼は、気付くだろうか。 気付いたとしてどんな顔をするだろうか。 驚くのだろうか、気持ち悪いと敬遠するだろうか、呆れたように笑うのだろうか。 それとも。 もしかして喜んだり、するのだろうか。 部活を引退する前までは毎日の様に一緒にいて、笑って。 しかし引退してから距離のとり方がわからなくなってしまった人。 12月を過ぎたら、冬休みがやってくる。年明けは受験が始まり自由登校になる。きっともっと会わなくなってしまう。 その前にだなんて虫がよすぎるとはわかっていたけれど。 そんな自分に苦笑しながら柳生はノートの切れ端をそっと、教科書に滑り込ませた。 12/04 12:17:01 Love is the condition in which the happiness of another person is essential to your own. H appy birthday Masaharu.N*20141204 |