きっと最初で最後。





駅前の花壇に腰かけながら仁王はため息を吐いた。
十七時もまわっていないというのにすっかり暗くなった駅前には沢山の人があふれている。
学校帰りの学生や、サラリーマン。様々な人が仁王の前を通り過ぎては改札に吸い込まれていく。
仁王はその人の波の中から待ち人たちを探し出そうとするが、どうしても見つけることができない。

(早く来すぎたかのう)

学校指定のマフラーに顔を埋めながら仁王は眉を顰める。
十二月四日の放課後、焼肉の食べ放題に行こうと言い出したのは珍しいことに幸村だった。
部活を引退して、暇を持て余していたのと何かしら理由をつけて集まろうとする幸村にとっては仁王の誕生日という口実はどうやら都合がよかったらしい。
『学校近くの二千円で焼肉が食べ放題の店を予約をした、学校が終わったら駅に集合するように』
そう、部活の連絡網のように事務的に送られてきたメール。
メールの文面に苦笑をしながら仁王は了解と短く返した。
どうやらレギュラー全員が集まるらしい。
一応仁王の誕生日を祝うという名目上、遅れてはいけないだろうと遅刻常習犯の自分には珍しく、学校が終わったところで早めに待ち合わせ場所に向かったが立海メンバーが何かしら集合する時に使う駅前の広場周辺にはまだ誰の姿もなかった。
仁王はあまり寒さが得意ではない。寒さを凌ぐためにファーストフード店にでも入ろうかと思うが、入ってすぐにみんながやってきてもせっかく払ったお金が勿体ない。
どうせ遠くないうちに誰か来るだろう。そう思い、一番風に当たらない花壇を選び座っていたが、動かないままでいたところ結構な時間が経ってしまっていた。
そのため、仁王の体はすっかりと冷え切っていた。指先はかじかみ感覚は希薄であるし、靴の中の指先は冷えすぎて痛い。
仁王は憂鬱な気分になりながらもう一度マフラーを巻き直すとコートのポケットに両手と突っ込み、肩を縮めながら寒さに耐える。

と、その時だった。

首の後ろに暖かいものが触れる。
正確には暖かいを通り越して熱いものが、すっかりと冷えていた仁王の首に当てられていた。
痛みすら覚えたその感覚に驚きながらも顔をあげるとそこには見慣れたチームメイトの一人の姿があった。
冷たいビル風に吹かれて少し乱れた色素の薄い茶色の髪の下、鼻のあたりを少し赤くした男―仁王のダブルスの相棒を長らく務めた柳生比呂士は仁王と目が合うとにっこりとほほ笑んだ。
仁王は慌てた様子を柳生に見せてしまったことに少し憂鬱になりながらため息を吐く。

「なんじゃ、驚かせるんじゃなか」
「すいません、そんなに驚かれるとは思わなかったので」
「驚くじゃろう」
「それにしても珍しく早いじゃないですか。そんなに楽しみだったのですか」

揶揄するように笑いながら、彼は右手に持っているものを仁王の方へと差し出す。
ほっそりとしているがどこか節だった柳生の手の中にあったのは、黒いラベルが印刷された缶コーヒーだった。
そのラベルに仁王は目を見張る。それは以前、学校帰りに嫌がる彼を連れてコンビニに入った時に買ったもので、仁王が気に入ったものだったからだ。
自動販売機の中でずっと暖められていたのだろうそれを両手で受け取ると、途端に指先が熱にしびれる。
普段であれば握っていることはできないだろう温度ではあったが、今の仁王にはちょうどいい。
少し、右手に左手にと缶を移しながら熱に手をなれさせるとそれをぎゅうと握りこんだ。

「あったかいのー」
「寒いならちゃんと防寒したまえ」
「サンキュ。あ、幾らじゃった?」
「いいですよ、お誕生日プレゼントいうことで」

買うのすっかり忘れていたんですよ。
柳生はそういうと困ったように笑いながら仁王の隣に座った。
そして自分用に買っていたのだろう暖かいペットボトルのお茶を飲みながらみんなこないですね、と携帯をいじっている。
そんな柳生の横顔を横目で見ながら仁王は手元の缶コーヒーに視線を落とす。
まだ十分に熱いそれは仁王の指先を温め、体中の血流を少し良くしてくれており、そのおかげでさっきほどは寒さを感じなくなってきていた。
しかし、恐らくそれだけではないのだ。
仁王は柳生に見えないように口元をマフラーに埋める。それは口角が持ち上がりそうになるのを隠すために。
柳生が自分のために何かをくれたということが。そして自分の好きなものを覚えていてくれたことが。
些細で、なんの特別な事でもないと言われたらそれまでだ。
それでも、それでいくらか気分が高揚をするくらいには自分が単純であることを仁王は思い知る。

「相方なんに安いプレゼントじゃのう」
「いいでしょう、あなたの晩御飯代はみんなで出すんですから」
「お前、医者の息子じゃないんか」
「うちの家の教育方針は子供を甘やかさないことですから。子供に大金をもたせるとろくなことになりません」
「忘れとったんじゃろう」
「そんなまさか」

とぼけたような表情を作り、そして柳生は笑った。その笑顔に仁王は目を細める。
いつも笑みを湛え、親しみやすいような振りをしている男が実は表情が豊かだということも、おどけたり不機嫌そうな表情を見せることも。
新しい姿を知るたびに、仁王は嬉しく思い、そして自分の胸が締め付けられるのを感じるのだった。

(俺はこの男のことが)

軋む感情。渦巻く気持ちを持て余しながら、仁王は笑う。







G reen Days







「お久しぶりです」

駅のホームの端っこのベンチに座っていたのは茶色の髪をして、神経質そうな銀縁の眼鏡をかけた青年だった。
それは、今日仁王がこの場所で待ち合わせをしていた人物でもある。
彼は仁王が近づくと、読んでいた文庫本を閉じ、隣の椅子においていたテニスバックを地面に降ろした。
仁王はそのあけてもらった場所へと座る。そして彼と同じように肩にかけていたテニスバックを地面に置く。

「久し振りじゃのう柳生」

柳生は隣に座った仁王にかつてと変わらない洗練された笑みを向ける。
その表情に仁王は一瞬、昔に戻ったような錯覚を覚えた。

今日は、通っていた学校の近くのテニスコートでテニスをする日だった。
毎年、十二月に行われる恒例のテニス。
高校を卒業して、学校が分かれたレギュラーもいたため、十二月に忘年会もかねてテニスをしようという幸村の思いつきで始まったこの会も今年でもう四回目だった。
基本的には幸村が指定した日に予定が開いている人だけが集まって、かつてほどのレベルではないとはいえテニスの試合を楽しみ、酒を飲む気楽な会だ。
だが、来年からは就職をする人もいる、そうしたらこういう風に大人数で集まれなくなるかもしれない。
そう憂慮した幸村は今回についてはレギュラー全員を集めきったのだった。
海外に行った真田も、他の大学に通う柳やジャッカルも。
そして、遠方の大学に進学したこの柳生比呂士も。

「元気でしたか」
「元気じゃよ。じゃけど春から社会人なんが憂鬱じゃ。このまま時が止まればええのに」
「私はまだあと二年学生です」
「羨ましいのう」

そう笑うと、仁王はベンチの背もたれに背中を預ける。
それからは、仁王と柳生の乗りたい快速の電車がくるまでにはまだしばらく時間があったため、仁王と柳生は最近のテニス部レギュラーの話や、会っていなかった期間にお互いに起きた話など、他愛のない会話に花を咲かせた。
学校の話、友達の話、バイトの話、就活の話―。
相変わらず、といっていいのだろう彼はかつてと変わらず真面目で誠実な生活を送っているようだ。
仁王の突拍子のない行動や、仁王が勤務している居酒屋の深夜のバイト先の話をすると少し嫌そうな表情を見せながらも柳生は笑っていた。
柳生はといえば医学部に所属しているだけあって四年になっても勉強漬けの毎日を送っているようだった。
さっさと単位を取り終わり、バイトとサークルに勤しむ仁王とは逆に研究室に入りびたり、実習に追われているらしい。
そんな生活の中でも土日は塾の講師のバイトをしているらしく、如何に中学生が単純で簡単で馬鹿かということを柳生は話した。
そんな二人の会話を断ち切ったのは柳生の鞄から響いた電子音だった。
昼間の閑散としたホームに呼び出し音は高らかに響き、柳生は慌てたようにテニスバックから携帯を取り出した。
そして画面に表示されていた名前を確認したのだろう、眉を顰めた。

「ちょっと失礼。バイト先からです」

そういうと柳生は立ち上がり、足早に仁王から離れて行った。
少し硬い声で応対する声が足音と一緒に離れていくのを聞きながら仁王は目を伏せる。

確か、今からちょうど四年前の冬だった。受験が終わり、お互いに将来の道を選び取ったある日。今日のように二人で並んで座っていつものように話している時だった。

『もうやめよう』

それをどっちが先に言い出したのか仁王はもうはっきりと覚えていない。
自分だったかもしれないし、柳生からだったかもしれない。若しくはお互いがずっと思っていたことだったのかもしれない。
長く片思いをした。
そのあまりの辛さに、不毛さに長らく苛まれそれに耐えきれなくなった時、仁王は積年の思いを吐き出した。
それを柳生は何のためらいもなく受け止めた。
初めはただ楽しかった。
周りの世界など気にならないくらいに二人ではしゃいでいた。
しかし次第に二人の心の中には影が落ちた。このまま、二人でいることは本当に幸せなのだろうか。そんなことを考えるようになって行った。
根本的に仁王も柳生も同性愛者でもなければバイセクシャルでもなかった。
仁王だから、柳生だから恋に落ちたのだ。
そして単純に自信がなかった。もし、このままお互いの手をとって、万が一不幸になったり、別れて途方にくれた時お互いのせいにしないでいることができるかということが。憎まずにいられるかということが。
だから、このタイミングで、お互いの道が分かれたタイミングで手を離すことを選んだのだ。
後悔は不思議なことに無かった。それでも離れてからしばらくはどんな顔をして柳生に会えばいいのか、全く分からなかった。
しかし、そんな思いを抱えた一年後、やはり今回と同じように幸村が開いた忘年会に参加した時、そして柳生に会った時仁王はどうしようもなく自覚をしたのだった。

「―――仁王くん?」

声に顔をあげると仁王の顔を柳生が覗き込んでいた。
仁王は我に返ると頭を緩く振り、思考を追い出す。

「すいませんでした」
「ええよ」
「お詫びにどうぞ。まだ電車まで時間ありますし」

柳生はそういうと手に持っていたものを差し出した。柳生の手の中にあったのは黒いラベルの缶のコーヒーだった。
仁王が目を見開くと柳生は困ったように笑った。

「あなたが好きな銘柄ではないですが」
「貰ってええん?」
「だってあなた、誕生日だったでしょう?その分ってことで」

十二月の第一週でしたよね?
そう得意げに言う柳生に仁王は噴き出した。

「やっすいのう」
「すいません、実は今日まで忘れていました」
「そんなところじゃろうと思ったぜよ」

仁王は手の中で熱を発する缶を握り込む。
そして、あの時のことを思い出す。
たしか、中学三年生の冬だった。あの時も柳生は仁王に何か飲み物を買ってくれた。
あの時、仁王はただただ柳生のことが好きだった。この世界を敵に回しても、誰にも認めてもらえなくてもいいと思うくらいに好きだったのだ。
しかし、お互いの為だと袂を分かち、しばらくして再会した時、仁王が柳生に感じたのはあの時、そう中学三年生の時に自分の中にあった行き場のない強い感情ではなかった。
この世界を敵に回しても、譬え不幸になったとしても一緒にいたい、そんな感情ではなくなっていた。
代わりに感じていたのは、この男のことが大切だという穏やかで酷く幸せな気持ちで。
恋人に感じるよりはもっと優しく、親友と呼ぶにはもっと近しい、そんな気持ちが仁王の体を満たしたのだ。
悪い意味でも、いい意味でも二度とこの気持ちは仁王の中から消えることはないと確信ができるくらいにそれは、尊く大切な感情だった。
仁王は、そんな自分に苦笑をすると、缶コーヒーのプルタブをあげ、中身を一気に飲み干す。
苦みが喉をおちていくのを感じながら仁王は感傷に浸りきってしまった自分を恥じた。
誤魔化すように、仁王は口角を歪める。

「なあ、柳生」
「はい?」
「結婚できんかったらもう一度付き合わん」

仁王の言葉に柳生は一瞬驚いたような表情を見せ、次の瞬間には酷く嫌そうな表情を浮かべた。
そして深くため息を吐いた。

「では意地でも結婚相手、見つけます」
「いうのう」
「キミこそ、悪い冗談です」

仁王と柳生は顔を見合わせ、そして同時に笑った。

これから先。
果てしなく続く人生の中で、たくさんの人と出会うのだろう。
それでも仁王の中には確固とした自信がある。
この先、どんなに素敵な人たちと出会ったとしても、仲間として共に歩んだとしても、恋人として愛し合ったとしても、結婚をして伴侶と人生を謳歌したとしても、子供や孫を慈しむようになったとしても。
仁王は柳生という人間と出会ったことを、そして彼を愛したことを誇りに思いながら生きていく。
ライバルとして敵対したことも、行き場のない愛に苦しんだことも、長い洞窟を抜けた先で隣に立って歩んできたことも。
誰よりもお互いを理解し、誰よりも大切な存在として。
そしてもし、可能であれば柳生にもそう思っていて欲しいと願う。柳生にとって仁王雅治が尊い存在であらんことを。

「仁王くん、お誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれてありがとう」
「お前忘れとった癖に」
「調子がいいのは昔からです」
「あーそうじゃったそうじゃった。柳生は調子がええ奴じゃった」

照れ隠しに頭をかきながら、仁王は笑った。

「どういたしまして」






これからも、ずっと。
最初で最後で、きっと最高のー。









H appy birthday Masaharu.N*131204