誰がお前の事を知っているって?


返しの真実




「幸村くんにはなれそうですか」

柳生の部屋は本が多い。
柳生は整理整頓が苦手なわけではないのだろうが、片っぱしから本を読むため、部屋の中にある本は本棚だけでは既に片付け切ることが出来なくなっていた。
勉強机にも、部屋の中央にある、小さな机の上にも、床にも、大量の本があふれ、高く積み上げられている。
しかし、柳生の部屋にはあふれるほど本があるのにもかかわらず、仁王が今欲している本は、柳生の所蔵する中には一冊もなかった。
それは、仁王が欲している本が、柳生の興味の範疇外に属する事象を扱うものだったためだ。
その為仁王は、小さな机の上に積まれていた本を、丁重に床に積み上げ直し、柳生の家に来る前に本屋で買ってきた本をその上に広げた。
それらの本の背表紙には、ガーデニング入門、そしてルノワールの文字がある。
一冊はガーデニングのいろはをわかりやすく写真で図示したもの。そしてもう一冊はルノワールの画集だった。重厚な装丁がされている本は学生の仁王にとってはどちらも高価なものだったが、仁王は一度決めたことは徹底的にこだわる性質だったため、そこまでもったいないとは思っていなかった。
柳生は休日に唐突に訪れた仁王に全く構う風もなく、ベッドの上に寝そべり、推理小説を読みふけっていた。
それはいつものことだ。
しかし、仁王が鞄からその二冊を取りだしたときは、一瞬だけ驚いたようにして仁王を見やった。
そして呆れたように呟いたのだった。

「難しいのう、柳生になるんは簡単なんじゃけど」

パラパラとページを繰る。色とりどりで美しい花々。繊細なタッチの作品は確かに幸村が好みそうなものではあった。
しかし、仁王はどうしてもその感覚を理解できずにいた。興味はある、興味深くも思う。しかし、仁王はそれには執着できそうにないと思ってしまうのだった。
と、隣から手が伸びてきた。見ればベッドの上で読書にいそしんでいた柳生がいつの間にか仁王の隣に座って画集のページをめくっている。
鮮やかな草花。色彩。それらが柳生の無機質なメガネのレンズに映っては、消えていった。眼鏡の中の双眸は相変わらず興味の薄い色をしている。
柳生は一通り、その分厚く、重厚な装丁の本を見通すと、一つため息をついた。そしてベッドから読みかけの文庫本を引きずり降ろし、またそこで読書を再開した。

「幸村くんになるのは難しいとは思いますけれど」
「そうじゃな、なかなか難しいんは確かじゃの」

仁王は柳生が興味を示さなかったガーデニングの本をもう一度開いた。
そこに記される、花の手入れの仕方。季節ごとの庭の作り方。幸村の持つ屋上庭園。そこに植えられる植物。それを世話する姿。それを具体的にイメージした。
花の世話をする、それは比較的難しくないようなことに思われる。絵を描く事も、絵を鑑賞することも。しかし何か違和感が、ある。

『何故、手塚を完璧にコピーできなかったのか、わかるか仁王』

そこで仁王は唐突に柳の言葉を思い出した。全国大会決勝の後の反省会で幸村にこってりと絞られた後だった。
柳の言葉に仁王は言葉を返すことが出来なかった。
自分が手塚を模倣するに足る実力を有していなかったから。それが仁王にとっての回答だった。
しかしそんなわかりきったファクターであるならば、柳はこのような聞き方はしてこない。
柳は怪訝そうな表情をする仁王に対して、柔らかく笑った。そしてすれ違いざまに、仁王の肩をたたく。

『試しに精市にもなってみると良い、きっとわかることがある』

そこから、仁王は熱心に幸村に擬態することを始めた。
この戦い方に執着をしている訳でもない、それでもやってみようと思ったのだ。
幸村、日本最強の男、神の子。それに、なってやろうと。

「大体、ガーデニングとか、絵画とか、似合わないことやって空回りしてるじゃないですか。日常生活のコピー?貴方は幸村くんの何を知っているんです。そんな上辺だけまねたってしかたないでしょう」

ぼんやりと本を眺めていた仁王に、突然言葉が投げつけられた。
柳生は本から視線を離さず、憮然とした表情でそう言い放つ。柳生にしては感情がこもった言葉のように聞こえ、珍しい、と仁王は思う。
柳生は常日頃から感情を交えた声音で話すことは少ないからだった。

「なんじゃ妬いとるんか」
「私が?誰に?」

柳生はあからさまに嫌そうな顔をした後で馬鹿にしたように笑った。
そして、腕を伸ばすと、仁王のシャツの襟を強引につかんだ。
ばさり。柳生の手を離れた文庫本が無残に床に落ち、折れ曲がった。しかし、柳生はそんなことは気にならないようだった。
仁王の方に顔を近づけ、ゆっくりとその口角を持ち上げる。言葉に他人を馬鹿にしたような色を混ぜ込むのも忘れない。

「なあ、お前さん、ふざけとると足元すくわれるぜよ」

その形のいい唇から毀れた言葉と、その声音に仁王は、目を見開いた。それは、仁王がよく知っている姿だったからである。
あの真田も、そして、青学の乾さえも騙し遂せた柳生の、仁王を模倣したその姿。
仁王の目には確かに柳生が映っていた。しかし、表情は、柳生が持つものではない。
柳生は、突然の事に動けない仁王に構わず、床に一瞬手を伸ばし、それを仁王の目の前に差し出した。
それは、一冊の文庫本だった。
柳生はそれを仁王の前でひらひらとゆらし、にっこりとほほ笑んだ。


「お前さんはアガサクリスティ、読んだんか、なあ」


柳生の言葉を理解するのに珍しく一拍、要した。
そして、次の瞬間には、仁王は破顔していた。
確かにそうだ。仁王が柳生に擬態出来たのは、柳生の趣味や興味を模倣したからではなかった。
実際、仁王は柳生になるにあたって柳生の趣味について勉強したり、まして、同調するために同じ本を読んだりしなかった。
全てはお互いが固く閉ざすプライベートゾーンへの侵攻。そこへの侵攻を許した、だからこそ、癖も好みも嫌いなものも全て余すことなく知っている。否、そこまでは言い過ぎかもしれないが。

そしてそれは柳生も同様で。

それを可能にしたのは、他人への興味だった。単純だ、仁王は柳生の事を知りたいと思っていた。誰よりも深く。
嫌いで大嫌いで、嫌いが故に目について、それが転じて誰よりも興味を惹かれた存在。
模倣するために情報収集し、生活習慣を調べるのではなく、知りたいと思った。五感すべてで。
それが故に模倣が出来る。
他人になぞ、まったく関心がない仁王にとって、唯一の例外である存在。
それが柳生比呂士だったのだった。
そして、そこまでしてもいいという気持ちは、手塚にも、白石にも、そして幸村にすらないことを仁王は気付かされた。
だから、上辺だけ、技だけを模倣するだけにとどまっていたのかもしれない。
手塚の不二に対する執着も、青学に対する想いも、勝利への強い気持ちも、仁王は知らない。
幸村の立海に対する執着も、真田に対する信頼も、柳に対する思いも仁王は知らなかった。だから、完全なイリュージョンは成立しなかった。
そんな当たり前の事に改めて気付き、仁王はこみ上げてくる笑いをかみ殺すことしかできなかった。
なにが、詐欺師だ、と仁王は思う。このままでは詐欺師の名前は返上しなくてはならないではないか。
柳生はもう既に仁王に対して興味を失ったらしく、床で折れ曲がった文庫本をそのままに、またごろんとベッドの中に戻り、枕に顔をうずめてしまった。そして全く動かなくなってしまう。
どうやら寝るつもりなのだろう。
まったく、と仁王は肩をすくめる。
どうも仁王は、柳生にはかなわない。

「この似非紳士が」

吐き捨てるように言う。すれば、億劫そうに柳生は顔を横に向け、枕の隙間から満足そうに笑った。


「お褒めに預かり光栄です」




Pixivから再掲