自分が欲しいものは唯一つ。
山と詰まれたチョコレートより。
愛に満ちた甘い言葉より。
唯一つ。

「愛してる」

画面にノイズが走った。
同時に隣で画面を眺めていた男がその腕を伸ばし、DVDを取り出す。
静寂に響く、砂嵐の音、鈍く音を立てる、DVDの稼動音。
彼は、ケースにそれを入れると、山と詰まれたDVDの上に載せる。
その弾みに、何枚かが滑り落ち、床にぶつかり乾いた音を立てた。
その後に満ちるのは再び沈黙。

家の中も、物音ひとつない。 今この家にいるのは自分と、隣で退屈そうに時間をやり過ごす男だけだった。
床は冷たかったが、彼は低体温に関わらず、素足のままそこに座っている。
電気のすっかり落ちたリビングの光源といえば、砂嵐を映し続けるテレビの光。
その淡い光の中、照らされた彼の表情はいつも通りに退屈そうにしていた。
其処に少し、甘い匂いが漂う。

床には数え切れないほどにお菓子の包みが散乱していた。
それは元は紙袋に整然と収められていたものだったが、隣にいる男が間違えてその包みを開けたところからこの状況は生まれた。
二つとも空になった紙袋。
誰からのものか、誰にあてたものかすら判然としなくなったそれらは無造作に、散らばり、喰い散らかされている。
そしてそれはまだ進行し続けるのだろう。
柳生は床に置いてあった、まだ封の切っていない包みを手にとった。

「これはどっちのなん」
「どうでしょうね、判らないと困りますか」
「お前さんは困らんの」
「ちゃんと誰がどのようなものを下さったかはリストアップしてありますが」

そういうと柳生は洗練された笑みを浮かべた。
それは、仁王を蔑む時にしか使わない、一種特別なそれであった。
それに一瞬優越感を覚え、同時に眉根を寄せる。
柳生はそれを見てまた、満足そうに笑みを浮かべた。

「どうせ俺は段取り悪かよ」
「いいんじゃないですか、貴方はそういうことしても赦されるんですから」
「お前さんだって赦されよう?」
「私は赦しますけど、柳生比呂士は、赦さないんです」

そういうと、彼は綺麗なリボンを、その細い指で静かに解いた。
その中から姿を現すそれに、ため息を吐きたくなった。
綺麗にデコレートされた大きなチョコレート。
一見してそれは酷く甘い、そう思わせるようなものだった。
自分も柳生も甘いものを其処まで好まない。
柳生にいたっては嫌いだとさえいっていた。
横顔を見やれば彼の表情筋は微かに引き攣っていた。
そしてその手には柳生宛と思しきカードがあった。

「よかったの、柳生、愛されとうよ」
「・・・そうですね、気持ちを踏みにじるような真似はいけませんね」

ぱきりと、静寂の満ちた部屋にチョコレートが割られる音が響いた。
そして、細い指が口元のその破片を運んでいく。
その甘さに彼は眉をしかめ、それでもしっかりと、嚥下する。
その表情の変化が面白く、思わず笑みをこぼせば彼に睨まれた。

彼の手の中に合ったチョコレートの箱をとり、その中身を指で割る。
その破片を彼に差し出せば、酷く嫌そうな顔を向け、それでもおとなしくそれに従う。
破片の大きさに合わせあけられる唇。
時折覗く赤い舌と、慣れてきたのだろう、眉間に刻まれる皺の深さの浅くなっていく様子と。

そして、箱からチョコレートが姿を消すまで。

箱から全てそれが消失すると、柳生はぐったりと、背をソファーに預け、頭を座る箇所に乗せた。
さらりと流れる髪は、暗闇の中といえど、そして光源がテレビの砂嵐だといえども綺麗に光を弾いた。
伏せられた目、そして物憂げに吐かれるため息。
淡い光に、くっきりと浮かび上がる、形のいい顎のライン。
こうして黙っていれば、そして変な対抗心や反抗心さえ見せなければ、この男は。

しかし、自分が彼に惹かれるのは、きっとそういうところなのだろうと思いなおす。
心からの笑顔より、いつも偽善者を気取る彼から垣間見る二面性というべき、蔑むような笑みや。
ゆったりと、満足げに細められる眼よりも、敵意と不信感に満ちたそれや。
何をいっても不機嫌そうに「嫌い」とだけ繰り返すその言葉や。

ああ、と思う。
そう折角のバレンタインデー。
年に一度の思い人に思いを告げることを赦されるその日。
その言葉を使うことが赦されるその日なら。
それならその言葉を使って、自分の好きな表情をさせてやろう。
どんなに多くの女子から送られる好意よりも、ただ一人の表情のほうがいい。
それが一番価値がある。

じっと、見つめていた仁王に気が付いたのか、柳生は怪訝そうに目を開けた。
その視線の意味が判然としなかったのだろう、柳生は億劫そうに緩慢な動作で体を起こす。

「なんですか」
「なあ柳生」
「だからなんですか、気味が悪い」


「愛しとうよ」


一瞬、虚を突かれたという風に柳生の両目は大きく見開かれ、そして次の瞬間には不機嫌そうな表情を作り上げた。
それは、先程よりは洗練さを欠いたそれであった。
一瞬浮かんだ動揺、それを押し隠しきれなかった彼。
感情が僅かにひきずられ、表情に僅かなゆがみを残した彼。
その表情は、付き合いが長い己らとはいえ、そう頻繁に見られるそれではない。
それを見ることが、否、自身の言葉でそれを作り出したことに満足し、笑みを浮かべれば、彼は自分の意図したところを理解したのだろう、口惜しそうな表情を浮かべた。

「愛しとうよ柳生」

腕を伸ばせば、彼は特に抵抗も無く、腕に収まった。
余計に濃度の濃くなるチョコレートの甘い匂い。

すこし、彼は返す反応を考えていたのだろう、数瞬後、彼は重くため息を吐いた。
そんな嘘を今更吐かれても仕様がないと言うように。
そして、それに一瞬流された自分を嫌悪するように。

「私は世界で一番貴方が嫌いですよ」

想像通りに返った来た反応に、内心ほくそえむ。
狙い通り。
そう、それが一番欲しい。
笑みが、浮かんだ。


「それでこそ柳生やね」


毎日二人の間で繰り返されていく、駆け引きに。
自分の手の上で玩んでいるのか。
それとも逆か。
そんなことを考えても仕様が無い。

それでも。

この世で一番甘い、否、甘美なチョコレートとでも言うべきそれを手にした自分は。
完璧な包装を施された希少価値のあるそれを引き出し得た自分は。
そしてそれを腕に抱き、悟られぬように、それでも優越感に笑みを噛み殺せずにいる自分は。
間違いなく、今日の駆け引きの勝者であろうと。



暗く静かな部屋の中、まだ甘い匂いの残る空気。



end・・・

*****
・・・私だけ楽しくてスイマセン。
せっかくバレンタインなんでちょっと甘い仁王柳生。
・・・いつもとかわんないですか?そうですか。