彼は自分が思っているほど。 |
fiction |
部室に入れば、窓際のロッカーの前に、彼がいるのが目に入った。 床に置かれた鞄の中に、中途半端に折りたたまれたユニホーム。 彼は丁度ネクタイを結んでいるところだった。 几帳面に、きちりとそれはいつも結ばれているそれを結ぶ手つきは滑らかで、時折しゅるりと布の擦れる音がした。 「柳生」 声をかけ、隣に並べば、彼は手を止め、微笑んだ。 まだ首筋は自分と同様、汗で湿っているようだ。 いつも整っている髪は幾房か、彼の頬に張り付いている。 「お疲れ様です、まだ走っていらっしゃったんですか?」 「走らされてたんだっての、遅刻しただけでこの仕打ちって酷くねえ?」 「君が悪いんでしょう」 「あ〜お前はどうせ、柳とか幸村の味方だよな」 「そういうことではないと思いますけどね」 呆れたように彼はため息をつくと、中途半端に折りたたんだままのユニホームをたたみなおし、几帳面に仕舞いこむ。 整然と鞄に入っている勉強道具。 いつも鞄に入っている文庫本。 それらが、開いた口から見えた。 隣に並んで、ロッカーを開ける。 雑然とした自分のロッカーの奥から鞄を引きずり出す。 其処に突っ込まれ皺が寄った制服に、彼は眉根を寄せた。 その視線をやり過ごし、袖を通す。 ぐるりと部屋を見渡して。 其処にいつもの人影がないことに今更のように気付く。 「そういや、柳生、仁王は?」 彼の手が止まり、彼は酷く不快そうな視線をよこした。 嫌悪を前面に押し出したそれに一瞬怯む。 「仁王くんですか?」 「そ、仁王」 「知りませんね」 「今日一緒にダブルスの練習してなかったっけ?」 「してましたけど」 「じゃあしらねえってことないだろぃ?」 口にしてから後悔した。 柳生の目に、静かに感情が揺らぐ。 それは彼のまとう優しいそれではなく、少し暴力的な、反応だった。 「何で私があんな人の行動まで把握してなくてはいけないんですか?」 吐き捨てるように、言った。 背筋が凍るほどに、その言葉は、冷たく。 そうそれは、戦慄を覚えるほどに。 そしてそれに酷く驚く自分がいた。 其処に生じる違和感に、眉根が寄る。 必然的に沈黙が落ちる。 凍るようなその空気を揺らすのは窓の外で冷たい風に身を打たれ枝を揺らす、その音だけだった。 彼は、黙々と荷物をまとめる。 酷くその横顔は不機嫌だった。 自分の指先が、微かに震えているのに気が付いた。 逡巡を、している。 そんな自分に自嘲する。 そして、頭を振り、意を決し、声をかける。 「柳生」 「はい?」 振り向いた彼へ一気に距離を詰めると、ネクタイを強く掴んだ。 汗で乱れた髪の下にある双眸がおどろいたように大きく見開かれる。 想像通りの反応。 何度も何度も脳髄の奥で何度も何度も繰り返しリフレインし明確に描いたビジョン。 一番近い大切な友人。 小さい頃からよく知っている幼馴染。 一番、近しい感情を寄せるその人。 そのポジションを、放棄するために踏み出す一歩。 そのまま力に任せて引き寄せる。 身長の差に彼はつんのめる様な形になり体制を崩す。 其処を逃す術もない。 同時に力を掛け続け、そのまま床に押し倒す。 がたんと机が動き大きな音がした。 顔から倒れるを避けるためであろう反射的にとったその動物的本能ゆえに彼は肩から床に落下する。 くぐもったうめき声。 それに畳み込む様に手を伸ばす。 もう一度今度は襟を掴みなおすと力に任せその顔を上に向けさせる。 至近距離で合うその視線。 その奥で彼は静かに驚きを映していた。 その瞳に、歪んだ表情で彼を見下ろす自分を確かに映して。 「なあ」 自分の声が震えているのに気が付いた。 恐怖、それが近しい。 間違えていたら洒落にもならない。 「ほんとに俺がこういうことしたら如何すんだよ」 床に着いたひざは冷たかった。 同時に、心にも冷たい温度が静かに侵入をする。 至近距離。 目を合わせたままの彼は、一瞬目をつぶると、笑みを浮かべた。 歪なそれは、確かに彼の所有するものではあったが、今の彼が所有するものではない。 それに戦慄し、同時に安堵もした。 「お前は出来んよ」 端正な顔に似使わぬその笑みは。 それに相応しくないその訛りと、軽微であるその言葉は。 「だよな」 計らずとも離れた手に、彼は後ろに片手をついて、もう片方を俺の頭に載せた。 その手の大きさも、錯覚を起こしてしまいそうになるほどに彼と同一で泣きたくなる。 自分に向けられるのは、好意だとしても、それは絶対それ以上になることはない。 「でもよう判ったの・・・真田も柳も気付かんかった・・・って、聞くまでもなかね」 誰よりも彼の傍で。 誰よりも彼の事を。 彼が知るよりも彼の事を。 彼の知らない彼の事を。 しかし、自分が知らない彼のことも彼は所有している。 それがただ、口惜しい。 「後学の為に教えてくれん?」 次の試合、入れ替わろうって話とるんよ。 仁王はそういうとにこりと笑った。 それは柳生の笑顔を模したそれであったが、確かにそれは柳生のものだった。 目を逸らす。 彼は、仁王は、目の中に見せる優しさまでも彼は忠実に再現して見せていた。 「試合やる分には関係ねえから」 「そう?」 「うん」 「まあお前がいうんだったら」 「俺も騙せるとおもってた?」 「そうやね、自信はあった」 「完璧だよ、お前流石詐欺師だよな」 ため息交じりに言えば、仁王は満更でもなさそうに微笑んだ。 「じゃあ、また明日な」 そう呟き、立ち上がる。 逃げるように鞄を掴み部室から出る。 ドアを後ろ手に閉めると、其処に少し凭れかかり、息を抜いた。 風は冷たく、熱くなった胸の温度を落とす。 三度ほど深く息をつき、顔をあげた。 世界はもう闇の帳の中。 足を踏み出す。 髪の間を、首筋を、後方へと冷たい風が熱を抜いていく。 徐々に早足になっていく自分の足と、坂の角度が比例する。 彼が、頭を駆けていた。 急かすように、ずっとずっと笑顔が。 無関心そうに、他人を見ていたあのときの笑顔も。 珍しく、彼にあったときに浮かべた嫌悪の光も。 今、優しい笑顔を、本当に優しい笑顔を時折浮かべることも。 それを齎した人物も。 そして、その人物を話題に挙げたとき。 表面上は嫌悪と不快感を浮かべながらも。 坂を下りきり、足を止める。 振り返れば、闇に落ちた街の中に学校が薄ぼんやりと浮かんで見える。 『後学の為に教えてくれん?』 そういったかれをすこし、おもいうかべた。 まだ部室で彼は考えているのだろうか。 それとも、試合に関係がないなら如何でもいいと割り切っているのだろうか。 どっちでも構わないのだけれど。 でも。 『仁王くんですか?』 誰にもわからないほど微かに笑みを浮かべるその人のことを。 絶対に教えてやらない。 end・・・。 ***** あれ・・・桜に貰う前に書いてたのにな。 如何でもいいところでシンクロするな己等。 ずっと書きたかった話です、仁王と柳生の入れ替わり。 新年早々、またマイナーに走ってスイマセンでした・・・。 |