お気に召しませ。

雨は世界を漆黒に塗りつぶす。
冬は只でさえ日が暮れるのが早いのに今日の雨は如何だろうか。
冷たい風に冷たい雨粒。
しかも弱まる気配はない。
閑散とした昇降口にはもうすでに傘はないといっていい。
今日の天気予報では雨とは言われていなかったのも手伝い、普段は持ち主不詳の傘で溢れている各クラスの傘立てにはまともな形のものはない。

憂鬱だ。

只でさえ、鞄に負荷されている重量で憂鬱感は跳ね上がっているというのに。
雨ですっかりとぬかるんだ校庭を横切り、部室へと置いてあるはずの傘を取りに行かなくてはいけないだろう。

大きくため息をつくと、足を左へ向け、泥濘へと足を突っ込む。

部室へ向かう道すがら、何重にも刻まれた足跡と出逢う。
それは部室へと向かう仁王と同じ方向へと向かうものもあれば、反対のもある。

部室の雨に濡れたドアノブを開けば、そこには予期したとおりの光景があった。
机の上に広げられた何十といったプリントとノート、部室のと思しき鍵。
それを憂鬱そうにまとめ、脇にやる。
柳生比呂士、その人がいた。

「こんなところにおったん」
「頼まれごとをされたんですよ」
「ご苦労なこって」

部室を横切り、ロッカーを開ける。
その奥からコンビニで売っている、安いビニールの傘を取り出し、代わりにかばんから袋を取り出す。
ずしりと確かな重さを持つそれを代わりにロッカーに突っ込む。
とってつけたような、淡い意味しか持たないきちりと包装されたそれ。
特に意味などない、同時に執着などもない。
柳生が以前、欲しいものなどない、といったのを思い出す。
同じだ。
この中に欲しい物を見出すことも己には不可能であろうし、同時に、欲しい物をリストとして挙げる事も出来はしまい。
どうせ貰うのならば形に残らないそれでいい。
それが柳生が意図した言葉であったのだろうと思う。
同族意識、同属嫌悪、故の依存。
余りに似通っている。
袋が体制を崩し、その大きな口から零れんとしたのにあわてて戸を閉める。
鈍い音が金属で出来たその箱の内側で大きな音を立てた。

「良いんですか、折角のプレゼントでしょう?」
「お前に習えばよかった、必要最低限の人間にしか教えんのじゃろう?」
「だって、面倒ではないですか」

「だから実際、貴方のことも省いたんですけどね・・・丁度興味もおありでないようでしたから」

「不可抗力、文句は丸井にいいんしゃい」
「別に不快だなんていってないではないですか、ああいうのの方が後が楽ですよ」

柳生が、その細い指が、ネクタイを掴み引き寄せた。
抗う必要も理由もない、そのままその力に従う。

その瞬間、ふと、鼻先を掠める甘い匂い。
きっとそれが知らないそれであったらそのまま看過したのだろう。
触れるかそうでないか、その距離で。
眉根を寄せた仁王に柳生は気付き、きょとんとした表情を作った。

「どうしたんですか」

しれっと言い放った彼に感じたのは、只苛立ちだった。
ああ、只でさえ憂鬱だというのに。
この男は。

神経を逆撫でするのが酷く上手い。

「柳生」

パイプ椅子がしなる。
その身体を支えるために付かれた手。
同時に落下する彼の鞄。

そして落下したのはそれだけでない。

背中を打ちつけたのだろう、詰められた息と。
それに追い討ちをかけるように重ねる唇。
噛み付く、それが多分近しい表現だろう。
その甘い香りまで、食い尽くすように。

「   」

柳生の紡いだ言葉は遠く。
雨の音すら、酷く遠い。

感じるのは嫌に冷たい床の温度と。
それと同様に冷え切った柳生の指先と。
それに比べればいくらか熱を持った彼の頬と。
そして・・・怒りとの名を借りた、衝動と。

呼吸の合間に、見上げてくるその目が交錯する。

柳生は微笑んでいる。
慈悲を持って。
憐憫の情を持って。
哀れみを其処にこめて。

赦している、以前に、のぞんでもいる、とその目にこめて。

『傷付くのは貴方だ』

嘗てこの男がそういったことを思い出した。
あの日もこの部室で、その日も雨で。
けだるそうに彼が見上げたかすんだ灰色の空。
特に感情の起伏のみられない声。
そして、ぞっとするほどに冷めた色をした瞳。

その言葉の通り。
不快感と、自分に対する嫌悪感。憂鬱感が胸を占めていた。
吐き出せない感情と、言葉に出来ない想いを、ただ、一時の衝動で満たすには、限界があった。
いや、むしろ不可能だったといっていい。

『赦せば、いいんですか』
『さあな』
『口実さえあれば、違うんですか』


『わからん』


ああ、だからこそ。


彼は、赦しているふりを。
望んでいるというポーズを。

不釣合いなその甘い匂いを。

「馬鹿」

笑いかけてやれば、柳生は一瞬驚いたように眼を見開き、そして笑う。

*****

雨は上がったようだった。
漆黒の空模様の中、微かに星の明かりが見えたような気がした。
窓に張り付いた水滴は校庭の電灯の光を弾き、乱反射する。
雨に洗われた透き通った空気を肺に満たすのを想像してみる。
しかしそれはイメージで終わり、動くのすら億劫だと澱んだ湿気た空気を肺に満たすところに留まった。
背を預けている先のロッカーは酷く冷たい。

「お気に召しましたか」

手持ち無沙汰に、柳生は仁王の隣に寝転んだまま、鞄の持ち手を弄っている。
くるくると何度も回し、ねじを巻いたところでそれを離せば、ぱらりとそれは解ける。
また回す。繰り返す。

「まあな」
「それはよかった」
「でもな、友達をだしにするんはどうなんよ」

柳生の鞄のもち手を乱暴に引き寄せる。
倒れた鞄から、綺麗に整理されたファイルと、綺麗な字で書かれたノートが零れだす。
そしてその中から唯一、ばらばらと。

床に零れ広がる、グリーンアップル味のガム。

十枚はいっているはずのそれを数えれば、九枚しかない。
床に寝転んだままの柳生に笑みを向ければ、にこりといつもの偽善的な笑みを浮かべた。

「お前も相当最悪な男じゃね」
「最低な貴方にそういわれるとは光栄ですね」
「紳士の癖に」
「詐欺師の貴方に感化されたんですよ、相当に」

柳生はそういうと体を床から起こし、立ち上がって窓を開けた。
新鮮な冷たい空気が部室の中に吹き込む。
部室中の窓という窓を開け放った後、柳生は鞄を窓際に引き摺っていき、パイプ椅子を開いた。
そして、小さく、仁王と呼ぶ。
その手の中には煙草の箱があった。
共有する、それ。
余りに多いその共通項を、唯一具現化し、眼の前に見せるそれ。
そして、笑う。



「誕生日、おめでとう御座います」



Happy Birthday!!



*END*

*****
ハッピーバースデー仁王!!
柳生が大好きで大好きでしょうがない、へたれな仁王になっちゃいました・・・。
お誕生日くらい男前に書いたげたかったのにな・・・。