それはさながら空を切り裂く、花火のように・・・

Day and Night

工事中のマンションの海に面したベランダから花火を見る。
水平線の彼方にすっかりと太陽は沈んでしまってい、濃紺が世界をただ染めている。
そして水面には時折爆音と共に火花が散り、その合間には肌が凍るような冷たい沈黙が進入してくる。
花火の合間、沈む沈黙が仁王は好きだと思った。
柳生の生きている音と自分の生きている音だけが世界から隔絶される。
仁王はただ、今、五感のうち、視覚と触覚と聴覚だけを働かせる。
触覚は背中に感じるコンクリートの熱と、後頭部が感じる柳生の体温を。
聴覚は花火の爆ぜる音と、柳生の細く吐き出される呼吸音を。
視覚は柳生の眼鏡に写る花火を。綺麗なその光を。

小休止に入ったらしい、花火の音と、柳生の眼鏡に写る、火花がすいと消えた。
同時に柳生は細く嘆息をつく。
昼間はあんなに乗り気ではなかったのに、息を詰めてまで見ている柳生は矛盾していていとしい生き物だと思った。
まだ気温は十分に高い。
ここに着く前に買い込んできたコンビニの袋からもうすっかりと温くなってしまった緑茶のペットボトルを出し、彼に差し出す。
柳生はそれを受け取るとキャップを捻り口に運ぶ。
すこし、緑茶の香ばしい匂いがした。
数分待っていても花火が鳴る気配はない。
仁王は柳生の膝に預けていた体を起こし、隣に座りなおす。
普段なら暑いと一蹴されてしまうのだが、今日は機嫌が良いのだろうか、何も言わずに緑茶を咽喉に流し込んでいる。

「来て良かっただろ?」

横顔に話しかければ、柳生は横目で仁王を見、肯く。
にやり、と仁王が笑えば、決まり悪そうに柳生は眉を顰める。

コンビニの袋の中から、今度は御握りを取り出す。
柳生にも投げてやると、柳生はそれを器用に受け取り、口に頬張る。
しかし視線は海のほうへと向いたままだった。
完全に仁王ではなく花火のほうに柳生は意識を向けているようだ。
いつだって待ち歩いている文庫本はベランダの隅に必要などされていない、まるで塵のように放置されている。
それが面白くなく、早々に仁王は食べ終わるとまた、柳生の膝に頭を乗せ、眼鏡を見上げた。

まもなく花火が打ちあがる。

仁王は今度は花火に興味が湧かず、仔細に柳生を観察する。
薄く浮かべられた笑み。余り感情表現のされない瞳(最も今は花火に好奇心を向けているが)。
顎のライン、柔らかい髪が海からの潮風に揺れるさま。
そして色とりどりの花火の欠片が思い思いに柳生の肌に色を描く。
柳生にとってはこの喧騒から程遠いベランダが特等席かもしれないが、仁王にとってはこの角度が特等席かもしれない、と一人思う。

花火は彩りを更に増し、音の間隔は狭くなり、夜空に大輪の花を咲かせていく。
花火の大音響のために、柳生の呼吸音が遠のく。
空は、濃紺だった筈なのに、一部分、花火が咲くその場所は加色法のためだろうか、白くなる。
柳生は一層に頬を緩ませて、時折、小さく、綺麗ですね、と漏らした。
絶え間なく、一瞬の空白でも惜しむように、花火は次々と夜空へと駆け上がっていく。
まるで自分たちのようだと仁王は思う。
今は、一瞬でさえ酷く惜しい。
二人でいる時間は永遠ではなく、儚いものだとお互い知っているから一瞬を繋ぎ合わせるように、肩を寄せる。
いつか、花火のように、宴の終いのように、軽い余韻を残して消えてしまうのだろうけれど。

絶え間なく続いた花火の連射は、少し、その間隔を広げだした。
柳生はまた詰めていた息をゆっくりと吐き出し、仁王に笑いかけた。
仁王は体を起こし、隣に座りなおした。
漸く、興味の矛先は仁王に向いたらしい。

「来年も、この場所から花火が見たいですね」

その声は花火に掻き消えてしまいそうだった。
それでもその優しい声音はしっかりと届く。

「来年ねぇ・・・もうここ居住者居ろう?多分」
「・・・それは残念です」

「で、誰と?」
「野暮な人」
「言葉にせんと約束にならんよ」
「・・・言葉にしないと伝わりませんか」

「だってお前の変化は早い」

柳生は変わった。
強くなって弱くなった。
一年前はお前は俺を嫌っていただろうが、そういいかけたが、彼の虚を突かれ、その後伏せるだろう目を想像するといえなかった。

「一年は長いぜよ、柳生」

極力優しい言葉に変えるが、語気に少し荒さは残った。
柳生は少し困ったようにして、手の中にあるペットボトルを玩ぶ。
眼の前の空、花火の尾が堕ちていくのが見えた。

焦燥感に駆られる。
不安になる理由はわかっている。
彼は一年でその気持ちを変えたのに、自分はそのもっと昔から彼に惹かれ続けている。
いつか置いていかれる。
ひとつの物に気持ちに彼はきっと執着する期間が短い。
嫌いだ、そう告げた瞳。
それはもう彼の中にはないのだから。
きっと彼は、変わっていくことを恐れない。
そして拒まない。
でも・・・
でも今の柳生が一番好きだ。
昨日は昨日の柳生が好きだった。
明日は明日の柳生が好きだろう。
その先、見えない未来の柳生でさえも自分は好きでいようとしている。
変わらない柳生を。
人は変わる。
自分も変わる。
判っている。自分だって多分に変化はしているのだ。
それは危惧すべきものでもない、寧ろ楽しいと思う節もある。
それでも、変化を恐れる。
変化を望む。
矛盾を、している。

「そう・・・ですね、確かに一年は長い、人が変わるのには十分かもしれない」

ああ、なんて悲しい言葉だろう。
花火の残り火のようにすいと落ちていく。

「でも少なくとも今は・・・」

Day and Night、I always think of you・・・

流麗な綺麗な発音の英語。
一瞬その響きに心を酔わされ、次の瞬間その意味に行き当たり、柳生の顔を窺う。
薄く浮かべられた笑みは確かに嬉しそうに笑みを模っていた。
嘘ではない、少なくともは。

「・・・really?」
「ええ」
「and now?」
「勿論」

笑いかければ柳生も笑った。
それは素敵な笑み。

Day and Night

唄うように囁いて、言葉を絡める。
何度も、何度も。

Day and Night

I love you、なんてそんなものは只くだらない。
腐るほど世界にあるそんな安い言葉。
そんなもの、彼に送るには足らない。

Day and Night

再び、光の雨が彼を染め出す。
眼鏡にその光が映るのを視認すると、目を閉じているはずの彼が花火を見ている。
柳生の眼鏡を取れば視線がかち合った。
その瞳の中に居るのは、確かに自分自身の姿。

息を吐くのすらもったいなく、全て言葉に変える。

昼だって夜だって朝だって何時だって。
君のことを思う。
そう、きっと、まだ。

不安が、消えているのに気が付いた。
ああ、何時だって彼は自分を解き放ってくれる。
不安を花火の中の火薬にそっと包むように。

Only you can set my heart free

囁くように言えば、それは光栄ですね、と、柳生は笑う。




相変わらず花火は世界を切り裂く轟音と共に弾け消えていく。
しかし其処にもう切なさは感じなかった。









end・・・

*****
BGM、Noriyuki Makiharaより「THE DIGITAL COWBOY」から「Day And Night」
8/2ということでいつもより282テイストでお送りしました。(むしろ82?