傷付いて傷付いて傷付けばいい
迷って迷って迷えばいい

帰巣本能

部室のドアを開ければ机に突っ伏した柳生の姿があった。
机の上に乱雑に広げらた勉強道具が在り、幾つかは床に落ちていた。
癇癪でも起こしたのだろうか、いつも整っている髪も乱れている。

昼休みももう終わる。
彼を教室に押し戻すか一瞬だけ考え、成り行きに任せようと思い直す。
どうせ、彼の悩みの原因などとうに知れている。

「柳生、どうかしたん」

書いては消し、を繰り返したのだろう、よれたノートと消しゴムのカス。
何度も黒い色で塗りつぶされた計算式。
そして一様に開かれた問題集と教科書。

「もう、嫌だ」

くぐもった低い声で彼は呻いた。
泣き出しそうなその声に、今日は相当、と心の中に付け加える。
隣のパイプ椅子に腰をかけ、髪を梳いてやる。
少し湿ったそれに、柳生の哀しみを見た気がした。
鬱陶しかったのだろうか、それともくすぐったかったのだろうか、左手が机を払い、残っていた本も落ちる。
部屋に、鈍い音が、響く。

ちらりと見やれば、どの問題が彼を悩ましているかは一目瞭然だった。
頭良いくせに、と仁王は思う。
どんな応用問題でさえ、すらすらと解いてしまうくせに。
時々詰まらない問題で躓く。
そして一人で落ち込んで、何時間もかけてゆっくりと解決し、そしてけろりとしている癖に。

今回は相当性質が悪いようだ。

「もう授業始まるぜよ、はよしんしゃい」

ため息を吐けば、ぴくりと彼の肩が揺れ腕の間から恨めしそうに睨まれた。
その視線さえ、仁王は見てみぬ振りをする。

「何でこんな問題がわからんのかね?簡単だけど?」

柳生が何かを言いかけたが、仁王は言葉の前に右手に握られたシャーペンを取り上げ、新しいノートのページを開く。
そして問題の式と、その下にさらさらと計算式を書き込んでいく。
柳生はあっけに取られたように、ノートのページを眺めていた。
説明も必要だろうか、嫌味に仁王は計算式の隣に使う公式も、挙句の果てには図さえも書き込んでいく。

「んで、ここでこれを代入する」

数学が己の得意教科でよかった。
こんな柳生を知っているのは自分だけでいい。

「で、ほら答えこれであってるはず、ほらな?」

問題集の最後を開いてその問題の回答に赤ペンで丸を幾重にもつけ、投げつけてやった。
その至近距離に柳生は避け切ることは出来ず、まともに顔で受けた。
眼鏡が飛び、床に落ちる。
眼を細め、柳生は仁王を見る。
恨めしそうに注がれるその視線に、仁王は言葉を読み取り、鼻で笑ってやった。

「なんでもない顔をして、クラスの可愛い女子にでも解き方を教えてやりんしゃい」

「・・・・・・」

柳生はじっと、仁王を見る。
仁王はその視線を受け流す。

柔らかな日光が窓から忍び込む昼休み。
其処には息を殺した二人の沈黙が沈む。

柳生は机に置いた腕の上に、頬を載せ、仁王を見る。
目の下の薄いくま。
寝不足でそれは浮かぶのではない、疲れたらそれは容易に彼の顔に浮かぶ。
眼鏡はそれを隠すために存在するのでも、確かにある。

「仁王・・・」

におうにおうにおうにおう・・・
柳生の唇が音を発せずに仁王を何度も呼び寄せる。

つかれためんどうくさいうっとうしいつかれためんどうくさいうっとうしい・・・もうやめたい

「それ、始めに望んだのは、お前じゃろう?」

つよさ
にせもの
えんぎ

「責任、もて」

辞めさせてやるものか。
辞めさせてなどやらない、絶対に。

柳生の顎に指をかけて引き寄せる。
パイプ椅子がぎしりと狭い室内に音を響かせた。
言葉を、吐き出す暇など与えない。
弱みも文句も呪詛も全て、飲み込んでやる。

柳生の眼に、普段映る理性の光が戻ったのを見て、仁王は柳生を突き飛ばす。
椅子から落ちた彼は、いつものように鋭く仁王を睨みつける。
低い声で仁王は笑い、筆箱を投げつけてやった。

「ほら、教室に戻りんしゃい、授業始まるぜよ?」

「貴方は?」

もう声は揺れてなどいない。
普段の彼だった。
いつものように理性という名の仮面を被り、優等生面で微笑を浮かべてクラスに存在する、それ。
滑稽だ、そしてただ、面白い。

「サボりにきたんよ、元々は。誰かさんの所為で疲れたから、寝る」

「それはどうも」

柳生は身を屈め、床に落ちた教科書や問題集に参考書、そして眼鏡を拾い上げ、小脇に抱える。
そして制服に付いた埃を払い、髪を軽く直した。

「じゃあな」

パイプ椅子に深く身体を預け目を閉じた。
もう彼の追及など受ける気は毛頭ない。
遠くで始業五分前を告げるチャイムの音がしていた、そして彼が扉を開ければより明確に鮮明にその音は仁王の鼓膜を揺らした。
扉が閉まり、足音が遠ざかったのを確認してから仁王は声を上げ、笑う。
くつくつと冷笑し、けらけらと嗤笑し、げらげらと哄笑する。

傷付けばいい、それはもう修復不可能なほどに。
磨耗すればいい、それはもう心が擦り切れてしまうほどに。
昏迷すればいい、それはもう出口を失うほどに。
ひび割れ崩れ落ちそうな仮面で辛うじて自己を保って。
覚束無い演技でなんとか笑顔を保って。

そしてここに戻ればいい。

傷を埋めなおし
心を鋳造しなおし
光を示し
接着剤で修復し
笑顔を取り戻してやる


何時だって導くものはひとつ
それは意図的に作られた・・・




end・・・

*****
こういう二人好きです。
わざと執着するように仕向ける仁王とかいいと思います(死ネ