いうなれば
感動的な逸話や
劇的な運命の物語など必要ないのだ
それよりも、たぶん



りきたりなしあわせでも









昼間のハードな練習が終わり、夕食の後に行われる座学の時間。
斉藤コーチの間延びした声で紡がれる授業に丸井は何度もあくびを噛み殺していた。
それは練習で疲れていたからという理由も確かにあったが単に授業に飽きてしまったからというのが大きい。
証拠に周囲の合宿参加者たちも真面目にノートを取るふりさえしてはいたが、明らかに舟を漕いでいる奴もいれば鉛筆が完全に机の上に落ちている奴もいる。
窓の外も既に漆黒で黒々とした木のシルエットが辛うじて見えるくらいである。その向こうでは都会ではほとんど見えない星と、何処かのコートを照らすライトがぼんやりとみえるだけだ。
そんななかでも丸井が眠らずに辛うじてノートを取っていたのは隣に座る人物が絵にかいたように真面目な人物だったからに他ならない。
柳生比呂士。
背筋をしっかりと伸ばし、綺麗な字を延々と刻み続ける男は流石に疲労を表情に滲ませてはいたが、それでも学校で授業を受けている時と何ら変わらない真面目な表情で時折顔をあげ、板書を睨みつけている。
初めは普段隣で授業を受ける機会のない柳生と並んで座学を受けているのが妙に楽しく、真面目な柳生に感心し、その横顔を眺めていた丸井だったが流石にそれも飽きてしまった。
またこみあがってくるあくびを丸井は噛み殺す。
もし隣にいるのがジャッカルだったら丸井は迷うことなく寝てしまっていただろう。
コーチに怒られるぞとか丸井を小突きながらそれでも重要なタイミングを逃さないようにうまく寝かせてくれるに違いない。

(ジャッカル今頃どうしてんのかな)

こういうどうでもいい瞬間に丸井はジャッカルの不在を寂しく思う。
鳳や菊丸みたいに誰かに馬鹿にされたからと言って噛み付いたりするつもりはないが、それでもいつも一緒にいた彼が傍らにいないのは無性に寂しいと感じてしまうのだった。
少なくとも、ダブルスを、その中でもパートナーがある程度固定されているメンバーは丸井と同じように感じているように見える。
それこそ四六時中、この夏の大会のために気の遠くなるような膨大な時間を共に過ごしたパートナーだ。
テニスをするときに常に隣にいる人物。
それが、いない。
弱肉強食な世界だということは立海に所属する丸井は嫌というほどに分かっている。だから菊丸や鳳の感傷を擁護してやるつもりもない。
かといって跡部や観月のように全日本の選抜合宿だとはいってもそれだけでパートナーの不在を受け入れられるほど大人でもないことを丸井は分かっていた。
寂しいものは寂しい。だけど立ち止まってはいられない。
『なんか、先輩たちがそろっていないと寂しいっすね』
そういったのは後輩の切原だ。
そして我らが部長、幸村も大概ああいう性格をしているがつい先日『また俺だけ仲間はずれなんだよね』と不二に話しているのを聞いてしまった。
仲間はずれ、とは恐らく真田と柳とのことだろうと丸井は思った。
幸村の入院していた期間というのは立海レギュラーからしてみれば必死に彼が帰ってくる場所を守るためにあった時間だったが、あの白い箱に閉じ込められた幸村からしてみれば自分だけがそこから疎外されていた期間でもある。
そのなかでも柳と真田と常に一緒にいた三人の関係は特別だった。この学校に入学してから今まで三人でいなかった時間なんて幸村の入院中くらいだろう。
ふと、丸井はそこで一つのことに気が付く。
柳生のことだ。
そういえば柳生が『誰かの不在』に関する発言をしているのを丸井は聞いたことがなかった。
ことに彼のパートナーの仁王に関して言及しているところを丸井は聞いたことがない。
さみしいとも清々するとも。
むしろあの合宿残留をかけたあの試合の感想さえ、丸井は聞いていない。

(柳生は)

どんな気持ちでいるのだろうか。
思い立ったら行動せずにはいられないのが丸井の性格だった。恐らく柳生は嫌そうな顔をするに違いないが、それでも丸井は柳生の方に手を伸ばしノートを人差し指で叩く。
柳生が不機嫌そうな視線をちらりと丸井の方へと向ける。しかし手は止めなかった。
それは話しかけるなという柳生のポーズだ。柳生は集中を誰かにさえぎられるのを嫌う。
しかしそれを知ったうえで丸井は声を潜めて柳生に問いかけた。

「なあ」
「なんですか」
「真田がいなくて寂しい?」
「特には。でもいざいないとあのお小言も恋しくなるものですね」
「柳は?」
「柳くんは良き理解者ですが」

そこで一瞬、柳生は言葉を切った。
恐らく、最終的にたどり着く質問を柳生は察したに違いない。
しかし丸井はそんな柳生を無視することに決めている。わかっているからこそ無視をする。それも丸井が心得ている柳生の取り扱い方だ。

「じゃあ仁王がいなくてさびしい?」

丸井の言葉に柳生は緩慢に顔をあげると丸井に眉をひそめて見せた。
そして深く深くため息を吐くと、また馬鹿なことを、と柳生は呟いた。

「別に、寂しくなんてありませんが」
「や、だってほかのダブルスペアは寂しがってるじゃん、お前はどうなのかと思って」
「別に」
「俺がいるから寂しくない?」
「そんな殊勝な言葉を期待しているわけではないでしょうに」

柳生は頬杖をつきながらとんとん、とノートにペン先をあてて考えていた。
数瞬後、適当な言葉に思い当たったのだろう。柳生は顔をあげた。

「私たち、他の方たちと違っていつもダブルス組んでいたわけではありませんから」

別に固定ダブルスであったわけでもないじゃないですか。キミたちと違って。
柳生の言葉に、今度は丸井が驚く番だった。
そして次の瞬間に思わず吹き出してしまう。
その時に漏れた笑い声が一瞬、教室に響きそうになり柳生はあわてて、唇前に人差し指を立てた。
運よく、コーチからは一瞬視線を向けられただけで終わり、柳生は安堵する。
そして隣に座る丸井を横目で睨み付けた。

「静かにしたまえ」
「わりいわりい、お前が言うことはもっともだと思ってな」

下らないこと言ってないでちゃんと斉藤コーチの講義を受けてください。
柳生は困ったような表情を丸井に向けた。
丸井はそれに右手をあげて応える。
そうはいっても柳生が本心では仁王がいなくて寂しいと思っていることを丸井は知っていた。
本人は自覚していないのかもしれない、それでも柳生が仁王を追っていることを丸井は知っている。
そうだ、柳生と仁王はパートナーではないのだ。
パートナー以前にライバルなのだった。
共に歩く相手ではなく、切磋琢磨する対象。
この目に入らない期間にお互いがどこまで相手を出し抜けるか、そこに終始する関係性。
そういうなれば、跡部や真田が手塚を追いかけるようなそんな。
一緒にいれないことが寂しいのではなく、戦えないことを寂しいと思うようなそんな。
それは自分と柳生の間には終ぞない関係性だった。
優しさや慈しみではない、もっと根源的に引きつけられる、そんな力が彼らの間には働いている。
それでも、それを分かったうえで丸井はその二人の間に入り込んだのだった。
簡単だ。一歩間違えれば愛情へと変容しかねないその感情を他の方向へと導いたのだ。

「仁王もバカだよな、手放さないでおこうと思えばいくらでもできただろうに」
「は?」
「いやこっちの話」

運命の出会いというものがあるのだとしたらきっとこういうものを言うのだろう、そう丸井は仁王と柳生のことを見ていた。
劇的で、完璧で、不安定で、運命的。
それは確かに魅力的ではあるし刺激的でもあるのだろう。
しかしそれとは正反対な要素だってあるのだ。
安心、普遍、安定。
だからこそ、自分が付け入る隙があったといってしまえばそれまでなのだろうけれども。
丸井は自嘲すると右側に手を伸ばす。
そして机の上に置かれていた柳生の左手に自分の右手を重ねた。
丸井の行動に柳生は酷く眉を顰めて見せる。

「丸井くん」
「何」
「人がいます」
「後ろ座ってねえじゃん」
「そういう問題ではありません」
「じゃあどういう問題なんだよ」

何の問題もないだろう、そう左手を右手で強く握りこむ。
柳生は非難するような視線を丸井に注いでいたが、どうでもいいと判断したのだろうかあいている右手で器用に黒板に並んでいく言葉の羅列を写し取る作業に戻っていった。
しかし、左手でノートを押さえることができないためだろう、普段より筆記スピードは幾段遅く、少し文字は歪んでいた。
それでも柳生は丸井の手を振りほどかなかった。
それに丸井はゆっくりと口角を持ち上げる。

(俺がお前の運命の相手でなくても)

そこに劇的な感動も、運命的な符号もなかったとしても。
そんなものは必要ないのだ、きっと。
平凡で単調な幸せを積み上げた先に完全があるのなら、それもまた運命なのだろうから。


だからこの手は、離さない。







++++++++++++++++++
OVAの勝者の意味で隣に座る二人と仁王がいなくて寂しい柳生さんにカッとなって書きました。
仁王×柳生の関係性と丸井×柳生の関係性の違いを考えるのが好きです。