傑作だ。
戯れ言だな。
きみは笑って、
ぼくは笑わなかった。
いつものことだ。
それは予定調和。
鏡の向こうの自分との。



『I love me』




骨董アパートは茹だる様な暑さだった。いつものことだからぼくはあまり気には留めない。
ぬるい水道水は部屋に放置されていた。儀礼的に差し出したそれに彼は興味すら向けなかった。
差し詰め記号なのだ、所詮。ぼくもそんなことをいちいち気にするような狭量な人間ではない。まあ、戯言だけど。
彼が買ってきたカップアイスも(これも記号的で儀礼的だ)一口だけ食べられたまま放置されていた。
それはある意味不可抗力だったのだけれど。
窓の外には暴力的な太陽で白骨化したかのように白い世界があり、その先からは蝉の声が断続的に響いてくる。その音は空虚で陰鬱な空気の室内に、虚ろに響いた。
ぼくはため息をつく。それはぼくの背中に貼りつく熱の塊に対してだった。
彼はこんなに暑いにも関わらず、ぼくの背中に覆いかぶさるようにしている。じっとりとした汗が布を隔てて熱を届けてきていたが、もうすでに面倒になっているぼくは特に何も考えず、カップの中で液体となっていくアイスクリームを眺めていた。なんで固体の時はあんなにおいしそうに見えるのに、液体となるとこんなにも吐き気を喚起するほどまずそうなのか。
玖渚ならきっと両手をべたべたにしながら美味しそうに食べるんだろうとかそんなことを取り留めもなく考えていた。

「俺ってさ、どうしてこういう破滅的な人間関係しか築けないんだろうな」

ぽたり、白色の液体がカップの淵から滴ったのを見届けてからぼくは緩慢に首を動かした。
すればすぐ肩の部分にまだらの銀髪の少年が項垂れていて、頬に髪が触れた。
もともと彼の髪がどのような触感だったかなど、記憶力が頗る悪いぼくには知る由はないが、べたべたしていて、あまり気持ちがいいものではない。
ぼくはまた緩慢に首を動かし、頬に張り付いた髪の束を頬からはがす。

「破滅的・・・ね」

ぼんやりと、熱で馬鹿になっている頭で反復する。
どうやら思考もアイスクリーム同様、すでに溶け出してしまったらしく、どうも形を結ばない。
それでも彼がこのぼくとの関係を「破滅的」と捉えていることだけは理解ができた。そして彼が結ぶほかの人間との関係もどうやら「破滅的」らしい。
それもそのはずだった、ぼくと彼は鏡なのだから。

同一相似。
それは姿形ではないけれど。
手段も別だけれども。
それでも、同一。

彼は顔をあげず、じっとぼくの肩に頭をのせ、腰に後ろから腕を回していた。
ぴくりともしないが、時々熱い息がぼくの肩に吸い込まれていくのを感じていた。
熱い暑い熱い暑い。
しかしどうしてもぼくは温い水道水も、溶けたアイスクリームも嚥下する気持ちにもならず、というかそもそも体を動かすことを許可されていないため、その暑さから逃れることができない。
否、そもそも逃れる気がないのだ。
暑いとはいっても熱いとはいっても、前者は所詮夏の暑さと、ぼくの生活環境のせいだったし、それに熱さに関してぼくは特に抵抗があったわけでもなかった。
それは違うとはいってもぼくの鏡の存在のもので、思うにぼくと同一のものだったからだ。

彼は口を開くのさえだるそうに、消え入りそうな声で、それでも言葉を紡いだ。
それは鏡に写った虚像の自分に、ちょっと恥じ入って声を潜めるような、そんな感じで。

「出夢の時は楽だった、殺したくなってもあいつは死ななかったから、でも結局俺はあいつを壊した、何がトリガーだったか知らねえけど、結局壊れた」
「うん」
「兄貴は俺を無条件で愛してくれた、俺も兄貴を兄貴として認識はしていた、でも逃げてきたずっと殺してやろうと常に思いながら」
「うん」
「ずっとわからなかった、だけど、お前に会ったとき、納得したよ、俺はそういうものなんだってことをな、俺は対象を殺す、そのことで愛されることから逃げていた、愛することから逃げていた、やっとわかった」
「うん」
「でもな、結局変わってねえんだよ、俺は結局変わってない」
「うん」
「本当はお前も殺したくて殺したくて仕方がねえよ」


「なら、あの時ぼくを殺しておけばよかったのに」


目の代償、そんなのに比べたら、そうたいしたこともないだろう?

閃いたナイフも、暴力的な殺意も。

ぼくの言葉に彼は息を浅く吸った。すこし驚いたのだと思う。その言葉をぼくが口にしたからか、単に盲点をついたのかはわからなかったけれど。
でも彼が気付かないとはぼくは思わなかった。
鏡の向こう側。
単に彼は気づかないふりをしていたのかもしれない、それか既に解析済みだったのか。
どっちにしろぼくには興味がない。

「ばーか、お前を殺すなんてそんなの」

彼の消え入りそうな声にすらも。

「自殺と同じじゃねえかよ」

込められる力。
熱い、息。
泣きそうなのかと思いつつ、それでもぼくは狼狽もなにもしていなかった。しんと冷えた心があって、それはきっと彼も同じで。
そういうぼくたちがきっと哀しいのだろうな、と、がらにもなく、思う。
そして愚かなのだと。

ぼくを愛する君の行為。
究極の自己愛。
ナルシシズム。
愚かなのだと哀しいのだと判断して理解して反芻して自覚してそれなのに。
結局は自分が一番好きだなんて。


なんて愚かしい。


それでも、ぼくは、何も言わなかった。
いつものことだった。
それに、それを容認している自分も、零崎と一緒だったからだ。
本当に、戯言だ。


「零崎」





その先は言わなかった。





自己否定論者。
自分がなによりも嫌いで嫌いで嫌いで嫌いで、変わりたいと思ってるくせに結局のところぼくたちは自己愛の塊だった。



変わりたいと思う気持ちは自殺。
いい得て妙な。

本当に傑作で。
所詮戯言だった。






それは鏡の向こう側に触れることができてしまったが為の。




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零いーについて本気だして考えてみたら自分が嫌いで嫌いで嫌いで嫌いな二人が、結局自分の虚像を愛している、つまり自己愛の塊で、ナルシストなのだなぁと思いました。
多分砥石と人識の話も、ナルシシズムの極致となるのかと。なんてなんて。
幸せなんて二人が決めるんでしょう。

いーちゃんの戯言は難しいです。
そしてかなり久しぶりに一人称のお話。

material:七ツ森