壊されし夜空の流星



「流れ星にお願いってしてみたことはあるかい双識くん」

窓際にあるパイプ椅子を今日は珍しく窓側に向け、そして夜空を眺めている男が唐突に呟いた。
パイプ椅子はシンプルな部屋にある数少ない家具の一つである。
その数少ない家具はシンプルであるがとても洗練されている、そんなデザインものが大半を占めている。
生活感のない、不自然な空間を彩るように、否、余計にそれを助長するように設えられていた。
それをぎしりと軋ませながら男は、会話を始めた。
双識は机の上のまた、簡素であるが、それでも安物には見えぬ、ライトの下で読んでいた漫画雑誌から緩慢に視線を上げた。
少し白髪の混じった髪に、白いスーツを着た男は悠々と足を組み、腕を組んでいる。
しかし背を向けられている以上、その表情を窺うことは叶わなかった、緑のサングラスの下にある眼の色も。

大きく外界を切り取るカーテンの引かれていない窓の外にある夜空は明るく、汚れていて、星など到底拝めそうになかった。
それなのにこの男はなぜこのような話を持ち出したのだろうかと一瞬考え、すぐに辞めた。
それは自慢できるほど時間を共有しているわけではなかったが、それでも長い時間過ごしてきて一度もこの男の思考を読み切れたことがないことに起因していた。

「貴方ほどロマンチストでないので、ないですけど、それがなにか?」
「そうかい、じゃあ、どうやってお願いするかは知っているかい?」
「それくらいは、流れ星が流れている間に、三回、となえるんでしょう」
「そうだよ」

「でも実際、俺は無理だと思っている、そうだろう?流れ星が流れ落ちる間ってどれだけ短いか双識くん、君は知らない訳ではないだろう?ああ、流れ星、願わなくては、ってそれだけでざっと一二秒は空費すると思うね」
「まあそうですね」
「そこから次の段階が最も時間がかかるんだよ、双識くん、願いを考えてそれを唱えてなくてはいけない、しかしふつうは願いはなんだと問われれば一瞬戸惑うだろう、さあ僕の願いは何だろうってね、そう思った瞬間、もう流れ星は流れてしまっている、宇宙の美しい塵の最期はそこで燃え尽きて終わってしまう、そこで俺は思うわけだ、いざというときの為に願いをちゃんと事前に考えておいて、いつでも言えるようにしておけばいいのだとね、さて君の願いはなんだろうね?」

そう問われて一瞬、双識は言いよどんだ。
それは願いが思いつかなかった故に堕ちた沈黙ではなかったのだが、彼はそう解釈をしたらしい。
ほうら、と自慢げに息を漏らした、どうやら笑ったようだった。
その姿に双識は否定するように、深くため息をついて見せた。
そして手の中にある漫画を閉じる。
部屋の容積に比べ格段に少ない家具の所為でその音も嫌に響いた。

「私の願いは家族が幸せであることです」
「ほう?新年の初詣で何を願えばいいかわからなくてとりあえず家族の安泰を祈っとこうっていう類のものではなく、純粋にそう思うのかい?」
「ええ」

ふと、網膜に家族の顔が浮かぶ。
年長の釘バット使い。
天才音楽家。
禁忌の零崎の申し子。
その他にも色々な顔がよぎり、再確認する。
この人たちを護ることが、この人たちが幸せであることこそが、自分の幸せだと。

「それが私の、幸せです」

断言するように、いえば男はふうんと、興味なさそうに呟いた。
想像していた反応だった、双識はそのような男に苦笑し、また漫画雑誌を開いた。
しばらく沈黙が落ち、双識のページを繰る音だけが部屋に小さく響いた。
饒舌な男が黙り込むのは珍しいことではある、しかし考え事を始めればそれが長いことも知っていた。
その沈黙の濃さに、確かに流れ星が流れる一瞬に願い事を考えているようでは願いを唱えるには足りぬのだろうと、雑誌に意識をやりつつ、双識は思う。

初めから読み返した雑誌一冊を読み終わった時だった。

「それじゃあ、俺は君の幸せを、祈ろうとするかな」

双識は反射的に顔を上げた。
男が話した内容について、驚いたからだった。

「貴方の愛する少女の、幸せを祈らなくていいんですか」
「いいや、あれには幸せになって欲しいとは思うけれどね、他の一群のメンバーが切実に祈っているだろうから俺一人が祈らないことくらいどうってことはないだろうし、それに」

「あれの幸せを叶えることができるのはこの世にたった一人しかいないのさ」

「貴方でもアスでもなく」
「そう、たった一人の青臭い少年しか叶えることはできないようにできている」
「複雑ですねぇ」
「だから代わりと言っちゃなんだが君の幸せを祈ってあげようと思ったのさ、俺に優しさに涙が出るだろう」
「はいはい」

しかし、本当にこの男が自分の幸せなんてそんな無益なものを祈ることなど到底双識には信じられないことであった。
この男が自分を一番に思っていないことくらい双識には明白にわかっていることであったし、双識にしてみてもこの男を一番に思っているわけではない。
優先順位が上位にない存在の幸せを祈るなど無益でしかない。
それに双識はこの男が何よりも自分自身を愛していて、そのために生きるような存在であることも熟知していた。
さすればこれは例え話であろう。
証拠のように、窓の外にはくすんだ灰の空しかない。
星なんて、都会の光にかき消されて見えるはずもない。
流れ星なんて尚更だった。

それでも。

零崎一賊の一人としての零崎双識ではなく、世界に生きる一人の人間としての零崎双識を評価してくれるこの唯一の男の言葉に喜びがないと言えばそれは嘘になることも双識は自覚済みだった。
決して零崎一賊の長兄としての自分に不満があるわけでもなく、寧ろそう呼ばれることが最大の喜びではある。
自分が愛しているのも一賊の長兄と呼ばれる、そういう立場にいれるほどに一族を愛していると評価されている自分ではある。
だが、時々ただ一人の個人としての自分を扱っている存在を求めてしまう瞬間があるのも事実である。
殺人鬼の自分ではなく、到底普通とは言い難い、それでも普通の一個人としての自分を。
それを満たしてくれるのが、世間一般の解釈から見れば変態と称される、エレベーターが嫌いでその感情のままにぶっ壊してしまう破壊屋な男だというのは皮肉でしかないのかも知れないが。

双識は、皮肉めいた笑みを浮かべ、微笑んだ。

「兎吊木さん」
「なんだい?」
「ありがとうございます」

その言葉にも、男は振り返らず。
灰色の、男が寧ろ壊してしまったのではないかというなにもない夜空に、現れるはずもない流れ星を探したままに。
珍しいこともあるものだ、明日はもしかして雹でも降るのかい。
などと嘯いて。




壊れた灰色の空の向こう流れゆく流れ星。


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初、兎双。
兎吊木さんに夢見すぎですかすいません。
兎吊木さんはなんやかんやいって大人だといいなって思うわけです。
お粗末さまでした。